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レイキと太陽と月と♪ [全788件]

2012年2月9日楽天プロフィール Add to Google XML

「マネーゲームから脱出する方法」  (1) 
[ 本 ]  


最近、お金に関するIH キネシオロジーのセッションが何度かありました。

お金に限らず、すべてがそうですが
お金に対するそれぞれ持っている意識は
そのまま現実(これが実は幻想なのですが)として現れてきます。
例えば、お金が欲しい、と思っているということは
潜在的には「お金が足りない」という意識ですから
実際に「お金が足りない」という状況を生み出します。

例えば、セッションの中で、クライアントさんの身体が
「経済的な豊かさを信頼します」という目標を選んだ時に
「え?今、現実的にお金がないのに、豊かさへの信頼なんて」
とそれが目標で選ばれたことに驚かれる方がいるのですが
本当は豊かさを(潜在的に)信頼しているからこそ
豊かであるという現実が生まれるのであって
お金を得たから豊かさを信頼できるようになる、わけではないのです。
そして「お金がない」という現実も
自分自身が生み出している幻想です。

自分にとって何が豊かさなのか、よくわかっていない方も多いので
セッションではそこをクリアにしてゆきます。
私にとっては、経済的なものも含め、豊かさとは
「自分が好きなことを好きな時にやることができる力」
例え、収入が多くても、貯金がたくさんあっても
やりたいことをやりたい時にできないのは
豊かだとは感じないのです。
まずは、それぞれの豊かさが何かを見つけることが大切だなあと。
お金の幻想にはまってしまっていると
本当は何が自分にとっての豊かさなのかも見失ってしまいます。

私は20代からずっと
「必要なお金は必ず与えられる」ということを、実感していました。
それらは、いつも奇跡のようにやってきたのですが
(それについて書いていたのですが、長くなったのでやめましたが)
それは、無限の豊かさというより
「お金は何か困った時や、急に必要になった時には必ず与えられる」
という感じでした。
ですから、本当の意味での自由や豊かさではなかったのだなあと。
でも、3年ぐらい前に、お金に対するワークを行って
自分の意識を変えてから自然と
本当に好きなことだけを、好きな時にできるようになってきました。

このお金の幻想は、ほんとうに深く多くの人の人生を
コントロールしています。
これまで、いろんなお金に関する本を読んできたのですが
どれを読んでも、今一つ、しっくりきませんでした。
お金に対しての意識を変えることは、もちろん大切なのですが
マインドによって、いくら収入が増えて、貯蓄できていても
このお金の幻想から抜けれないからなのです。

そして、つい数日前に読んだ本
『マネーゲームから脱出する方法」
ほんとうにダントツによかったです。
なぜならこれは「マネーゲームに勝つ方法」ではなく
「マネーゲームから脱出する方法」ですから。
世の中に、マネーゲームに勝つ方法や成功哲学の本なら、山ほどありますが
作者曰く、マネーゲームは誰も勝者がいないゲームだということ。
やり続けても、どこまで行けば勝ったと言えるのかわからないし
お金は常にリスクがあるので、どんなに上手く資産を積み上げたとしても
いつでも一瞬でなくしてしまう可能性もあるわけです。
例え、資産を増やすことに成功し
マネーゲームに勝っているように感じていたとしても
健康を失ってしまったり、家族との交流の時間を失ってしまったり
人生というゲームには失敗してしまったりするわけですね。

私たちのほとんどは、知らず知らずのうちに否応なく
このマネーゲームに参加しています。
考えてみれば、ただの一度も
「マネーゲームに参加しますか?」なんて聞かれたこともないですし
マネーゲームのルールも方法も知らないのにも関わらず
いつのまにか参加させられているわけですね。

例えば、この本に書かれてある
多くの人が思い込んでいるお金に関する思い込み(実は真実ではないこと)として

☆資金は限られている
 (資金は無限にあるわけではないので、長期的な視点で貯蓄したり投資したりし
  老後のための資産を増やしてゆく必要がある、など)
☆お金は流動的なものである
  (お金は自分の「外」にあるから、稼がなければならない。
   収入が支出を上回るようにしなければならない。
   生活の質を上げるには、利益をどんどん増やす必要がある、など)
☆資金を増やすには、一生懸命、または賢く働かなければならない
☆お金はあればあるほどいい。
☆お金を稼ぐスキルのある人とない人がいる
☆万が一の時に備えて蓄えておく必要がある
☆お金持ちはさらにお金持ちになり、貧乏人はさらに貧乏になる

