06:心霊クライヤー06 心霊クライヤーミオンデパートでの襲撃から一日後、既に小笠原達は目的地を目指し、小笠原の愛車であるイプサムで一般道を走っていた。頬に大き目の絆創膏を貼った小笠原は、何処か陰鬱な表情でハンドルを切る。 「信じられるか? 久々に会った後輩は宗教に身を落とした超能力者へ変貌しててよ、“はるばるあなたをブッコロシに来ました”って……ああクソ、後味悪いぜ」 「しかし、これでストゥーパが複数の組織と関係を持っていることが決定的になりましたね。“幸福の竜”って言ったら、去年立ち上がったばかりの新興宗教ですからね。それに伝道師Nと超能力。俺達がデパートで待ち伏せされたのも、それで説明がつく」 「おい村田っち、まさかホントに超能力があるだなんて思ってんじゃないだろうな」 キーボードを叩く手を止め、後部座席左側の村田は小笠原に視線を移す。 「だってそうでなきゃ説明つかないでしょ。それに、工藤さんと城石さんのあの暴れっぷりを見てたら、幽霊も超能力も存在するんだなって信じちゃいますよ」 小笠原は助手席の工藤と、真後ろに座っている城石を順に見遣った。眉間に筋を立てると、軽く溜息をつく。 「まぁ、そりゃそうかもしれねーけど……」 「僕の見解ではUFO及び地球外生命体も存在すると」 「おめーは黙ってろ! でマジに行く訳? そんな辺鄙な田舎まで」 ナビゲート係・工藤の横槍を最低限の対応で流しつつ、バックミラーで村田の姿を確認しながら尋ねる。 「ええ」 「ハッキリ頷いてくれるけど、愛知県ねぇ……ここは千葉だぜ? なんつー長旅を強いるんだよこの子は。そのネタ確かなんだろうな? 着いてから“ハズレでした”なんてイヤだぜ?」 「信憑性は極めて高いです。ストゥーパは表向き、東京に二箇所ある“修道院”を本部にしていると公言していますが……幹部や頭目が居るのはこの“教会”と呼ばれる施設の筈。小笠原さんの言った通り、関連していると思われる他の組織の動向と合わせて見たら……」 傍らに置いた雑誌の上にマウスを滑らせ、データの羅列に合わせて左クリック。すると、村田が調査した事項に関する結果が複数のウインドウで表示された。細かに、一つ一つの文章に日付が記され、事象がまとめられている。 「11回、この施設で何らかのコンタクトを取った形跡があります。間違いなく、ここに組織間のリンクについて知っている奴が居る――この、出奇市に」 「そんな変な名前の所にねぇ……」 「城石さんの話だと、以前ここには同様の教会が建っていたそうです」 城石は窓枠に肘を突き、ボーっと窓の外を眺めていた。会話に参加する気は無さそうだ。 「つか、それ“できし”って読むんだ」 「市ってついてますけど、殆ど村みたいなもんスね。多分、相当のどかッスよ」 「っかー、やれやれ。面白い芝居を作るってのは大変なんだなぁ。あー、もう疲れてきた」 「小笠原さんもあんな目に遭ってよく懲りませんね。僕だったら辞めちゃいますよ」 地図から視線を外して、またも工藤が話しかける。村田は心中にて、彼がまた怒られるであろうとを予測した。 「バカヤロー。あんなネタに成るシチュエーションを手に入れられたんだぞ、このまま行けばもっと良いネタが手に入るはずだ。こんなケガまでしたんだから、それ相応の見返りはないとな……って、お前は喋ってねーで地図見てろこの!」 「あいた!」 口を挟んできた工藤の頭をひっぱたきつつ小笠原はハンドルを切る。頭頂部に一撃を加えられた霊能力者は平謝りをし、ガイドマップを指でなぞって“出奇市”の表記を発見した。 「ありましたよ。ホントに小さい……この規模で市か」 「ブツクサブツクサうっせーな、静かに探せよ」 「何ですか、小笠原さんだってさっき独り言ブツブツ言ってたじゃないですか」 「何をてめーこの野郎、俺より年下のくせにナマ言ってんじゃねーぞ」 「年功序列とか何処の団塊世代ですか」 「シャー!」 「シャー!」 そんな遣り取りの中、村田はちらりと隣席の城石に目を遣った。相変わらず無言のままで、窓の外を何処とも無くじっと眺めている。 (質問をしてみようかな……) ついでに親睦を深め合えれば一石二鳥とも考えて。