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2016年01月16日
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カテゴリ:日々のこと
まずは、お知らせですが、ハワイ島のキネシオロジーリトリートですが
A 班に一名空きが出ましたので、もしまだ興味がある方はお知らせくださいね。
リトリートに関することは、こちらのブログへ。

さて、今年に入って、半月が過ぎました。
ここ数年そうだけど、たった半月前ことが、まるで遠い昔のように感じるのは
一体どういう現象なのかしらね。

こうして今、久々にブログをアップしようと、マックに向かっていると
何というか安心感とか、ほっと落ち着いた感覚になる自分を感じています。

自分が感じていることを言葉に変換する作業は、
私にとっては、一種のゲームみたいなもの。
言葉は限界があるので、自分の中にある感覚を言葉に変換した途端
その全体的な感覚は、まるでのっぺりとした平面に切り取られてしまう感じがあって
「え?ほんとうにそんな言葉でこの感覚を集約できるの?』という
後ろ髪を引かれる感覚も毎回あるのだけれど
それでも、私の思考は、感覚を言葉にするのがおもしろいらしく
自分なりに上手くパズルがはまった時には、すっきり〜となるわけです。

私にとっては「考える」という言葉の定義は、こうしたらこうなるかな、とか
あの時、こういえばよかった、とか
あの時、あの人がこういったのは、こういう意味だったんじゃない?
などという思考のイマジネーションであって
いわゆる妄想に近いもの、と捉えているのですが
感覚を言葉にする作業は、考えることとは違って
ただ内なる感覚を「言葉」という媒体を使って、変換し、切り取ってゆく作業であり
それは、その感覚に意識を向けた途端、瞬時に行なわれるものなので
そこにはイマジネーションが入る余地はないわけです。
そして、その切り取り方(言葉の選択)は
どういう方向(視点)からでも、切り取れるわけなんですが
それを感じた直後に切り取るのと、1年後に切り取るのとはではまた大きく違ってくるし
ほぼ無限大に存在するものであって
なので、本当は、そこには何も意味も実体もないわけです。
だからこそ、またゲームとしておもしろいのだなあと。

で、それをブログにアップするというのは、私にとっては
例えて言うなら、子供が学校で思ったことや感じたことを
家に戻って、お母さんに報告するような感覚かもしれないなあと。
「お母さん、今日ね、こういうことがあって、だから私はこう感じたんだよ」
みたいな。
で、それをお母さんがどう思うか、どう感じるかは、あまり関係ないというか。
だって、お母さんは私の意識が作り出したもの、でしかないから。
私が「お母さんはわかってくれない」と潜在的に感じていれば
そういう現実(感覚)が現れるだろうし「何も言っても大丈夫」と感じていれば
そういう現実が現れる、だろうしね。

実際は、私の子供の頃は、あまり自分の思いを親や友達に
伝えるような子供ではなかったのですけどね。
親もごく普通だし、親しい友人もいたけれど、どこか孤独感というか
この社会全体が、私(という感覚)と分離しているような
感覚はいつも片隅にあったから
自分の内なる感覚を伝えるという発想もなかったのだなあと
今は感じます。
時々、ブログをやるのが苦手、とか、書いたものを人がどう思うか気になる
と言われる人がいますが
たぶん、そういう分離感の中にいれば、
自分を守るためには、表現しない方が安全ということに
潜在意識下ではプログラムされているので
自己表現はリスクを伴う、恐ろしいものになってしまうわけです。

もちろん、自己表現と一言で言っても、いろんな意識レベルがあるわけで
ブログを頻繁にアップしている人が
自由な自己表現ができているということではないし
クライアントさんのチャクラを見てゆくと、一見、おしゃべりな人や社交的な人でも
第5チャクラ(スロートチャクラ。コミュニケーション、自己表現に関するチャクラ)は
閉じている、というケースもけっこう多いです。

自己表現は、いかに自分にとっての真実を表現しているか、なので
当然、知性と直感の第6チャクラ、感覚と愛のハートチャクラ
感情とクリエイティビティの第2チャクラとの密接な関わりもあり
第5チャクラは、私たち多くの人にとって最も難しい?チャクラ
と言えるのかもなあと。
あ〜このあたり、最近読んだ本との関連からの気づきとして書けば
また長くなってしまうのだけど。
私のセッションでも、例えば、脳の調整やエネルギー的な統合を行なえば
ルートチャクラは安定してくるし、またハートチャクラは、セッション中であっても
自分の内なる感覚とつながった途端、一気に開いてきたりしますが
この第5チャクラは、開いてゆくのが最も難しいチャクラだなあと感じます。
だから、何かストレスがあると喉に来る、という人はけっこう多いのですよね。

と、今、ふと思ったのですが、ブログをアップするというのがおもしろいのは
こうして自分の感覚を言葉に変換しながら、タイプしていると
自分が予想していなかった方向に話が流れていったりするので
最初に何となく「これについて書こう」と意識していた方向とは
違う着地点に着くことが多いということもあるかも。

ということで、前置きが長くなったけど(これが前置きだったんかい!!パンチ

「お母さん、この15日間に感じたこと、話すから聞いて〜〜」目がハート
(って、もう聞いてもらってるっちゅうに)
あ〜15日間に感じたことを全部話すのには、少なくともあと20話ぐらい必要だ〜ウィンク