などなど。
この他、私のところでのセッションの中で出てくるのは、例えば
「お金はよくないものだ」
「お金をなるべく使わず、質素に暮らすことが大切だ」
「お金は減ってゆく一方だ」
「お金をたくさん得たら、悪いことが起きる」
「お金を稼ぐことは楽しくないことだ」
「経済的に豊かになるためには何かを犠牲にしなければならない」など
人それぞれ、お金に関して、実に様々な信じ込み(幻想)があります。
人によっては、その要因が前世(またはパラレルユニバース?)から
その思い込みが来ている場合もありました。

私自身が、最近まで潜在的に持っていた信じ込みは
いつのまにか父から受け継いでいた
「お金を持ったら、それを人のために使うのは素晴らしいが
自分のために使うことは、素晴らしくない」というものでした。
今から、思い返せば、自分のためにお金を使う時には
意識のどこかで、ギルティを感じていたなあと。
自分のためでも「ヒーラーとしての学び」
などのためのお金だったら、人のためになるのでオッケーだったのですが。
本当は何のためであっても、オッケーなわけで
この本の中で、この世界をすべてクリエイトした「本来の自分」
(つまりハイヤーセルフであり、魂レベルの自分)に
感謝してゆくという部分を読んで、あらためてその幻想を感じました。

この本の目的は

☆限定的なパターンから力を取り戻し、パターンを崩壊させる
☆無限の豊かさを手にし、最大限に活用する
☆マネーゲームから脱出するー完全に、そして永遠に

そして、この本が素晴らしいのは
量子力学の観点から、お金や人生を捉えているということ。
つまり、お金がないという観点から見たら
お金がないという現実(幻想)があるということ。
ここで書かれてあることはすべて
マトリックスエナジェティクスで言われていることと同じです。
マトリックスエネジェティクスでも
「何かを変えようとしない、何か行為を行わない、そうすれば変容が起こる」
ということをリチャード博士は言われていますが
この本でも同じで
お金を無制限に生み出すための簡単なワークを紹介してあるのですが
この幻想から抜けていない状態
つまり「お金が欲しい」とか「今の状態を変えたい」
と思いながら、このワークをしても
何も変わらないということを何度も書かれてありました。

このあたりが普通はちょっと難しいのかもしれません。
今の現状に満足していない人は
なかなかその意識状態から抜け出せませんから。
この作者も根気づよくやり続けることが大切だと書かれてあって
ワークをスタートして、マネーゲームから完全に脱出するのに1年以上
ひたすらやり続けたそうです。

キネシオロジーでは、そのあたりの潜在意識の思い込みを
一気に外してゆくことができるので早いのです。
先日、おさむが持っていたお金に関する思い込みを手放すための
セッションをしたのですが、
おさむの場合は、基本的には豊かさを信頼できていたのですが
「自由になるための充分なお金を得るためには、
自分の自由な時間をけずる必要がある」
という思い込みが、まだ残っていました。
かなり思考を手放しきているおさむでさえ
今回のセッションで、その思い込みを手放す時に
潜在意識の抵抗があったので、これらをこの本のワークだけで手放してゆくとなると
確かに根気がいりそうです。

でも、作者が紹介している4つのワークで素晴らしいと思うのは、
例えば、不安を感じたら、一旦、とことんその不安を感じきって
その後で、その自分本来の力を取り戻すプロセスを行うということ。
単なるポジティブシンキングやアファメーションだけでは、
ネガティブなものを潜在意識に押し込んでしまうだけで
何も変わらないことがほとんどですから。
先日も書きましたが、
一度はそのネガティブとしっかり向き合うことが大切ですね。

そして、この本は「本当はお金に関する本ではありません」
と最後に書かれてあるのですが
実は、これは「目覚める」ための本だと感じます。
この作者の言うマネーゲームからの「脱出ポイント」
というのは、まさに目覚めるポイントのことですから。
お金という誰もが関わっている教材を使って
目覚めを促しているのですから、すばらしいなあと。

少し前に「人生は暇つぶし、いかに楽しくつぶしていくか?」
がすべてだと書きましたが
この作者は、そのことを、ゲームに例えて説明していてわかりやすいです。
ゲームだとわかってやっているのと、ゲームの中に入り込んでしまっているのとは
全く違っていて、すべては自分自身が創りだしているゲームだと知っていて
ゲームを行っていることが「目覚めている」ということ。
そして私たちは誰でも自由にこの3次元世界での自分のゲームを
創ってゆくことができるのです。