正直、村田はこの何処か威圧感を放つ男が苦手で、この先、コミュニケーション不足から何らかの失敗をするのは出来るならば避けたいとも考えていた。何より、彼は幽霊と話したことなど皆無だ。 「あのー、城石さんは元ストゥーパ団員だったんスよね、工藤さんの言ってる技術のこと、何か知ってたりしないんスか?」 「……」 真紅の瞳を外へ向けたまま、城石は沈黙で村田に返した。村田の顔に動揺が生じる。 (シ、シカトかよ……) 「そうそう、資料で見たんですけど、ストゥーパって信者毎に階級が割り振られてるんですってね。一番上の教祖を頂点として、一等から六等までの神官と、更にその下に神兵って入信したばっかの人達が居るんスよね。城石さんはどの辺りだったんです?」 「……」 やはり城石は何も答えない。虚ろな目のままで通り抜けてゆく景色を眺めているだけだ。まだ二つしか質問をしていなかったが、村田の思考回路は目前の男との交流を困難と決定し、早々に会話を打ち切ることにした (取っ付きづらー……) 後で工藤と席を交換して貰おう、そう考えながら村田はノートパソコンに向き直った。 「……オレが居た頃は」 「え?」 窓の外に視線を向けたまま、城石がぽつりと呟くように、だがしかし確かに言葉を吐いた。前でギャーギャーと言い合っていた小笠原と工藤も、思わずその声に耳を傾ける。 「オレが居た頃は、そのような技術は存在しなかった」 「は、はぁ……」 「小僧、オマエならもう調べているかもしれんが……ストゥーパはその半数以上の勢力が数年前に壊滅し、教団としての運営は不能となっているはずだ」 城石の声に聞き入っていた村田はハッとし、急いでキーボードとマウスを操作して資料を探す。 「当時、オレは二等神官の地位に居たが、死霊を取り憑かせるなどという技術は聞いたことが無い。一昨日のように集団でミッションを行うという事例も聞いたことが無い。戒律では、原則としてフィールドミッションは三人までと決まっていたからな」 同時に村田がデータファイルの中から一つの項目を見つけ出した。そのウインドウには、「新興宗教卒塔婆ストゥーパ、各施設が謎の爆発」と書かれた新聞記事が掲載されている。 「貴様らの調べたことが本当だとするなら……アレは恐らく外の技術だ。オレの知るストゥーパは教祖が全てだった。それ以上でもそれ以下でもない唯一神。それ以外の教え、概念は全て虚言と決まっていた――これで良いか」 人物に対する認識を変えなければならない、村田はそう感じていた。この男はそんなに悪い人物ではない。復讐だのと野蛮なことを言ってはいたが、案外コミュニケーションなんて取ろうと思えば取れる、と。 「ありがとうございます、良い情報になった」 「……礼を言われる筋合いなど無い」 「そうですよ村田くん! こんな悪霊にお礼なんてうぼぁああ」 工藤の頬をぐいと押しながら、小笠原が愛車のイプサムに右折をかけた。 「だからシートベルトしろっつってんだろがよ! 村田っち、お前もパソコンいじりすぎ! 目が悪くなるぞ!」 「それどこのお母さんスか、小笠原さん」 「ったくもうよー、みんなして好き勝手してくれちゃって……」 「止めろッ!!」 突然、城石が大声を上げた。先ほどの表情とは打って変わり、鬼気迫る形相で外を睨んでいる。 「おいおい何を言い出すんだよ!」 「いいから止めろ! 聞こえんのか!」 「ンなこと言われたって、ここら辺で止まれる場所なんか……」 小笠原が周囲を見渡す。住宅街の横を通る道路だ。ファミリーレストランなどがあれば幸運だったが、残念ながらそういった施設は特に存在していない。 「ええい使えん奴らめ! もう良い!」 刹那、車の中で身を起こした城石の身体が半透明に変化した。それは彼の身体の質量がゼロに等しくなったことを意味している。同時に、彼は車の天井をすり抜けて外へと飛び出した。 「うおあ!? おい! ちょっと待てよ!」 あっという間に道路の中央分離線を飛び越え、その後姿は遠ざかって住宅街へと姿を消す。 「どうしたんだよアイツは!」 「車を止めて下さい! もしかしたら復讐の対象でも見つけたのかもしれません!」 工藤が着けたばかりのシートベルトを外しながら叫ぶ。慌てた小笠原は、危うく反対車線にハンドルを切ってしまいそうになった。 