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ダメダメパンツァー駐屯基地

ダメダメパンツァー駐屯基地

09:絶望グラップル

09 絶望グラップル




今より三ヶ月前。
小笠原蓮十郎はカルト宗教団体を扱った脚本を書くべく調査、取材を行っていた。
今現在日本で活動している団体や、過去に存在した団体、実際にそれに入信している人物へのインタビュー(無論、本来の目的は言わず、「新しい教えを乞いたいのです!」などと適当な理由付けをして)を行ったり、その事件に関わった人物を尋ねたり、といった具合だ。
小笠原がその家に立ち寄ることとなったは、卒塔婆ストゥーパの前身になったとも言われるカルト宗教団体、「ユリアン新教」を調査している時だった。現在は原因不明の理由により消滅したと言われるこの団体は過去に幾つもの事件を起こしたとされ、実際にその被害に遭った者達が結束して「被害者の会」を作るほどであった。
この日小笠原が尋ねた婦人もまた、そのコミュニティに属して新興宗教の撲滅を願う一人だった。「絶対に内容を公言しないこと」を条件に、取材に応じてくれたのだった。出されたお茶に手をつけず、小笠原はテーブルに置いたメモ帳を開く。
「それじゃ、今でもお戻りになられていないと?」
婦人はタンスの上に置かれた写真を見ながら、寂しげに瞳を閉じた。写真の中には親子が並んで笑っている姿が映し出されている。婦人の子もまた、ユリアン新教によって人生を狂わされた者の一人であった。
「今、あの子が何処で何をしているのかは全く分かりません、けれどね、あの子は確かに被害者だったんです。本当は苦しまなくて良かった筈なんです。どうして、あの子があんな目に遭わなくちゃいけなかったのか……」
言いながら、婦人は一冊のノートを取り出した。小笠原が両手でそれを受け取り、表紙を眺めて訝しげな表情を浮かべる。
「これは?」
「あの子の日記です……良ければ読んであげて下さい。もっとこれを早く見つけてあげられれば、こんなことには成らなかったかもしれないのに」
婦人はあくまで感情的な部分を出すのでなく、落ち着いた様子だった。傍らに居た猫が畳の上をとてとてと歩き、婦人の膝元にのぼってくるりと丸まる。その様子を見た後、小笠原は「失礼します」と呟き、軽く会釈しながら日記を開いた。
そこに書かれていたことを見る内に、小笠原の表情はみるみる内に険しいそれへと変化していく。眉間に筋を立て、目を細め、口を固く閉ざし、手には僅かな震えすらも起こり始めている。それ程、日記の内容は混沌に満ちた壮絶なものだった。
ユリアン新教への恨み、実の親や名指しにした友人、知人と思われる者達の罵り、そしてこの世の中が誤った秩序によって統率されていることがぐちゃぐちゃの文字で殴り書きにされていた。
更には「人間」と頭に書かれた棒人間が一列に並び、その全ての首が空へとすっ飛んでいる絵。「赤ん坊」「母親」と書かれた棒人間がそれぞれ植木鉢に植えられている絵。「アメリカ」「中国」「韓国」「北朝鮮」とかかれた四角形の上に立つキノコ雲の群れの絵。この世のありとあらゆる混沌を表したような絵と共に怨恨、憎悪の言葉がそこら中に散りばめられており、字の悪筆具合もページが進むごとに酷さが増していた。
「こ、これは……」
小笠原は戦慄した。
これほどまでに追い詰められた人間とは、一体どのような思考の境地に辿り着いていたのだろうか。想像すればする程頭がおかしくなりそうになり、それ以上の詮索はやめることにした。
日記を読み進む内、小笠原は一番最後のページへと辿り着いた。そこから先のページは思い切り破かれており、最後のページ自体も半分までの位置で破り捨てられている。不思議なことに、これまで悪筆が嘘のように綺麗な字で書かれており、一見すればそこに狂気などのイレギュラーな要素は見つからなかった。
恐る恐る、小笠原は最後の日記を読んでみる。

月  日 ( )  
もはや私に時間なんて関係ない!!