ということで、もうお金に振り回されたりしたくないと思っている方や
いつ本当の勝ちがやって来るのかわからないマネーゲームから抜けたい方
この人生を自由に楽しんでゆきたい方
ぜひ一度読んでみてくださ~いޥ
もちろん、この本だけで、マインド(幻想)から完全に目覚めることができる
というわけではないかもしれませんが、きっと何かの気づきになると思います。

こんな本が出るようになったということは
世界が一気に目覚める時代が近づいてきたということなのかしらね
 



最終更新日時 2012年2月10日 13時13分55秒
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2012年2月7日

次の旅計画  (4)
[ 旅 ]  

 
11月にセドナへ旅してから、約3ヶ月。
もうそろそろ「旅に出たい病」が出てきていますä١

ちょうど、3月に去年ドランヴァロのクラスの先生をしてくれたロンが
ロンドンでフェボナッチ数列を使ったヒーリングのクラスを行うというので
これは絶対に参加したい!とすぐに申し込んで
ロンドンに行くついでに、パワースポットであるセントミカエルレイラインを
一人旅しようと、あれこれ計画を立てていたのですが
主催の方から全くお返事が来ず。
ロンに尋ねても、きっと彼女は今、
オーガナイズしている最中だから、もうちょっと待ってみて、
と言われて待っていたのですが、1ヶ月近く経っても返事がきません。
こういうことが起こったのは、これまでも何度かあったのですが
どれもそのクラスを受けるタイミングではない、ということだったので
今回も何か違うんだなあと。
まだイギリスにはご縁がないみたいです。

と、そんな最中におさむと持ち上がったのが、メキシコのユカタン半島を巡る旅。
春分の日を中心にマヤ遺跡を巡る旅をしたいね、
と話が盛り上がって、もうそれだ~と即航空チケットを購入しました。

するとその数日後に、ロンドンの主催者の方からお返事が。
なんでもロンのサイトに掲載してあった彼女のメールアドレスが
間違っていたのだそうです。
クラスの申し込みは、ほとんどイギリス在住の人からで
アメリカからの申し込みは他にいなくて、気づかなかったのでしょう。
それが発覚したのが、先日、彼女がロンにメキシコで会った時に
ロンから私の話を聞いたからなのだそう。
それを聞いて、やっぱり今回私が行くところはイギリスではなく
メキシコだよ、と天にお知らせしてもらった感じがしました。
もし、私たちがメキシコへの航空チケットを買う前に、このお返事をもらっていたら
私は一人でロンドンに行くことを決めていたかもしれませんから
何でもすごいタイミングでやってくるなあと。

ということで、今回メキシコでドライブの旅という初体験。
やっぱり初体験というのは何でもワクワクドキドキします。
(メキシコは治安が悪いところもあるそうなので、さらにドキドキå
チチェンイツァーやウシュマルやパレンケ遺跡など
ドランヴァロの『Serpent of Light』にある遺跡を巡る予定です。

この『Serpent of Light』
おさむは以前、読んでいて、私も読もうと思いつつ
この英語がつい腰が重くなってしまって、
他の日本語の本から読んでいたのですが
今回のメキシコの旅が決まってから、急に読み始めています。
やっぱり、むちゃくちゃおもしろい~~♪
ちょっとあり得ないような話ばかりで
読みながらワクワクしてきます。

話はずれますが、今パウロコエーリョの「アルケミスト』も
英語で読み直しているのですが
こちらもやっぱり今読んでもおもしろい。
この本はもう20年ぐらい前に日本語で読んで、
当時の私にとっては、バイブル的な本だったのですが、
先日、たまたま友人が英語の本をプレゼントしてくれたのです。
真実ー宇宙の言葉が書かれた本は、何年経ってもその魅力を失わないですね。

と、3月の旅まで、スペイン語も少しはやり直したいなあと。
ペルーに行った時は、英語はほとんど通じなかったので
私たちのつたないスペイン語で何とか交渉したり
コミュニケーションしましたが
きっとメキシコでも英語が通じないところがありそうですし。
以前、コスタリカに一人旅した時は
かなりスペイン語も真剣に勉強したのですが、
それ以来、その情熱もじょじょに失われてしまって
普段は全く使わないこともあって、最近すっかり忘れてしまっていました。
おさむは、比較的スペイン語、話せるので大丈夫だと思うのですが。