「だああ! 今止められるトコ見つけてやっから座ってろ! ちっくしょぉー、問題児ばかりでよう、俺は引率の先生じゃねーんだぞ」 チラリと見えたファーストフード店の駐車場を頼りに、小笠原は車に右折をかけた。車内に居た村田は、窓に張り付いたままで既に見えない城石の背中を必死に追っていた。 「一体どうしたんだ、あの人……」 城石は走っていた。 辺りを朱色に染める夕焼けの中、道路を歩く人の姿は疎らのそれだ。そんな中、城石は息も荒く、キョロキョロと何かを探すように周囲を見渡しながら走り続ける。 「間違いない……ここは……」 城石はその景色に見覚えがあった。さっき走っている最中に見かけたファミリーレストラン、見慣れた電柱の姿、道路の隅にひっそりと開かれている煙草屋。平成初期の風情漂うその景色の中を、城石は自分の記憶を必死に手繰り寄せながら再び走り出した。 「ここは……ここは……!」 村田から借りたままのサンダルが情けない音を立てる。走り続ける城石の表情は歪み、必死な様相へと徐々に変化していく。 上り坂に差し掛かるが、その足は決して減速しない。城石はそのまま坂を上り切ると、一軒の家屋を目にしてぴたりと立ち止まった。 上がった呼吸を整える。既に夕陽は半分以上が地平線へとその姿を隠している。ゆっくりと足を前に進ませる。一歩、二歩、三歩……九歩目に差し掛かった所で、彼はその家屋の入り口にまで辿り着いた。 「……あった」 門の横にはめ込まれた古い木製の板には、黒いペンキで「多村荘」と書かれていた。城石は細めた目で古臭いその家屋を見上げ、中へと一歩を踏み出し―― 「ミカにゃーん! 今日のごはんはなんですかぁー!?」 ふと、家屋の中から声が響いた。城石が足を止める。 「うるせーなニート! アンタはおとなしく自分の家でメシを食え!」 「うっせーよ! もうニートじゃなくてフリーターだっつの!」 「僕も出てって欲しいな、クソベチさんが居ると美味しいご飯も一瞬で生ゴミだ」 「ンだとこらキムラぁ!」 「何ですか! やるってんですか!」 「まぁまぁ、君らちょっと落ち着いたらどうなんだ。あんまり大きな声を出すとですね、脳から有害な電磁波がこうブワァーっとですね」 「あんちゃーん、電磁波は良いからこっち手伝ってよ。もうすぐワタライ君も帰って来るんだから、早く準備しないと」 「はいはーい、手伝いますよー」 賑やかさを絵に描いたようなその声に、城石は出した足をそのまま戻し、無言で下へと俯いた。何時の間にか両手が拳を握っている。下を見つめたまま立ちすくみ、彼は暫しの間沈黙する。 「……」 再度、彼は多村荘の古びた家屋を見上げた。暫くそのまま見つめ続けていたが、彼は何かを諦めたかのように頭を振ると、フラリフラリとした足取りで別の方向へと歩き出した。夕陽が前髪と重なって影を作り、城石の顔を黒く覆う形で隠す。 ――ギリッ。 彼は歯を噛み締めた。 「おい! 居たか!」 「ダメです、影形すらも見えません」 「こっちにも居なかったスよ」 三方向の路地から集まる小笠原、工藤、村田の三人。肩で息をつきながら、何処とも無く周囲を見渡す。 「工藤、お前気配とかで察せないのかよ?」 「さっきからやってるんですけど、完全に魂の波動を遮断しているようで……」 「クソ、しゃあねえ、お前ら二人はここら辺探せ、俺はもうちょっと遠い所に行ってみる。見つけたならケータイに連絡寄越せ、いいな」 「OKッス」 「そんじゃな!」 駆け去っていく小笠原。その背中を目で追いながら、工藤は長めに息を吐いて呼吸を整えた。 「何か悪いことが起きてないといいんですけどね、ねぇ村田く……」 既に村田は別の方向へと走り始めている。慌てて工藤も駆け出し、その後を追う。 「ああちょっと待って! もう! 話くらい聞いてくださいよぉ! あいて!」 工藤が石を踏んで盛大に転倒しても、村田は見向きすらしなかった。 高台の上にある民家、その屋根の上に人影が二つ在る。その二人は申し合わせたかのような白いシャツとスウェットで、頭には白い黒子マスク――卒塔婆ストゥーパの信者の出で立ちだ。 「ねぇねぇどうするプラセンテ、全員一気にやっちゃう? やっちゃう?」 