私はついにチカラを手に入れた。
するべきことはただひとつ。私をこの煉獄のどん底に叩き落した者どもを裁くんだ。
私ならば出来る。出来る。出来る。出来る。出来ないことなど、あるはずがない。
己によって磨かれ、一人の神への第一歩を踏み出した私ならば、恐いモノなど何もない。
さぁ、前を向け私。
消し去るのだ。
消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。
殺せ殺せ殺せころせ殺せ殺せころせころせころせころせころせころせコロせころせころせころせコロせころせ殺せ殺せ殺せころせコロセコロセ――――セえ殺  こ ろ   す

私は生まれ変わったのである。私の名は

そこでページは破られていた。


回し蹴りのモーションで宙に出現した伝道師Mは、工藤の胸部に強烈な一撃を食らわせ、その身体を後方へと吹っ飛ばした。
「ぐああっ!」
木の幹に背中から激突して地面に転がる工藤。
「くっ……そ! ッ!?」
倒れた姿勢ながらも何とかMを確認しようとする工藤だったが、既にその姿は無かった。Mは工藤が今見ている方向とは真逆の背後に立っていたのだ。高くその右脚を振り上げた状態で。
「がはあッ!」
倒れたままの工藤の背中へと強烈な踵落としを炸裂させたM。背中を襲った重い衝撃に、工藤は身体を仰け反らせ、再び地面に身体を落とす。Mは無表情のままで相手を見下ろし、ぐり、と踏みつけるヒールに捻りを加える。
「……ブザマね」
「っく……! うおあああっ!」
雄叫びを上げた工藤は、背面のM目掛けて棒で半円を描く。が、既に相手は其処に無い。つい今背後へ向いたばかりの工藤、その更に背後へと回っていたMはその頭を思い切り蹴り上げた。衝撃で浮き上がる工藤の身体。Mは更に瞬間移動で工藤の横にへばりつくように移動し、脚部で半円を描きながら、肩口目掛けてブーツの前面を激突させるソバットを繰り出した。
「ぐっうう!」
吹っ飛ばされつつも地面に両足と、次いで右手を突いてブレーキをかけ、工藤は何とか応戦の構えを取る。しかし既にMは居なくなった後だった。
「く! くそっ……! 何処だ!」
ズキリと左肩に痛みが走る。
先刻、頭部を狙った“仕置き”の奇襲攻撃は何とか避けたものの、Mが繰り出した重たい踵落としは左肩を直撃して強烈な痛みを生むに至った。歯を食い縛ってそれに耐える工藤。鎖骨か肩甲骨、どの骨かは分からないが肩に組する骨の何れかが折れていてもおかしくない。更に頭からは血が流れ、服の下では何発もの蹴りを食らった箇所が鈍痛を放ち続けている。
「痛そうね」
上方の何処かから響いたその声。何とか両手で棒を構えながら探すと、一本の木から横に走る枝にMは居た。レザージャケットにホットパンツ、長髪まで全てを黒に包んだその出で立ちを、工藤は強く睨みつける。
「四人の中では貴方が一番厄介、そう聞いていたのだけど……そうでも無かったわ」
「なんだと?」
「弱いってことよ」
シュピッと音を立てて掻き消えるMの姿。直後、工藤の両脚に衝撃が襲った。足払いの下段蹴りで下半身を掬われ、工藤の身体はうつ伏せ気味に宙へ浮いた。
しまった、と思いつつも何とか棒を地面に突き、次いで襲い来るMの蹴り上げを工藤は身を捻って回避した。更に連撃を繰り出すM。蹴り上げた右足を一旦引き、横薙ぎの蹴りを放つ。工藤は何とか棒で防ぐと、そのままMの脚ごと敵の身体を持ち上げんとする。
「なめるなぁ!」
大腿ごと棒にマウントされ、そのまま宙に浮いたMの身体を目掛け、工藤は渾身の打突を繰り出す。見事にMの腹部を捕らえたその一撃だったが、Mは吹っ飛ばされながらも瞬間移動を行った。
現れた場所は工藤のすぐ側面だ。相手に飛ばされた慣性を十二分に乗せた肘打ちを、Mは相手の顔面目掛けて振り払う。
「うおっ!?」
咄嗟にMとは直角にステップして避ける工藤。棒を後ろ手に構え、立てた右手を身体の前に出して構える。Mは受身を取りながら回転すると、右腕を腹の位置で水平に置いた。
「なるほど……そういう使い方もあるんですか、その力は」
頬を伝う血が熱い。工藤は超能力の恐怖と、また自分の立場から来るジレンマに悩まされていた。自分の力はあくまでも幽霊相手のものであり、人間相手に使用するということは魂に要らぬ衝撃を与えてしまうことになる。自身が危機に瀕しているとは言え、それをすることが果たして正しいことなのか否か、と。Mは打突の触れた腹部分を数回撫で、ふぅんと声を漏らした。