旅は計画した時から、もうスタートなのですよね~



最終更新日時 2012年2月9日 1時30分2秒
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2012年2月5日

人のサポートを受け入れるということ  (2)
[ つれづれ ]  

 
以前も、受け取るレッスンというタイトルで、書いたことがありますが
人のサポートを受け入れることができない人、ほんと多いです。
統計を取ったことがないので、はっきりわからないのですが
私のところに来られる方の半分以上、どうかすると70%ぐらいは
人にサポートを求められないんじゃないかしら?
これは日本人だけでなく、案外アメリカ人にも多いです。
もしかすると自立していることより
人からのサポートを受け入れることの方が
難しいのかもしれませんね。

人のサポートを受け取れない人は、
なるべく自分で何でも解決した方がいい、自立しなければ
と思っていて、サポートを求めないことが本質的な問題になっているとは
全く思っていない人が多いので、
最初に私が「何かテーマがありますか?」
とお尋ねした時には、そのことを問題だと上げる方はほとんどいません。
でも、セッションを行ってゆくと
身体は正直に反応するので、それが問題になっているのだとわかります。

ちなみに、ちょっと専門的なことになりますが
人のサポートを受け入れていないと、胸腺のチャクラのバランスが崩れて
心包経と心経に関する筋肉に反応があります。
また「人を助けすぎる」という問題があれば、やはり胸腺のチャクラで
三焦経と小腸経がオーバーエネルギーの状態になっています。
胸腺のチャクラ(ハイハートチャクラ)は
人に与えたり、受け取ったりということに関わるエネルギーのセンターで
「人からのサポートは受け入れないのだけれど
人へのサポートはやりすぎている」
などという問題が出てくる方もいます。
与えることと、受け取ることのバランスが取れていないと
身体の機能そのものもバランスが崩れてきます。

人のサポートを受け入れることができない人は
人に何かを頼んだり、お願いしたりすることが苦手で
「こんなことを頼んだら、相手の負担になるのではないかしら?」とか
「こんなことを言ったら、自分がだめな人間に思われるじゃないかしら?」
「お願いしても断られるかもしれないし」
などと、いろいろ考えてしまいます。
また、何か心配したり、落ち込んだりした時に
周りの人に自分の気持ちをシェアすることが
苦手な人も多いです。

人からのサポートを受け入れられないようになってしまう要因は
人それぞれ違うので、一概には言えませんが
確実に言えるのは
「自分は、人から受け入れられている、愛されている。
どんな自分であっても、人は受け入れてくれる」
という安心感や信頼がなければ、人にサポートを求めることは
できなくなってしまうということ。
そうなると、例え、頭ではこれは人に頼んだ方がいいとわかっていても
なかなかできないですから
何らかのヒーリングが必要となってくるかもしれません。

そういう私も、どちらかと言えば、昔から人をサポートする側にいて
サポートされる側にはいなかったので
人からのサポートを受け入れるのは、苦手な分野だったのですが、
最近はかなりサポートを頼んだり、受け入れたりすることが
できるようになってきました。
私の場合、なぜ人からのサポートを受け入れていなかったかというと
サポートされるより、サポートする立場の方が、
心地よかったからなのですよねä١
人をサポートできている自分に、自分の価値を見出してしまうと
そこから抜け出せなくなります。
誰だって人にサポートしてもらうより、
サポートする方が心地よいものですから。
(これは完全に自我ーマインドの心地よさなのですが)

場合によっては、
人に何かを頼むということは、それが自分のためだけなく
相手のためになることもあります。
サポートを頼まれた相手にとっては、
「私に仕事をまかせてくれた」とか、
「私を信頼してくれて悩みを話してくれた」とか
「私も彼女のために何かができる」などという喜びもあるのですから。

うちの母はよく
「親に何かをお願いするのは親孝行なのよ」と言いながら
義理の祖母にいろいろ甘えていて、今から思うとそれが
親子関係だけでなく、いろんなところで大切なのかもしれないなあと。
親に何でも頼めない関係だと、人にも頼めなくなってしまいます。

私たちはみんな一人では生きてゆけません。
人のサポートを受け入れていないと、一人ですべてを
解決しようとしますから、人生が行き詰まってしまうことも多いです。
人に気楽にサポートをお願いして、また気楽に引き受ける、
でも、引き受ける側は、自分を犠牲にしてまで引き受けないで、
その場合はノーということ。
相手が無理をしてまで、お願いを引き受けない人だとわかっているからこそ
こちらも、安心してサポートをお願いできるのですから。

