宇野先生の思い出 その2
私は始めから相似象に興味を持ったわけではありませんでした。 日本で最初の書物が古事記であり、それがいきなり漢字で書かれていると、学校で習ったときに、大きな疑問を感じました。もしその当時の人が、いわゆる原始的な人で、そこに漢字をもった人たちがやってきて、その土地の人を征服したらどうなるでしょうか。現在のブラジルとかアルゼンチンのように2つの言語が使われるということになっていたように思います。仮に征服者が、自分たちの言語以外の使用を禁じていたら、いわゆる日本語はなくなっていたと思います。当時の人たちは、自分たちの使用していた言葉を、漢字で表記せざるをえない状況に追い込まれたことは確かなようですね。その漢字表記を当時の多くの人たちが理解するということは、すでに相当高い文化が存在していたということだと思いました。それで古事記以前にはどんな文字が使われていたのか興味を持ち始め、やがて相似象に出会ったわけです。