「まだヤれるだけの力は残っているようね。私が女だから手加減していたのかしら? もっと本気でいらっしゃいよ。別に気遣いするような間柄じゃないでしょ?」
「生憎と手加減なんかはしてないよ。ただ、僕はあまり人とケンカをして良いような立場じゃないんでね……お前の宗教の教えじゃ、人をこんなに痛めつけても許されるのか?」
「“降りかかる災いは己の力で切り開く。私達一人一人が神であり、信ずるべきは己の内にある魂”……私の前に災いとして現れた貴方が悪いのよ、残念だけど。そう言った点では、私は貴方のような俗人を既に超越した位置に居る」
クスクスと笑いを浮かべながら首を傾げ、工藤へ指を向けるM。
「立場に縛られて行動を起こせない貴方とは、何もかもが根本から違うのよ」
つまりはだ。
災いと見なしてしまえば、何でもかんでも問答無用で壊していいってことか――随分と都合の良い戒律だ。それも、いちいちカチンと来る言い方で説いてくれる。工藤は心中に生まれたそれら嫌悪感を闘志に変え、この強敵を淘汰する策を考えるために脳をフル稼働させる。
とにかく、一にも二にもあの瞬間移動を何とかしなければならないのだ。
息つく間もなく死角に回りこまれ、反撃に転じようにも先ずは第一撃の回避を前提とする。
(幾ら敵でも殺すなんてダメだ。そもそも僕、除霊したことあっても殺すなんてしたことないし。何とかして魂部分に直接ダメージを与えて気絶させるしかない……けど瞬間移動を封じる手立てってどうすればいいんだ。ああくそ、ムーの超能力系の記事をちゃんと読んでおくんだった! くっそぉ!)
自分が怖気づいていないことが何よりの救いだった。Mはと言えば、水泳選手よろしく小さなジャンプを繰り返している。まだまだ余裕なようだ。
「沢山色んなこと考えてるみたいねぇ、でももうダメ。貴方はここで終わりよ。諦めなさい」
Mが手袋付きの手で自らの大腿をゆっくりと下から撫で上げて示した。“今から、この脚が、お前を砕く”と。
にぃぃ…と狂気に心酔するその笑みを見て、工藤はこの女が自分を甚振っているのを楽しんでいること、そして残念ながら彼女が人間を痛めつけることに精通している事実を知った。
(くそ、くそ……どうする!)
心中で愚痴を垂れながらも構えを取る工藤。
「……おとなしくしてれば痛くしないのに、可哀想な人」
「友人の信頼がかかってるからね」
「男は大変ねぇ、そんな不安定な幻想を守らなくちゃいけないなんて」
身体のどこかを動かすたびに痛みが走り、顔が歪む。それでも何とか足を立たせ、工藤はM目掛けて突進した。
「幻想なんかじゃないさっ!」
右、左と棒が連続で半円を描かせ、くるりと一回転させながら引き、頭部を狙った打突へ変化させる連撃を繰り出されるも、Mは全て後退しつつ回避する。
(ここまでは読み通り、次だ!)
反撃とばかりにロー、ハイキックを繰り出すも、負けじと工藤も回避で攻撃を受けない。Mの目が僅かに輝きを増し、その姿が掻き消える。
――来た、瞬間移動!
棒を長持ちにして、反射的に工藤はその場で身体をターン、時計回りに一回転で棒を薙ぎ払った。
「んうっ!!」
工藤の右斜め後方に移動していたMは払いの直撃を受け、回転しながら地面へ着地した。
(当たった!)
今しかない、そう考えた工藤は尚も突進して猛攻を仕掛ける。身体中の間接が、鉛を括り付けられたかのように重たい。工藤は痛みと疲労でふらつく意識に渇を入れながら棒をしっかりと握り、Mの身体めがけて横薙ぎに払う。
「生意気っ……!」
再びMが瞬間移動を行った。消えたと驚くより先に、工藤は棒を手元で高速回転させ、そのまま身体の周囲を走らせるように上、左、右、背面の軌道で振り回し、見事に上方に出現したMに直撃させて弾き飛ばした。喜ぶ間もなく、空いた左手に二本指を立てながら意識を集中させつつ、まだ滞空したままのMに狙いを定めながら走り出す。
「オンキリサレングーレイソワカ! オンキリサレングーレイソワカァッ!!」
緑色のオーラが現出し、工藤の左手で白熱化したように輝き始める。工藤がその左手で棒を握ると、霊力で作られた光が棒へも宿り、それ自体を強烈な武器へと変える。
「はああっ! 先勝スラッシュ!」
地面に着地せんとするM目掛け、閃光の棒を振るう工藤。だが手応えは無い。Mが既に瞬間移動で回避したと、工藤の頭は直ぐに理解した。
「くそっ! つくづく便利じゃないかっ!」
棒を持ち直しながら工藤は近くに在った大木に背を置き、周囲に目を走らせる。
(どうだ、これでも死角から来れるか……現れた瞬間に仏滅ショットを喰らわせてやる!)