ということで、今日は、これを読んでいる方にお願いがあります。
私のブログは、何一つ誰か特定の個人に当てたものではないのですので
これを読んで
「私のことを書いているのではないかしら?』と
思わないでもらえたらなあと

もちろん、私と直接面識のない方にとっては、そう思わないでしょうが
私を個人的に知っていたり、セッションに来られたりすると、
この内容を個人的に受け取られてしまう可能性があります。
以前は、それを考えて
「ああ、この文は最近来られたあの人のことだと誤解されるかも?」
なんて思って後で削除したりしたのですが
最近は、ほとんど深く考えずに感じたままをボンボン書いているので
人によっては、気にしたりする方もいるかもしれないなあと。

以前、何人かの方に
「のりこさんのブログを読むと、
全部私のことを書いているように思えるのですよね」
と言われたことがあるのですが
人はみんな誰でも同じようなものを内在的に持っていますから
「ああ、これ私にもある」などというところは多いのです。
私は毎日、何人もの人と関わっているので
誰がどんな問題を持っているか、なんてセッションが終わると
ほとんど覚えていなくて、次に来られた時にセッション記録を見るまで
すっかり忘れているのですが、
よく問題としてあがってくることに関しては、ここで書いてみたり
自分の問題として書いているだけで
特に誰かに対して書いているわけではないです。

おさむによく
「のりこ、俺はのりこの言わんとしていることがわかるけれど
この文を読んで、のりこの真意を理解する人は少ないと思うよ」
などと言われるのですが。

言葉は本当に制限だらけ。
私の感じていることすべてを、そのままエネルギーとして
ブログに貼付けて、この感覚を伝えることができたらいいのになあ~~。
(そんな日も来るかしら?



最終更新日時 2012年2月6日 23時45分32秒
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2012年2月1日

ポジティブとネガティブ  (4)
[ ヒーリング ]  

 
先日、セッションに来られた方も言われていたのですが
ネガティブなことを考えてはいけない、と思っている人って案外多いです。
以前にも「ネガティブを受け入れる」というテーマで書いたことがありますが
感情によいも悪いもないですから
例え、ネガティブな感情がわき上がってきたとしても
それを否定しないことが大切です。

ネガティブなものを否定すればするほど、そこに力を与えてしまいますから
ますますネガティブなものが生まれてきます。
人前でスピーチしなければならない時に
緊張してはいけない、いけない、と思えば思うほど緊張するものですよね。
恐れてはいけない、と思えば思うほど、恐れは強くなってゆくのです。
なので、「緊張してもいいんだよ」と緊張することを自分に
ゆるしてあげた方がずっと楽になります。

また、ネガティブなことを考えるとそのことが実現してしまう、
などと思っている方もいるのですが
そんなことを言ったら、例えば飛行機に乗って落ちるかも?と思ったら、
それが実現するということになってしまいます。
たぶん、飛行機に乗っている人の中で何人かは「落ちるかも」という
恐れを持っていると思うのですが、それで飛行機が落ちることはありません。
例え、乗っている全員がその恐れを持っていたとしても落ちないでしょう。
そんな恐れは実現しないので、いくら考えても大丈夫なのです。
恐れてもいいと思うと、その恐れはなくなってゆくことがほとんどですから。
もっとも、その飛行機に乗る予定の300人がみんな
10年間ぐらい、その飛行機が落ちるかもしれない、と思い続けたとしたら
落ちるかもしれませんがä١
いくら、その瞬間、強い恐れを持っていたとしても
長い間、潜在意識で感じ続けない限り、大丈夫なのです。
(これが5次元世界になると、即実現になってくるのでしょうが

確かに、私たちの意識は、私たちの現実を作ってゆきますが
それはあくまでも潜在意識、無意識での想いが続いた場合です。
例えば、健康を失いたくない、とずっと願い続けていれば、いずれ病気になりますし
また、経済的に豊かになりたい、と思い続けていれば、豊かにはならないでしょう。
健康になりたいという意識は、潜在意識の中では健康でないという意識の現れであり
豊かになりたいという意識は、潜在意識の中では豊かではないという
意識ですから、それが続けば、その意識がそのまま現実として
現れてくるということです。

