会う価値のある人・ない人
会う価値のある人、ない人について考えてみます。あくまで、感覚的なのです。。私にとって、新しい出会いはほとんどが価値があります。どんなに、へぼい人だって男だろうが、女だろうが、若かろうが、お年寄りだろうがとくに自分とはちがう価値観を持っている人自分とは生活する環境が違う人自分とは、ちがう仕事をしている人自分が考えもしないような生き方をしている人高校生の女の子とか、小学生とか、80歳代のおじいちゃんとか、外人、異文化で生活している人、とは話をしたいし、大いに価値があります。私の主たるお客さんは、今のところ社長さんが大半なのですが社長よりも、現場の社員、営業マンや接客員、配送員、事務員さん、など裏方の人とお話するほうが好きです。だって、社長の価値観はほとんど同じなのです。面白い社長も沢山いて、面白い人生を歩んでおられてそのお話を聴くのは大変ためになるのですが、やっぱり、一人の人間でしかないのです。私もそうですが、たかが人間一人の経験や考え方ってしれているのです。現場の社員の人生や考え方を聴いたり、どんな生活をしているか、どんな遊びをしているかを、バカ話しながら聴いていくのがためになります。実際、社員さんと個人的に仲良くなることが多いです。会う価値のない人とはハッタリばっかりで、中身のない人中身がないけど、謙虚に自分の身の丈をしって、こつこつ生きている人は会っても楽しいのですが、ハッタリオンリー、偉そう、口ばっかりの人は会っても全然面白くない、時間のムダと感じます。先日も、異業種交流会を行ったのですが、偉そうに言う人とは、会っても何も得られません。中身がある人は偉そうなそぶりは決してしませんから。偉そうに言われても、会話にならんですよね。自慢話聞いても仕方ないし。この楽天を通じて、私が会ったのは数名ですが、皆さん私にとっては、会う価値があり、目からウロコの方ばかりでした。しかし、その会った方から聞くに「あんな人あっても意味無いよ。書いているだけ、だまされんさんな・・・、時間のムダよ・・・」「文章では、本当なんとでもかけますから」と。そんなもんですかねー。でも、分かるような気がします。ここで、暇をもてあまして、遊んでいる人って、本当にお金を持っていて、ライフワークの一環、自分の頭の吐き出し、出会いづくり、人の価値観を学ぶために日記を書いている「本物」と仕事がなくて、暇で、この日記で仕事をさがしながら、頭の中でグルグル回想して、なんか考えているだけの、「行動できないアホんたれ」か大きく分けて二つなんじゃーないかな。私は、この日記を通じて・いろんな人の価値観にふれて、いろんな人とリアルに出会いたい・自分の心から出る言葉を吐き出してみたいという考えです。そろそろ、あいできたので(広島弁で飽きた)やめようかとも考えるのですが、ダラダラと。広島弁の特集でもしましょうか?話を戻しますと違う文化の人とふれあうと、言葉がちがうだけで、価値を感じます。なんで日本という小さな国でこんなに言葉がちがうのか?言語統一を図ったはずなのに、・・・。なんでこんなに食べるものはちがうのか?毎日どうやって生活してんの。。。県外に出張したときは、楽しくて楽しくて、仕事どころではなくなっていたり。結局会うからにはなんか吸収したいという貪欲な思いがあるのです。したがって、会っても何も感じなかった場合、価値を感じない。曖昧で申し訳ないのですが、”感じない””感じる”の区別を言葉でうまく言い表せません。会ったときに、電波みたいなもので感じあうのか、分からないのですが、会って3分以内に確実に感じます。商談でもそう、採用でもそう、仕事上で会うのもそう、ビビっと感じるかどうかによります。あなたの会う価値がある人、ない人、感じ方教えてください。