オーラの残る左手を掌底で構え、カバー出来る視界一杯に迎撃体勢を取る。
(どこだ……どこから来る……!)
Mが移動する際に起こる、あの霞のような音が僅かに二、三回ほど聞こえた。血みどろの皮膚を汗が筋となって落ちるが、拭い去っている時間は無い。自分の荒くなった息を数回聞いた、その直後。
――シュピッ!
直ぐ近くで響いたその音に構える工藤。だが、Mの姿は未だに視界の何処にも現れていない。上でも左右でも、まして真正面でもない。何処かと探している内に、バギッ!! という凄まじい破砕音が起こり、背後にある大木の逞しい幹が左方向へと吹っ飛んだ。
えっ!?
宙に舞う幹の破片を弾き飛ばしつつ現れたMは、滞空した身体を捻り、未だ状態を把握していない工藤の顔面へ強烈な回し蹴りを叩き込んだ。
キリモミ回転を加えられ、工藤の身体は宙を舞って地面に落着する。少し遅れて、彼の得物も地面に落下して空しい金属音を立てた。
「ぐぁ……あ……」
剛の印象を欠片も無い、優美な挙動で着地するとMは右膝を持ち上げ、ヒールの付け根部分にあるスイッチを押した。シャキッ! と音を立ててヒールの底部分から、十センチはある太い針が飛び出した。
工藤の背骨を怖気と危機感が駆け上がる。無表情で髪を大きく振り乱し跳躍するM、刹那にその姿は掻き消え、工藤の上方数mの位置へと現れた。
「うわあああ!」
絶叫する以外、工藤にはできることが無かった。
「さよなら」
前蹴りの態勢で右脚に力を込めるM。ドズッと鈍い音が響き、周囲へと鮮血が迸る。
「なに……!?」
顔を歪ませるM。針は確かに突き立った。だがそれは工藤の頭部ではなく、両者の間へと身体を滑り込ませた人物の背中だ。
「し、城石!?」
工藤の眼前で揺れる真っ赤に染まった白髪。ギリと奥歯を鳴らし、顔を歪ませたままの城石はMの脚を掴み、絶叫しながら何処とも定めずにオーバースローで投げ飛ばした。Mの身体は地面に激突しながら芝生の上を転がる。
同時に城石はゴホッと咳き込み、フラつきながらも工藤の手を持って引っ張り上げる。何かの違和感を感じつつも立ち上がった工藤は、城石の首が前後逆になっていることに気づいた。
「だ、大丈夫なのか、その首は」
右手を額に回して頭部を掴むと、城石は平然と力を込めて百八十度回転させる。
「フン、貴様に心配される謂れはない。オレのことを置き去りにするような奴に……貴様礼はどうした。人に助けられたら“ありがとう”とママに習わなかったのか、このオタクが」
ゴキゴキゴキッ! と耳障りな音を立て、工藤のことを罵りつつ首の位置を戻して振り向く城石。その姿を見ながら、工藤はその身を案じたことを後悔した。
「借りにしておくよ。それよりも一つだけ聞いておきたいことがある」
「何だ?」
「僕と組むのとあの女に負けるの、どっちが嫌だ?」
見れば、Mは地面に手を突いてゆっくり起き上がる所だった。長く垂れた髪の間から覗く目には無機質ながらも先ほどにはない“憎悪”があった。
「どちらも願い下げだ。組んで欲しいなら組んで欲しいと言えよ」
「言うと思った。そもそも期待なんかしちゃいないさ」
スイッチを押して針をヒールに戻し、完全に立ち上がるM。頬についた泥を拭うと、チッと舌打ちを吐き捨てて二人の男を睨んだ。大きく見開かれた金色の瞳が鈍く光る。
「なら礼は小僧に言っておけ。これは全て奴の為だ。貴様の為などではない、断じて」
「それは奇遇だね、僕もだ」
Mはベルトの後腰に着けたホルスターを開き、ナイフ状に弧を描いた銀色の刃を取り出し、宙へと投げ放った。それ目掛けて左右の踵落としを一回ずつ繰り出せば、金属的な音と共にソールの先端から中腹へ、スケートエッジ状の刃が装着された。
「悪霊だったのね……二人掛かりで大した卑怯者ね。女に屈するのはそんなにイヤ?」
「御免だな、まさに死んでもイヤだ、という訳だ」
「……足を斬り落とすだけで勘弁してあげようと思ったけど、もう許さない」
「ほう、生意気な口を叩く女だ。ならどうすると言うんだ?」
顎を持って首の具合を調整しながら尋ねる城石に、Mは無表情のままで目を大きく見開いて返す。
「貴方達の粗チン、細切れにして口に突っ込んだげる」
ルックスからは想像もつかない下品な台詞に工藤は耳を疑った。一方の城石はさも楽しそうにニヤリと笑っていた。準備運動のようにその場で小さく跳ねると、Mは僅かに疾走して瞬間移動、消失した。
「来るぞ!」
「指図をするな」
工藤と城石は同時に背中を合わせて身構えた。