ポジティブでいたい、その思いも、
潜在意識の中にネガティブがあるためにやって来ます。
だから、自分の中にネガティブなものがある人ほど
他の人のネガティブを見たり、聞いたりするのを恐れてしまいます。

ですから、もし、ネガティブな意識が湧いてきたら、
徹底的にそれと向かい合った方がいいのです。
私は最近でこそ、滅多にネガティブな感情はわき上がってこないし
たまにわき上がってくれば
「お、ここにあったな、発見!」という感じで、
ヒーリングの材料を見つけて、ちょっとわくわくします。
もちろん自分の中のネガティブなものを見れないヒーラーは、
そこで終わってしまいますから、ヒーラーとしては当たり前のことなのですが
ヒーラーでなくても、自分が変化してゆく(本来の自分に戻ってゆく)ことの
喜びを知ると、ネガティブと向かいあうのは、楽しいことになってきます。

でも私は以前、こういったヒーリングをやる前は
今みたいにはできなかったし
ネガティブな意識は、今よりもたくさん顕在意識に上がってきていました。
そういうネガティブな意識、例えば不安になったり、
焦ったり、嫌な気もちになったりした時にどうしていたかと言うと
そのことによって、引き起こされる可能性の中で最悪のケースを
じっくり考えていました。
それを行うこと、または行わないことによって自分は何を失うことになるのか?
それを失うことは自分の人生でどういう意味があるのか?
そうして、その最悪のことが起こった場合、
自分としては何ができる可能性があるのか?
も一緒に考えてゆくのです。

こういったプロセスは、ヒーリングとは違って
あくまでも思考の上でのプロセスなので
根本的な解決にならないことも多いですし、
もし再び何か問題が起これば、恐れや不安は出てくるものですが
それでも、その場でその場での効果はあります。
当時は知らなかったのですが、これは今から思えば、
NLPなどで行っている思考を変換するための
リフレーミングというプロセスに近かったのだなあと思います。

私の母は昔から、子供たちが何かを心配していると
「大丈夫、死ぬわけではないから」
というのが口癖だったこともあって
私にとっての最悪のケースというのは、死ぬことであって
「最悪でも死なないのなら、大丈夫だ」というのがいつもどこかにありました。
これをやったら死ぬかもしれない、というのは
普通の人の人生の中ではあまり多くはありません。
何か新たなことにチャレンジしたり時に、恐れたりすることの多くは
マインドの幻想であって、最悪のケースを考えても
それほど人生の中で大きな喪失にはならないことがほとんどです。

私の人生の中で、これをやったら死ぬかも?と思ったことも
何度かあったのですが、
「どう安全に生きようとしても、死ぬ時は死ぬ、
これで死んだらそれが私の運命だ」
と思えたら、やっぱり大丈夫でした。
もっともロッククライマーやスカイダイビングなど
「最悪のケースは死ぬかも」ということをいつもやっている方が
その他の場面でもリフレーミングの力が強いとは限らないのですが。

でも、リフレーミングは、マインドですから
根本的な解決にはならないこともあるのも確かです。
リフレーミングの力が強いことが
潜在的な恐れや不安を否定するだけになってしまう可能性もありますから。
ですから、あくまでも恐れや不安を否定せずに
リフレーミングしてゆくことが大切だなあと。
そして、根本的な解決は、恐れを持っていたら、
それがどこから来るのかに気づき、ヒーリングしてゆくこと。

ということで、
恐れを感じることを恐れないこと
ネガティブな感情や意識を否定しないこと。
徹底的にネガティブと向かい合ってゆくこと。

そうすれば、最終的には、ポジティブとネガティブなんて違いは
実は何もなかったことに気づくのです~ふふ

CSC_0639 2.JPG
昨日の朝、ベッドの上から撮った写真。
たぶんEuropean Starling(ホシムクドリ)
外来種だそうでたくさんいます。黒い羽に緑が入ってきてきれい♪

冬の晴れた日の朝が好きです~ϡȡʼ񤭡



最終更新日時 2012年2月2日 8時6分57秒
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2012年1月30日

自己啓発とヒーリング  (4)
[ キネシオロジー ]  

 
時々、自己啓発とヒーリングを混同している方がいるのですが
両者は全く違うものです。
特にキネシオロジーでは、目標設定をしたり、
アファメーションを唱えたりしますので
自己啓発的なものと受け取られやすいのかもしれません。
もちろん、自分の中の制限をはずし、
自分の可能性や能力をのばしてゆくという意味では
同じようなところもあるのですが
最も違うのは、自己啓発がマインドの目標に従ってゆくのに対し
ヒーリングは魂の目標に従ってゆくということです。