屈んだ姿勢を取る、やや小柄な信者が楽しそうに跳ねながら中背の信者、プラセンテへと尋ねる。彼ははしゃぐ小柄な信者の頭を押さえつけると、静かに、とつぶやいた。 「落ち着けサムエル、今はまだ夕方だ。俺達が幾ら死んでるからって、人目を憚らず襲い掛かるのは良くない」 「えー? じゃあどうするのさっ! どうするのさっ!」 サムエル、そう呼ばれた小柄な信者はプラセンテの周囲をぐるぐると走り回る。プラセンテはそんな彼を今一度頭を掴んで制止させる。 「夜になるのを待つんだ。M殿も言っていただろ、機を窺えって。サングラスとジャージはまだしも、あのキモい霊能力者はちょっと厄介。だから、バラけた所を仕留めるんだ」 「そっか! プラセンテってばあったまいーっ!」 「それに、俺達の目下の狙いは……分かってるだろ?」 腕組みをして駐車場に入っていく小笠原の車を見るプラセンテ。その肩にサムエルがぴたりとくっつく。 「勿論分かってるよプラセンテぇ、トンマージさんの抹殺でしょ? でしょ?」 「そうそう! 分かってるじゃないかサムエル! よーしよし!」 プラセンテが己の右肩にあるサムエルの頭を数回撫でる。 「マテラッツィ様の為にも、トンマージだけは確実に消さないといけないだろ、サムエル」 「僕達の屈辱を晴らすためにもでしょ!? 勿論だよプラセンテ! おふこーすっ! おふこーすっ!」 「よぅし、まずは姿を隠そう、狙うのはあの霊能力者だ」 白マスクの目に当たる部分に空いた切れ目の中で、二人の信者の目が赤く光った。マスク越しで分からないが、どうやら彼らは笑っているようだった。しかも、闘争と狂気に心を躍らせるような、穏やかではない笑みで。 風が吹いた次の瞬間、プラセンテとサムエル両信者の姿は跡形もなく消えていた。 プラセンテ達の場所からそう遠くない公園。 幾つかの街灯に照らされた公園は割と広い区画で作られており、ジャングルジムや砂場などのオーソドックスな遊具の他にも、ドーム型のクライミング・アスレチックなどが設けられている。 そのアスレチックの麓に当たる場所に城石は居た。アスレチックに背中を預けたまま、三人の若い男女に囲まれている。だがその表情は焦ることも恐れることも無く、ただただ無気力のそれだ。 若い男が、城石の顔の横へと荒々しく手を置く。 「ねぇねぇオニイサンさぁ、人にぶつかっといて謝れないって、マジダメじゃねぇ?」 「いいぞいいぞオダッチー! もっと言ってやれー!」 ショートヘアをした傍らの女が声を上げる。オダッチと呼ばれたチンピラ風の若者に胸倉を捕まれ、城石はアスレチックのコンクリートに背中をどんとぶつけた。 「なんかさっきからボーっとしちゃってけどぉ、何? ラリってんの?」 「キャハハハ! ラリってんのはオダッチっしょ!」 「そーそー! カイリちゃんのゆーとおりー!」 ロングヘアの女に賛同し、やたらとうるさい声を上げるショートの女。いわゆる、典型的なダメな若者三人だ。足元に転がっている酒缶が転がり、城石の鼻控にアルコールの臭いが触れる。 「アタマも白く染めちゃってオシャレだねー。とりあえずさー、ちょっとなんか肩バッキバキに痛ぇし、イシャリョー払ってくんねぇかな?」 すると城石は、何を思ったのか拳を作った右腕をゆっくり宙へと持ち上げた。 「お、なんだよー、払ってくれんの? いいねぇー、セーイあるタイオーじゃん」 ――ドゴッ!! 響いた破砕音。 振り下ろされた城石の腕はアスレチックのコンクリートを破壊し、埃と煙を上げながら大きな穴を開けていた。 「……失せろ」 無気力な表情のまま城石は呟いた。 三人の若者は一気に酔いが醒めたらしく、ゆっくりと城石から後退して離れ始めた。 「ね、ねぇ行こうよナオコ! なんかヤバイよこの人!」 「おう! ヤバイヤバイ!」 「ふっざけんなよバーカ! ちょっと力強えからって調子ん乗ンな! この筋肉!」 バタバタと公園の出口に消えていく若者三人から視線を離し、城石はアスレチックの麓にうずくまって目を閉じた。 「……」 城石は悔やんでいた。 「多村荘」の前に立った時、城石は自分の中にある種の衝動が湧き上がるのを感じた。それは正常とは程遠い狂気の産物と、懐古的な生前の記憶の入り混じったものだ。 “幸せそうな皆の声に安堵した、出来ることなら今の思いを伝えに行きたい” “お前らの幸せそうな声が気に入らない、滅茶苦茶にブチ壊してやりたい” 相反する二つの意思を自覚した瞬間、城石は自分が怖くなった。衝動ばかりが加速して、震え始めた手を見て彼は己を律することを選んだ。ここから離れなければならない。今の自分は、何が引き金になって誰を殺してしまうか分からない。 「何を今更……死に際、あれだけ酷いことをしておきながら」 自分の死ぬ間際のことを思い出し、苦笑する。 浮かぶのは己の姿。 同居人達を罵倒し、無理に己へ従属させようとし、踏み躙り、殴り倒し、高笑いを響かせる自身……そして、脳漿を飛散させたその無残な最期。 「何を期待しているのだ、バカめ。俺が迎えられるなど有る訳が無い。何も悔やむことなど無い筈ではないか。オレはもう死んだんだぞ」 ゆっくりと、持ち上げる表情は。 「だのに、何を涙することがある、バカめ」 赤い瞳をいっぱいに潤ませ、泣いていた。歪ませることも沈ませることもなく、ただ無気力な表情のままで涙を流していた。 「――うあああっ!」 悲鳴が響いた。そう遠くない距離。その声の主を城石は知っている。工藤の声だ。関係ないとでも言うように、そして逃げるかのように、城石は再び顔を伏せた。 あっという間だった。突然背後から現れた信者の攻撃から村田を庇った工藤は、鋭利な何かで背中を数箇所刺され、頭部に裂傷を負ってアスファルトへと倒れ伏した。 「工藤さん!」 血塗れになって倒れた工藤を二人の白装束が踏みつける。中背と小柄の二人。傍らには工藤が戦闘時に愛用している銀色の棒が転がっている。 「あーあ! つまんないねプラセンテぇ、もうボコボコだって!」 「そうだなサムエル、つまらないことこの上ない」 改造エアガン・ベレッタをジャンパーの内側から引き抜き、両手持ちにして構える村田。 「工藤さんから離れろ。威力を上げてあるから、当たればタダじゃ済まないぞ」 村田の姿を身を乗り出してまじまじと見つめる中背のプラセンテ、そして小柄のサムエル。二人の信者は顔を見合わせると、盛大に声を上げて笑った。 「何がおかしい! 撃つぞ! 脅しじゃない!」 「分かってない! 分かってないよコイツ! ねープラセンテ!」 「そうだなサムエル、俺達が……ただの人間だと思ってるあたり、愚か極まりない」 タダの人間じゃない? 心中でプラセンテの声を反芻した村田は、訝しげに二人を睨みつけながら、愛銃の狙いを定める。奴らは動じていない。そのことが村田の中に僅かな焦燥感を生み始めていた。 「む、村田くん……早く逃げろ、コイツらは……ごはッ!」 サムエルと呼ばれた小柄な信者が、工藤の腹を一際強く踏みつけた。 「あーれれぇー、おにーさんまだ喋れたんだぁー」 「ぐあぁ……!」 「どぉーしよっかなぁー、どぉーしよっかなぁー。このまま顎を砕いちゃおっかなぁー、おにーさんみたいなオタクっぽい顔って僕、嫌いなんだよねぇー」 小柄なサムエルが仰向けの工藤へとまたがってその顎を掴み上げる。苦しげな呻き声から、サムエルの力は相当なもののようだ。 半ば怒りに任せたような形で、村田は3点バーストをプラセンテ目掛けて発砲した。 「なっ!?」 一瞬、村田には何が起こったのかまったく理解できなかった。放たれた弾はプラセンテにダメージを与えず、あたかもその身体をすり抜けたように見えた。村田はたった今の現象を信じることが出来ず、再度エアガンを構えて発砲を試みた。 「うっ!」 刹那、地面を軽く蹴ったプラセンテは、まるで滑るように村田の眼前へと移動してベレッタを握る手と足首に打撃を食らわせた。痛みに銃を取りこぼし、バランスを崩した村田はプラセンテの右手に敢え無く首を捕らえられる。 「あぐ!!」 「クックク……可哀想に、己の力量を弁えずに傲慢になるから」 「そーそー! プラセンテの言うとおりっ! 言うとおーりっ! キャハハッ!」 瀕死の工藤から離れ、サムエルはぴょんぴょんと跳ねてプラセンテの隣に辿り着き、彼の左腕に背中を擦り付けた。 「俺達を普通の信者だと思わないで貰おうか」 「そうそう! 僕らってば凄いんだから! すっごーいんだからっ!」 息が出来ない。