事件メモ12・津田沼雑居ビル集団失踪事件
関連団体:「ユリアン新教」
[経緯]
2002年1月に千葉県習志野市津田沼にて起きた事件。津田沼市街にある雑居ビルの合同従業員室(地下一階に位置)にて、ビル内にあるゲームセンター、花屋、アニメショップの従業員合わせて六名が忽然と消失。通報者はゲームセンターの男性従業員と花屋の女性従業員。従業員同士の諍いからケンカとなり、二人は避難の為に一旦外出、暫くして突如地震に似た大きな揺れを感じ、戻ってみると従業員は全員消えていた。
[ユリアン新教との関連]
残された二人の証言によると、失踪直前に花屋の店長である 氏が自らの宗教へ同ビルの従業員達を無理矢理入信させようとし、トラブルに発展したとのこと。事実、同氏は新興宗教団体「ユリアン新教」の熱狂的な信者であったことが遺品より発覚。これにより、警察はユリアン新教への捜査を開始する。
[その後の捜査]
通報者の証言にはいささか判断しかねる部分があり(警察は「事件後のショックと混乱から来る妄想と判断」)、また同教団が事件への関与を一切否定し、また関与の明確な証拠も見つけられなかったために捜査は難航。遺族やマスコミらは次第に警察へのバッシングを強め、これに狼狽したのか、警察は捜査を通報者である従業員二人に絞った。その後、男性の方は自殺、女性の方は蒸発し行方不明。原因は二人を犯人と糾弾するマスコミの過剰な報道と、脅迫に近い取り調べのストレスとする説が有力。現在もこの事件の全容は解明されていない。「平成の三億円事件」などと呼ぶマスコミも多く、警察からの新たな情報も開示されていない。
[備考]
余談だが、この事件の二年後に「ユリアン新教」は本部と支部、合わせて四つの施設が何者かの襲撃を受け、信者合計263人が全員死亡し団体は事実上消滅。被害者は何れも鋭利な刃物のようなもので後頭部を一突きされ、即死。目撃者及び生存者はゼロ。こちらの事件も現在捜査継続中である。