先日「魂の夢、マインドの夢」という内容で書きましたが
自己啓発で行っているのはマインドの夢です。
ですから、何年も自己啓発系のセミナーに通ったり
本を読んだりしているにも関わらず、目標はなかなか達成されず
逆にがんばれない自分が、意思の力が弱いだめな人間に
思えてくる方も少なくありません。
また、例え、自己啓発でよい方向に向かっているようでいても
時間が経つと再び、問題が出てきたり、どこか満足できないものがあったりします。
私は昔、自己啓発系の本などもいろいろ読んで実践してきたのですが
その頃は、全く自分の理想は実現できませんでした。

ではキネシオロジーがすべて魂の目標に従ったものかというと
けしてそうではありません。
マインドの目標に合わせて調整することも可能ですし
実際、ほとんどのキネシオロジーではマインドの目標でセッションを
行っているところが多いのではないかと思います。
タッチフォーヘルスでは、目標設定は基本的にマインドで行いますから
一時的なストレスの軽減や身体の機能の調整には有効だと思いますが
本質的な問題の解決にはつながらないこともあります。
IH(インテグレイテッドヒーリング)キネシオロジーでも、
魂の目標とマインドの目標の違いなんて教わりません。
セラピストの立場で言えば、クライアントさんのマインドの目標で行うのは
とても楽で、何の身体の抵抗も起こらないし、好転反応もないし
時間も1時間もあれば充分で、どうかすると30分で終了します。
IHはシステムがとても上手くできているので、マインドの目標で行っても
何らかの効果が出ることが多いのですが
でも、マインドの目標では、根本的な問題の解決にはなっていないことが多く
問題は再び出てきます。

例えば、10Kgやせたい、と思っていたとして
「健康的な食事をして、運動を行い、体重を減らします」
などというマインドの目標でセッションを行うと
実際に潜在意識は調整されるので、効果はあるのですが
それが何らかのきっかけで食事や運動をやらなくなったりして
またもとに戻ってしまったりすることも多いのです。
太ってしまうというのは、実は食事や運動や生活習慣が問題なのではなく
根本的な要因は他にあることがほとんどです。

ごくたまに、マインドの目標と魂の目標が完全に一致している方もいますが
そういう方は、ごくまれで、たぶん30人に一人もいないだろうなあと。
純粋に身体の機能的な問題の場合は別ですが
ほとんどは、マインドの目標と魂の目標は、ずれていますから。
完全に一致するためには、かなりマインドを手放していないと
難しいです。

また例え、魂の目標であっても、本質的な目標と
表面的な目標があります。
例えば、子供の時から母親が嫌いで、今でもゆるせないという問題があったとして
(親をゆるせないと感じている人は案外多いのですが)
そういう自分が嫌だし、周りからも親をゆるすことが大切だよと言われて
それでセッションに来られたりした場合
「母をゆるします」というのは、魂の目標の一つではあっても
本当の目標ではないことがあるのです。
本当の魂の目標は、母をゆるすことではなく
母との関係において、どういう自分になってしまったか?
どこが本来の自分からずれてしまっているのか?にあります。

私は以前は、人にはヒーリングされる段階があり、
いきなり本質的な目標での調整は難しいケースもあると思っていました。
それで身体が「この目標が、このセッションでのベストの目標だよ」と
反応している場合は、その目標で潜在意識を調整していました。
でも、ようやくここ数ヶ月で、いきなり本質的な魂の目標で
調整を行うことができるようになってきました。
(もちろん、いくつかの段階が必要な時もありますが)
それは、マインドの目標での身体のごまかしを外せるようになったことと
(身体はけして嘘はつかないのですが、ごまかそうとするので
セッションの時に、私が完全にハートに意識が入るようになってから
クライアントさんの身体が、マインドの目標には反応しなくなったこともあります。
本当に深い魂の目標で調整を行えば
身体の抵抗や好転反応も起こることもよくありますが
本質的な意識が変わるので、大きな変容が起こります。

とはいえ、けして自己啓発が無駄だということではありません。
人生の中では、あれこれがんばってみる時期も無駄ではありませんから。
でも、がんばって何かをやっている以上、問題はずっとあります。
「がんばらなければならない病」
これはまるで伝染病のように人々に伝染しています。
もちろん私も何かをやって、後から、よくがんばったなあ、と思ったりしますが
その時は無我夢中でやっていて、がんばらなければ、とは思っていないのです。
がんばらなくても、魂の導きに従っていけば、自然と道は開けてくるのですが
マインドの目標に従っている以上は、次々と問題は出てくるのです。