さて、近況報告としては、私とおさむがハワイへの出発まで、あと2週間ちょっととなり
ここ最近は、日々のセッションの合間に
ハワイに出発するまでに、やるべきことが山積みしていて
その第一は、フィボナッチクラスのための翻訳本を製本し、ハワイに郵送する、ということ。
今回、翻訳者は、えりこさんというプロの翻訳の方にお願いしていて
それがほぼ出来上がってきているのですが
今、その校正というのか、彼女の訳する上でのいくつかの疑問を一緒に考えたり
ロンにわからないところをメールしたりして
よりクリアで正確な訳になるように、進めています。

今回、翻訳をえりこさんにお願いして本当によかった〜と思うのは
彼女の完璧なまでのプロとしての仕事ぶりと、選ぶ日本語のセンスのよさ。
ただそのまま原本を訳すだけではなく、様々な参考文献を事細かにチェックして、
原本の間違いなども、たくさん見つけてくるので
ロンも「ここまで徹底しているとは、すごい」と感心していました。
この本は、東洋医学の経絡やツボに関する記述が多いし
それを西洋のセラピストが書いているので
本来の東洋医学のものとは若干違っていて、訳が難しかったり
様々な独特の言い回しを使っていたり、で
訳すのはかなり大変なのです。
彼女のすごいのは、この複雑な内容をちゃんと把握していないと
けして見つけることはできない原本の記述の間違いなども見つけてくるところで
一度もクラスを受けたことがなく、東洋医学をやっているわけでもないのに
ここまでやれるのは、まさにプロ根性というのか。
ロンも「ビンゴ!』と言っていましたが
このフィボナッチのクラスを支えてくれるメンバーは完璧なんだなあと。

もちろん、翻訳は、実際にクラスを受けないと内容がわからないところや
独特の表現としてわからないも多いので
彼女が、どう訳していいのかわからないところは、こちらに質問として送られてきて
私がわかるところは、お答えしていますが
ほとんどは私もわからないので、ロンにまたそれを送って質問しています。
それに対して、ロンからの説明は、とにかく、わかりやすくて
一発でストン、と理解できるのがまたすごいなあと、毎回うれしくなります。

例えば、これも先日の問題で
It can help people to let go of their denser, thicker, safe bodies,
or habits that no longer serve their evolutionary process.

この中でsafe bodies というのが、どういう意味なのか
前後の文を読んでみても、よくわからない。
で、ロンに聞いてみたら、それに対するロンのお答えが

It can help people to let go of the energies and habits
they have created as protection from their fears
and that are no longer serving their evolutionary process.

という、クリアな説明が送られてきて
なるほど、これはキネシオロジーで言うところのサバイバルプログラムのことなのね〜
とわかったわけです。
恐れから守るために潜在意識が作り出したブログラム、
それがsafe bodies (安全なボディ)ということ。
まさに、前置きの自己表現のところでお伝えしたように
「自己表現をしないことが安全」という潜在的な感覚やエネルギー
そのプログラムのことであって、こういう言い方もあるのですね。

また他には、オーバートーンとアンダートーンという言葉が使われているのですが
オーバートーン(倍音)はわかっても
このアンダートーンを日本語としてどう訳すか、ということで
そのコンセプトをロンに聞いてみたら

We could also look at this as a left-brain / right-brain issue.
Overtones occur naturally… a very right-brained thing.
The left brain says if there are overtones
why aren’t there undertones?
So it has created them mathematically.

という、これまたわかりやすい説明をしてくれて
つまりは、オーバートーンは自然なものであるけれど
アンダートーンというのは
「オーバートーンがあるんだったら、アンダートーンがあってもいいんじゃない?』
という左脳的なコンセプトで生まれた言葉であるということ。
こういった概念も含めてわかれば、また違った理解が出てくるのですね。

実は、このアーキュトニックの原本は前から持っていたけど、これまでほとんど読んでおらず
今回、初めて知ることばかりでした。
そんなこんなで、ここ最近は、かなり苦手な英語本と格闘しつつ
日々のセッションも埋まっているので
好きなワインも1週間以上飲んでいない状態です。
あ〜今夜あたり、ちょっとだけ解禁にしようかなワイングラス

私の潜在意識は、一度にいろんなことがやってくる、という現実を
作り出すのがお好みなようで
訳本やハワイの準備だけでなく
ハワイに行くまでに、確定申告をすまさなければ、とか
1年前に歯医者で「すでに神経が死んでいて、いつ痛みだしてもおかしくない」
と言われていた奥歯が、やっとここ最近、痛みだして
とうとう歯医者に行かなければならない(しかもこの時期に!)とか
いろいろと必要なこと(だと感じること)を作り出してくるわけです。
「間に合うかどうかぎりぎり」
というのも、実際は、私の潜在意識が作り出した「現実」でしかないわけで
絶対にすべて完璧に行くという確信に近いものがありつつも
上手くいくかどうか、ちょっとわくわくしているという
ま、これも潜在意識が作り出した一種のドラマ中毒だと言えるのかも。
これも一度、キネシオロジーで調整してみた方がよさそうだなあ。

ということで、あと2週間、走ります〜〜

お母さん、聞いてくれてありがと〜ウィンク
(で、結局何が言いたかったのか、わかりづらい内容でごめん!マラソン





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最終更新日  2016年01月17日 05時04分00秒
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