過信が確信に変わる時というのは、得てして言い様の無い奇妙な自信を感じるものである。ハッキリとした理屈や確証では論述出来ないが、腹の奥から沸々と湧き上がり、口元へ自信の笑みを浮かべる確信。小笠原は今、その感情の真っ只中に居た。自分達を襲撃した女刺客、伝道師Mに関する情報を得ていた自分が幸運なのか否かは、いまいち判断しかねる所ではあったが。
「事件メモ」と書かれた、小笠原のノートを読みふける村田。それへ僅かに視線を送ってハンドルの手をずらすと、手汗が光を反射しているのが見えた。緊張の証だろう。粘膜が張り付いた喉へ咳払いを落とし、彼は言う。
「その目撃者二人への報道はな、そこに書いてある以上に酷いモンだったと俺は聞いている。実名での報道、連日のマスコミによる待ち伏せ、近所からも白い目で見られ、週刊誌なんかじゃ過去のことまで大々的に報じられて……相当なストレスだったと思う」
荒れた路地へ入った車はやたらと揺れ、運転の気は抜けない。手に持ったノートの内容と、小笠原が辿り着いているであろう仮説が浮かび、村田は一回だけ頭を振った。
「でも……でも、だからって……そんなの有り得ないッスよ」
「俺だって信じたくはねぇさ。だが俺にはこう思えてならねぇ」
言葉にするとより現実味が増すような気がしていたが、小笠原は意を決して口を開いた。
「あの女は、伝道師Mは“幸福の竜”で復讐の力を手に入れた。そして、自分の人生を滅茶苦茶にした元凶、つまりユリアンの信者を、皆殺しに……」
事実上、あの瞬間移動の力が有ればそれは可能なのだ。村田も小笠原も馬鹿ではない。予想くらいなら幾らでも出来る。
小笠原はあの日記の一文を思い出していた。