首の器官を絞め上げるプラセンテの力は異常に強く、村田の振り解きにもビクともしない。彼はやけに理知的なプラセンテと、幼稚なサムエルの両方に対して恐怖を持ちつつもあった。村田は見てしまったのだ。この信者達のマスクから見えた瞳と髪の色が、「赤色」と「白色」をしていたと言うことを。 「まさかお前ら……あく…りょ……!」 「ピーンポーン! よく分かったねー、偉いぞ偉いぞー!」 「だが残念ながらご褒美は無しだ。俺達は無駄な喋りは好まないのでね……さっさと、トンマージの奴を消してやらねばならないんだ」 トンマージ。 その名が誰を指すのか村田には分からなかった。伝道師Nが小笠原の身内だったこともあり、彼のニックネームかもしれない。そこまで考えた所で、村田は自分の身体が地面から離れているのに気付いた。 「か……は……!」 急激に薄れていく意識を、村田はギリギリの所で繋ぎ止めていた。唇の横から唾液が筋となって落ちる。プラセンテは左手を持ち上げると、村田の鼻先で指を揃えて手刀を作った。鋼よりも硬い爪がギラリと光る。本能的な恐怖が村田の背筋を駆け上がり、彼は自分がこれから殺されるのだと感じた。恐怖が増殖する。死にたくない、という恐怖が。 「さてと、では死んでもらおう。心配ない、地獄の住み心地はそれ程悪くは無い」 「そーそー! 快適快適っ! だーかーらぁー、殺してあげるねっ!」 危機感がいよいよ現実味を増し、思考の中で渦を巻く。村田は歯を食い縛った。 「く……そぉっ……」 「村田くん……!!」 「死ね」 村田の額めがけて繰り出される突き、顔を歪めた村田は死を覚悟した。 その瞬間だった。 霞んだ視界の中、音も無く現れた灰色の影が、今まさに自分を殺めんとする二 人の信者の背後へふわりと降り立った。 ドズッッッ!! 響いたのは鈍く重い音。村田は自分の頭が木っ端微塵に砕けた音かと思ったが、それを成し得る筈だった悪霊の手は接触寸前で止まっている。 「ぐは……!」 首を締め上げるプラセンテの手から急激に力が抜け、村田の体は地面へと落ちる。朦朧とする視界ながら、身体を起こして彼が見たのは――胸部を何者かの腕によって貫かれた、プラセンテとサムエルの姿だった。 「オ…マエ……トンマージ……!」 背後に視線を向けつつプラセンテが呟く。トンマージ、そう呼ばれた背後に立つ男は、鮮やかな白髪を風に揺らしながら顔を上げる。青ざめた顔に真紅の瞳――城石だった。 「……チャオズ」 パァン! 「がはぁっ!」 まるで風船がはじけたような乾いた音が響く。次いでブシュウッ! と何かが噴き出る音が続き、プラセンテとサムエルの胸部の穴から、更には口や目鼻から大量の赤い液体が弾け、村田の顔や道路へと飛散した。 獣を思わせる唸り声と共に城石は右腕を後方に振り、串刺しになったプラセンテの身体を投げ放った。その身体は直ぐ近くの電柱へ激突し、ぐちゃりと音を立てて地面へ落下する。 貫いたままのサムエルへと視線を動かし、城石はその身体ごと傾けさせて無理矢理に目線を合わせる。捕まった昆虫のように、サムエルはジタバタと手足を動かして抵抗していた。 「やめろっ! 離せ! 離せよトンマージ!」 目を大きく見開き、赤い水滴をこびり付かせた顔を近づける城石。彼は片手でサムエルのマスクを剥ぎ取ると、ニタリと薄気味悪い笑みを浮かべた。かぁぁ、と音を立てて口を開き、その首元へと近づける。 「な、何するんだよ! やめてよ……い、イヤだ! やめろ! 助けて! 助けてプラセンテっ! プラセンテぇぇっ! ヤだ! やぁっ! ヤだっ! ヤだぁぁっ!」 涙を流し、口からごぼごぼと何らかの液体を垂らしながら抵抗するサムエル。城石はサムエルが女性であることをその時初めて知った。 「……オマエ、メスだったのか」 「お、お願いだよぉ! なんでも、なんでも言うこと聞くからぁっ! やめてよぉ! ねぇ! トンマージさん!」 「何でも?」 「はい! 何でも、聞きますからぁっ!」 「なら消えろ」 クッと喉を鳴らして楽しげに笑い、城石はブシュッと音を立ててサムエルの喉笛に喰らいついた。小柄な女性信者は一度だけ大きく背筋を反らせると、口をぱくぱくとさせながら腕で何度も宙を掻き、暫くしてから村田へと視線を合わせた。