私はついにチカラを手に入れた。
するべきことはただひとつ。私をこの煉獄のどん底に叩き落した者どもを裁くんだ。

消し去るのだ。
消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。消し去れ。


同時に部屋に飾られた写真も思い出す。目の色こそ違うが、ちらりと見えたMの顔は被害者の女性と全くの同一であり、残念な事に小笠原の記憶力は確かなものだった。
「俺達じゃ勝てないと……そう言いたいんスか」
ノートを読みつつ村田は顔を顰める。記された事件が起こった当時、村田は高校生だ。近所だったこともあり、印象くらいは残っていたものの、まさかこのような顛末を迎えていたとは思いもよらなかった。仮面を外した女の顔は無機質のそれだった。あまりにも冷たく、人間の持つ表情と言う表情を消し去ったような印象。あの顔の内側にはどれほどの憎悪と怨嗟が渦を巻いているのだろう――村田の想像力では及ばなかった。
『そうよ、私の仕業』
『貴方達は名乗らなくていいわ、必要ないから』
『名前と顔は、十分すぎるほど記憶から読ませて貰ったから……ね』
掛けられた僅かな言葉を思い出すも、それは村田の想像の手助けと成り得なかった。敢えて言うならば今隣に居る小笠原の姿こそが説得力の源だ。その尋常じゃない怯えぶりは、いつもの小笠原とは全く違うのだ。違いすぎるのである。
「俺らじゃ足手まといにしかなれねぇんだ。この仮説が当たって欲しいとは思わねぇ。だがもし当たっちまったなら……俺達の中で勝てるなら工藤なんだ。アイツだったら、あの女をやっくれるかもしれない。情けねぇがよ、今は奴に託すしか――」
直後、不快な金属音と共に車が急停止し、思いがけない衝撃に小笠原は危うくハンドルに頭をぶつけそうになった。ブレーキは踏んでいない。停止の原因を探せば、サイドブレーキのレバーが上がっているではないか。それも村田の手によって
「何やってんだテメエ! 俺の車ブッ壊す気かよ!」
「分かったんです」
「何が!」
「あの女を退ける方法ですよ!」
村田が真剣であることを小笠原はいち早く察した。村田はドアを開いて外に出ると、後部座席の更に後ろのスペースを探り長いバッグを取り出した。中身は彼の持ってきた大型の改造エアガンだ。取り出したのは大柄なアサルトライフル。小笠原の記憶によればG3と呼ばれるタイプのものだ
「おいっ、どうする気だよ!」
「もしかしたら、あの人を止めることが出来るかも。俺にだったら……いや、俺だからこそ出来るかもしれないんス」
「はぁ? 何バカなこと言ってんだよ! 戻るなんて俺ァゴメンだぞ!」
「分かってます。俺の推論で終わるかもしれない話ッス、だから小笠原さんは先に行って下さい。勝手なことばっか言って、ホントにすいません」
後部座席のドアを閉めると、村田はライフルのスリングベルトを右肩に提げた。表情に余裕は見えない。しかし、確信にも似た何かがそこには有る。小笠原は訝しげに顔を歪めつつもそれを感じた。先刻に自分が感じていた同質の、不定形な確信から来る表情だ。
「お前! じゃあY・Bはどうすんだよ!」
数歩だけ走り出した村田は、背中を向けたままで直ぐに止まった。
「やっと見つけた手がかりじゃねーのかよ……良いのかよ、こんな所で諦めちまって。三年も掛けたんだろ。ダチの……相川くんの行方の為に。毎晩魘されながら、一人で努力してきたんじゃねぇのか?」
数秒の沈黙を置き、村田は息を吸ってライフルの位置を直した。
「すんません。確かにそれは大事なことッス。けど、あの二人を巻き込んじゃったのは俺だし……何もせず見捨てるなんて、俺はやっちゃダメなんス。一度誰かを見捨てた人間は、二度とそれをしちゃいけないんス。二度同じことを繰り返す馬鹿に、俺は成りたくない」
お前のせいじゃ、と言いかけて、小笠原は続く言葉を飲み込んでしまった。村田の中にある行動の源――罪悪感の大きさが相当な物であると感じた故に。
「そんじゃ、また」
村田は振り返る事無く、そのまま一気に走り出して来た道を戻って行く。小笠原はリアウインドウ越しにその背中を見ていたが、やがて舌打ちを一つだけ吐き捨てて、開いたままの助手席を引っ張り運転席へと戻った。理解不能な苛立ちが胸元を昇り、頭に募る。
「どいつも……こいつもよぉ!」
勝手な事ばかりしやがって。小笠原の不明瞭な怒りは、拳と成ってハンドルを殴りつけるに至った。数十分前は四人も居たのがまるで嘘のようだ。信じられない程の速さで、小笠原は一人きりになった。