思わず体を強張らせる村田。 「……た……すけ………て……」 ずるり。 村田の鼻先へとサムエルの指が迫るのと同時に、サムエルの身体は波打つように歪曲し、まるで蕎麦を啜るような音と共に城石の口へ吸い込まれて消えた。 「サムエル……!」 既に居なくなってしまったパートナーの名を呼びながら、プラセンテが腕を伸ばす。周囲には真っ赤な水溜りが出来ていた。その水溜りをびちゃりと踏みつけ、城石がその前に立つ。ごぼ、と音を立ててプラセンテの口から液体が漏れた。マスクが剥がれて、いつの間にか素顔が露わとなっている。優男といった感じの痩せた男だ。 「二度も俺達を殺すのか、え? トンマージ……だが何か変わる訳でもない。俺達が居ようが消えようが……間もなく、この国はストゥーパの物となる! もう、何も変わらないんだよ! トンマージ」 ゆっくりとプラセンテに近付くと、城石はその髪の毛を掴んだ。 「その名で、オレを、呼ぶな」 「バケモノが……!」 ずるり。 城石がプラセンテの頭に牙を立てる。サムエルの時と同様、その身体は歪曲して城石の体内へと吸収され、消えた。そうしてから、城石はゆっくりと村田の方へと振り返った。 村田は黙っていた。と言うよりも声が出せなかった。たった今目の前で起こった凄惨な捕食劇と、身体中に付着した赤い液体の恐怖にただ打ち震えることしか出来なかった。ゆっくりと近付いて来る城石の目が、影の中でも爛々と赤い光を帯びているそれが、村田の恐怖に拍車をかけた。 「オレが怖いか、小僧」 その表情は見えない。しかしその瞳が、瞳だけがハッキリと光を宿し、射抜くが如く鋭い視線となって村田へ向けられ続けている。 「そうだ、怖いだろう。オレはバケモノだ」 ガチガチと歯が音を立てるのが聞こえる。今すぐ逃げ出したい、そう村田は思ったが、悲しいことに足に力が入ってくれなかった。 「だがそれでいい……これがオレなのだから。だからもうさよならだ」 村田の眼前で立ち止まった城石は、座り込んだままの村田を見下ろして言った。 「貴様らとて、オレのような訳の分からない存在と共に居るのはイヤだろう、好都合の筈だ」 「そんなことは……な…いッスよ……」 「ある。少なくともそこの零能力者ならそういう筈だ」 倒れたままの工藤が顔を歪めた。村田は何とか城石に視線を合わせていたが、身体に走る震えを止めることは出来なかった。死人とは言え、人間の形をしたものが殺められる光景を見るのは流石に村田も初めてだった。第一に、日常でそんな光景に遭うことなどそうそう無い。 「オレの目的は貴様や色眼鏡とは違う。そもそもオレは死人だ。死人は死人、生者の貴様らと、所詮相容れることなど出来はしないのだ。だからオレはもういい」 言いながら、村田から視線を外して別の路地を目指す城石。 「……俺にはそんなの……関係ないッス」 城石の後姿に、村田は辛うじて絞り出した声を投げた。刹那、反転した城石はすばやく村田の襟首を掴み上げると、ギリと歯を食い縛って睨みつけた。 「貴様は生きているからだ! 生きているからそう言えるのだ!」 「うぐ……!」 「貴様が死ぬまでオレのことなど分かりはしない、だのにそんな口を叩くな! 元居た現世にはもう関われず、人や物を想うだけで禍を起こす原因になる。何が起こるか分からない。誰を傷つけてしまうか分からない! その怖さは貴様には分からぬ! 自由を許されないこの苦しみは絶対に!」 「分かんないよ……俺は生きてるからさ、でも……」 「何だ!」 「俺とアンタと……どこが違うんだよ……」 城石は怒声を止めた。赤い斑点がこびり付いた村田の表情はすっかり疲れきっていた。 「同じじゃないスか……自分の過去に囚われてる所なんか特にさ。いつまでも消えねー過去に囚われて、今も前に進むことが出来ないバカ野郎ッス」 「過去……?」 「誰だって悔やむ過去はある……俺だってそうさ。捨てられない過去があって、未だに離れられない、アンタの復讐と同じにな……!」 城石の手首を村田が掴む。 「生きてるか死んでるかなんて関係ねえよ、やりたいことがあるならやればいい。アンタがそれやって誰に迷惑掛けたよ……自分自身にビビってんじゃねぇよ」 「ビビってなどいない! 