裂傷で所々がズタズタになったコートと身体。地面へ叩きつけられた工藤の身体は、満身創痍と呼んでも遜色無いものとなっていた。仰向けの体勢から首だけを持ち上げて見れば、伝道師Mが此方に向かって疾走して来るのが見える。足先に備えたエッジは、既に返り血を浴びて赤味を帯びている。
不意にその身体が傾いた。見れば、彼女の直ぐ隣にある木の根元から一本の腕が伸び、その足首を掴んでいる。腕の主は城石だ。根元に開いた僅かな空洞、その暗闇の中からずるりと身体を滑り出させる様はあたかもホラー映画の如く。瞬く間にMの背後に回ると、彼は四肢を絡ませてMを羽交い絞めにする。
「工藤ォォッ!」
衣服の各所に赤い染みが見える。工藤は身体中の痛みに堪えながら立ち上がり、数mの間隔を疾走で縮めつつ、急速に霊力を足先へと集中させていく。
「オンキリサレングーレイソワカ! 先勝スパイラルッ!」
飛翔しながら緑色の電光を発する両脚を伸ばし、身体に水平回転を加えるときりもみキックが完成し、Mの胴体を狙う。
「くらえ――何!?」
短く上がった悲鳴に驚く工藤。落雷の如く落ちる彼の一撃がMに当たるより早く、Mは力づくで拘束を解き、稲妻の如き早く鋭い右足先の一撃を振り上げ、背後の城石に突き刺した。頭部から赤い“血のような液体”を飛散させながら倒れる悪霊に見向きもせず、Mは真っ向から工藤に飛び掛ると、横方向から彼の左脚にエッジを突き刺した。
「うぐあああああ!」
激痛と共に鮮血が舞い、地面へ落ちる工藤。少し遅れて銀の棒も落着する。既に着地していたM。数歩の道のりを歩くと、脚を押さえて苦しむ工藤を見下ろす位置だ。
「終わりね。そもそも貴方のような俗人が、私を下せると思うこと自体が不自然なのよ」
“俗人”“不自然”。あからさまに自分を見下してくる単語に、工藤は最大限の悔恨を込めて睨みに変えるも、反論をするまでは至らなかった。既に鼻先にMの爪先――城石の頭部の内容液を滴らせるエッジが突きつけられていた。
「く……っ……!」
「さよなら」
氷点下の表情と声色のMは右脚を振り上げ、頂点まで達するや否や、一気に工藤の脳天を切り裂かんと振り下ろされる。いよいよ訪れる死の瞬間を、工藤は痛みと疲労に染まった表情で見つめ、覚悟した。
「ッ!?」
しかし、死を振舞う筈の死神の身体は、不意に生じた重い衝撃にぐらついた。必然的に爪先の切っ先は空を掠め、地を踏むに至る。パシュッと言う乾いた音が規則的に響く度、Mの身体に重い衝撃が生じてダメージになる。音と衝撃が来る方向を見る。身を翻しながら木の陰に身体を滑り込ませると、木の幹に跳ねた衝撃の正体が工藤とMとの間に転がった。白い、改造を施されたプラスチック製のBB弾だ。
「村、田くん……」
硬質プラスチック製弾丸の主は、工藤らの居る場所から十数m離れた場所から、樹木越しにライフルを構えていた。スコープ越しに木へと隠れたMの姿を見れば、目を離しながら額の汗を拭う。上がった息と顔に浮かぶ汗が、彼の全力疾走を物語っている。
「気をつけろ村田くん! 奴はすでに移動しているぞぉ!」
必死に上体を起こしながら放たれた工藤のアドバイスを受けると、工藤を目を細めた。どうにかあの女に打開策で勝負を挑まねばならない。村田が考える策には、この距離ではあまりに遠い。舌打ちを吐き捨てると、村田は意を決して木の陰から飛び出て走り出す。同時に、トリガーの上に備わったレバーを“F”の表示に合わせる。
「いくら考えてもダメだ、これしか方法が思い浮かばない」
工藤と城石が倒れている場所まで十m前後。全力で走りながらも、村田は策を考える。使えるのは、頭と武器だけなのだ。震える足を叱咤して頭をフル稼動させる村田。不意に、彼は走りながら片手持ちのライフルの銃身を肩に置き、トリガーを引き絞った。フルオートで斉射される弾丸の数発が、背後の一寸先まで瞬間移動で迫っていたMの身体を捉えた。
僅かに声を漏らしながらMの姿が掻き消える。覚悟してはいたが、やはり相手のタフさも並ではない、と村田は分析した。肩越しに視線をやりながら予防的攻撃は成功したが、それが決定打になっていないことは容易に理解できた。
「よ」「くも」「ぉぉぉっ!」
三分割された声が、三方向から高速で聞こえた。最後の声が聞こえたのは右方向。視線を遣れば、既にソバットの体勢で右脚を振り被るMの姿!
「うおおっ!」
反射的に後方へステップすれば、エッジがライフルのスリングベルトを切り裂いた。斉射を放つライフル。しかし、着弾する頃には既に相手の姿は無い。
「来るな! 来ちゃダメだ!」
何とか上体を起こして声を投げる工藤。しかし、その声に構わず村田は走り続ける。走りながら考える。つい先程のMの姿を思い出すのである。特に彼女の、黒いグローブに覆われた手を。村田の予測通り、“やはり彼女は手袋をはめて”いた。そうこう言っている間に次の攻撃が村田に迫る。突如前方に現れたMは、蹴り上げを繰り出して村田の胴体を狙う。
食らった――回避不可能な蹴撃に対し、村田は殆ど反射的にライフルを水平に立てて防御した。銃身がひしゃげて、メキッと音が響く。しかしこれが機の好転と成った。Mのエッジがライフル内部の金属シャフトに食い込んで挟まってしまったのだ。
「逃げない……見捨てない――絶対に!」
後ろ腰に装備したハンドガン=ベレッタを左手で引き抜くと、村田は迷う事無く至近で発砲する――が、弾は放たれなかった。
「しまっ――」
命取りとはこのことだ。急ぐ余り、村田はセイフティを解除していなかったのである。
狂気と怒りの形相で村田を睨むMが、未だ自由な左足を水平に振り上げる。此処で一発をお見舞いして、怯んだ所を取り押さえられてれば――そんな思考も既に無駄な代物だ。無情の刃が村田の肩口に迫り、死の気配が視界一杯に広がる。ダメだ、そう思った瞬間、村田の身体は意図せぬ力に突き飛ばされて不意な方向へ転がった。
「痛ってぇええ!!」
Mの刃は突き立ち、獲物に傷を負わせて鮮血を迸らせた。しかしその獲物は村田ではない、右の肩口を抑えるその男は紫サングラスに青いシャツを着こみ、胡散臭い表情を苦悶の色に染めている。村田が反射的にその男の名を呼んだ。
「小笠原さん!?」
「この……!」
怒りと共に、村田のライフルの所為で刃が曲がったままの右脚で蹴りを放つM。歪めた表情のままで「ほおっ!」と奇妙な声を上げると、小笠原は左手に携えていた木刀を振り上げ、肩との間に挟んで防御する。
「痛ぇなこのアマァ! こちとら一般人なんだぞ!」
両足を空中で捕まれたままのMの身体は、自然と地面に落ちる形となる。その隙を逃さず、小笠原は自ら刃を肩から引き抜き、Mに覆い被さる形と成った。
「今だ村田! 早くやれぇ!」
取っ組み合いの状態からMの両手両脚を羽交い絞めにする小笠原。木刀でMの顎と腕とを押さえつけながら、肩の痛みを堪える。
「小笠原さん、どうして!」
「話は後だィ! つべこべ言わずに早くコイツをどーにかしやがれ!」
「でも!」
「早くしろこのバカ! こんな変質者みてーな真似、早くやめさせてくれ!」
じたばたと暴れるMと小笠原。Mが暴れる度、小笠原の肩口から血が噴出す。その度に彼はぐああ、と声を漏らして苦悶の表情を浮かべる。それを見たか見ないか、Mが小笠原の顔面へ後頭部での一撃をお見舞いして拘束から脱出した。しかし、時既に遅し。
雄叫びとともに脚を奮い立たせた村田が、Mの右手を掴みながらタックルし、そして狙いの手袋を剥ぎ取った。もたれながら倒れこむ村田とM。素手が空気に触れると、途端にMは顔色を変える。何かを焦るような、また恐れるかのような、戦慄の表情。
「何をするっ、や、やめろ! 私に触れるな! 私の手に、触れるな!!」
「つ、かまえたぞ……!」
有無を言わさず、村田は右手でMの素手を掴んだ。恐れ戦くMの眼に金色の輝きが宿る。瞬間、村田が見ていた周囲の光景が二転三転した。Mは村田を巻き込んで瞬間移動をしたのだ。常人の遥か上を行く光景に、村田は途端に嘔吐感を覚える。
「離せ! 離せ! 離せ! 離せ!」
「離さない……絶対に……!」
「はなせぇぇ!」
組み付いたままの二人の身体が、滞空したままの高さで移動していく。小笠原と工藤は既にその位置を確認出来ず、何処からか聞こえるその声を聞くしか出来なかった。胴体にしがみついている村田の腹を、Mが容赦無く膝で蹴り上げる。重い蹴りと脳を揺さぶられる感覚に気絶しそうになりそうな意識を必死で保ちながら、村田は何とかMの身体に組み付いていた。ぐらつく視界の正面に、掴んだままのMの右手を映し出す。
「離さない……アンタと、俺は……!」
既に村田の頭にはこの勝負に勝つという意思は無かった。この自分の策が成功しなければ自分達は確実に殺される。だが不思議と、その感覚を通り越した感情があった。それは使命感にも似た意思。この女とこれ以上争い合う訳にはいかない、何故ならば、自分とこの女は――
村田は意を決して組み付いた左手をほどき、渾身の力を込めて相手の右手に伸ばした。遂に村田の手が、Mの掌と重なった。




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