許されないんだ! 許されないことだから……」 「俺は許す!」 逸らしかけた視線を城石が戻す。村田の目は臆す事無く、疲労の色を見せながらも悪霊の瞳を射抜いていた。 「俺は許すよ……アンタはこの世に戻ってきたんだ……誰からか知らないけどチャンスを奪い取ったんだ。それを使って、何が悪い……!」 城石の手から力が抜け、村田が地面にへたり込む。 「……城石さん?」 城石は泣いていた。 歯を食い縛り、まるで悪戯を咎められたような子供のような表情で顔を歪め、肩を震わせて泣いていた。嗚咽を漏らすその悪霊は力無くアスファルトへ膝を落とし、尚も泣いた。 「おいおい、何があったんだこりゃ」 聞こえた声に、工藤は何とか顔を向けて後方を見る。そこにはいつの間にか小笠原が立っており、手には一冊の本を持っている。倒れた工藤に肩を貸しながら、彼は座り込んで泣き続ける城石を眺めた。 「て、敵に襲われたんですよ……今までどこに居たんですか……」 「悪い、ちょっと気になったことがあったんでな、調べてた」 「その、本は……?」 工藤が本を指して尋ねる。小笠原は本を持ち上げると、城石を見たままで工藤へと差し出した。 「“白い教えの者達”、俺が宗教題材の芝居を作ろうと思ったキッカケの脚本だよ。後輩の一人が出版社に勤めてて、初めて編集した本だからどうぞ、って言われて貰ったんだが……コイツに、城石の死ぬ瞬間が詳しく書かれてんだよ」 「え!?」 言うなり、小笠原は無言で本を開いて工藤に見せる。開いたページには「登場人物」と書かれていた。 「ソレの四人目に書かれてる役だ」 指示されるままに工藤は探し、そこに書かれている文章を読み上げた。 「白石、宗教団体“卒塔婆ストゥーパ”の二等神官……え!?」 「俺もビックリしたぜ。城石を探してる最中に、偶然この話に出てくる下宿と同名の“多村荘”ってアパートがあってよ。まさかと思って訪ねてみたんだ、そしたら誰が出て来たと思う? この本の作者だよ」 小笠原は一旦肩で大きく息をつく。彼自身、降って湧いたような偶然のオンパレードに聊かの戸惑いを覚えていた。閉じられた本の表紙には、“著・度会博文”と記されている。 「何でも、二年前にその下宿で当時のストゥーパが事件を起こしたらしくてな。この話はその事実を克明に芝居にしたものなんだそうだ。この事件の折にあいつは死んだらしい。この作者、城石のことをよく知ってたよ」 「それで……奴はどういったキャラクターなんです……?」 工藤の質問に、小笠原はゆっくりと話し始めた。視界に捉えたままの城石を見ながら、まるで重ね合わせるかのように。 「“白石”は新興宗教に入れ込む若者だ。教団から逃げ出した教祖を探す密命で行動してて、やっと見っけたのは良いものの、最終的に教祖の機嫌を損ねて殺される悪役だ」 「じゃあ……つまり、彼は自分の信じていた教祖に、殺された?」 「そういうことになるな」 「そんな……」 工藤の脇腹に手を伸ばしてしっかりと支えながら、小笠原は村田達の方へと近づいていく。 「作者の度会さんは、この作品を出版して新興宗教の怖さを世に伝えたかったらしい。同時に、報われない死に方をした城石への弔いの意味を込めてな」 数歩分、城石の後ろで足を止める小笠原。未だに城石は泣き続けている。既に両手までを地面に置き、まるで村田に土下座するような格好で、声を上げて泣き続けていた。城石自身、己の感情がどうなっているのかはよく分からなかった。悔しさと嬉しさがごちゃ混ぜになったそれは、行き場をなくして唯、涙として流れるしかない。 心に浮かぶどうしようもない願望を、城石は口にする。 「もっと生きたかった……俺は……もっと――」 村田には何も出来なかった。小笠原も工藤も同じだった。慰めの言葉などかけても無駄なのは分かっていたし、城石の心境を理解することなど出来ないからだ。 少しだけ考えて、村田は現実的な言葉をひとつだけかけることにした。 「俺にはアンタが必要ッス」 城石は、縋るものを手に入れた。 【05に戻る】 【駄文TOPへ】 【07へ進む】 ジャンル別一覧
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