マインドの目標を見つけるのは簡単です。
「しなければならない」というのはすべてマインドの目標ですから。

「痩せなければならない」「お金を稼がなければならない」
「人に貢献しなければならない」「ちゃんと自立しなければならない」
「恋人を見つけなければならない」「人を楽しませなければならない」
「もっと勉強しなければならない」
自分の中にある「ねばばらない」をあげてみると、何がが見えてくるかもしれません。
「だってお金を稼がなければ食べていけないじゃない」とか
「だって痩せなければ、恋人ができないじゃない」とか
マインドはあれこれ理屈をつけてきます。
もちろん、お金を稼ぐことは大切で、自分のベスト体重にすることも大切であり
その目標に向かってゆくことには何も問題ないのですが
「ねばならない」と感じているところに、何かがあるのです。

魂の目標に従って、がんばらないでいると、今の状況でこれでいいやとなってしまって
もっと成長したり、上達したり、成功したりしないんじゃないか?と
恐れている人もいますが、実は反対です。
魂の目標に添っていけば、どんどんと自分の道が輝いてゆき
本当の意味での人生の成功があります。

ちなみに、がんばることと、
チャレンジしていくこと、冒険していくこととは、全く違います。
私たちの本質は、新しいことにチャレンジしたり、
冒険することは大好きなのですが、がんばる必要は何もないのです。

もう「がんばる生き方」は終わる時代に入ってきているんだなあ、
そんな風に感じるこの頃です。



最終更新日時 2012年1月31日 11時30分19秒
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2012年1月28日

言葉にとらわれないということ
[ つれづれ ]  

 
言葉は、とても限定された表現手段ですから
言葉そのものにとらわれてしまうと、いろんな問題が起こってきます。
一つの言葉でも、人それぞれみんな捉え方や感じ方は違いますし
例えば、自分にとって、その言葉は、特にどうということでなかったとしても
相手とっては、それはきつい言葉に感じる、などと
自分にとっての言葉の定義と相手と異なると
「あんなことを言うなんて、ひどい」とか
「こんなことを言うのは、彼が私をないがしろにしているからだ」
とか誤解や葛藤が生まれてきます。

何度かお話ししていますが、キネシオロジーで調整しているのは
言葉そのものでなく、その言葉から導き出されるエネルギーですから
実際は言葉そのものはどうでもいいわけですが
お互いにわかりやすい手段で伝え合うために、
言葉を手段として選んでいるだけなのです。
だから、その言葉がその人にとって、どういう感覚をもたらすか?
が大切になってきます。

相手の話を聞く時に、言葉そのものを聞くのではなく
真に相手が伝えたいことを聴く。
これができないと、相手の使った言葉に惑わされて
あれこれ考えてしまって、事実とは全く違う幻想の中に
いることになってしまいます。

ちなみに、フラワーエッセンスの中で「ツインフラワー」
というエッセンスがあり、たまにクラアントさんの身体が選ぶのですが
これは、真のコミュニケーションのためのエッセンスで
言葉そのものではなく、真に相手が伝えたいことを理解する
という効能があります。
ジャッジ(判断)を手放すためのエッセンスです。
(私は、ツインフラワーのアラスカンエッセンスとパシフィックエッセンスを
持っていますが、アラスカンエッセンスの方が出てきます)
言葉そのものにとらわれないということは
価値判断を手放すということなのです。

例えば、Bさんが「あ~私は勉強しないといけない」と言ったとして
それを聞いたスピリチュアルなAさんは
「~~しなければならないなんて、何もないのよ」とBさんに言います。
このAさんは
『~~しなければならない』というのはスピリチュアルな生き方ではない。
というスピリチュアルな本を読んだので、
これは間違っていると判断しているわけです。
「~~ねばならないものは何もない」ということの本質は
正しいも間違いもない、ということなのですが
その本質を理解せず、ただ言葉だけで理解しているので
こういうことが起こります。

一方、勉強をしなければならない、と言ったBさんは
本当にhave to ~~ねばならない、という意味でその言葉を使ったわけではなく
気持ちとしては、~~したい、と同じ感覚で、
その言葉を使っただけ、ということもあるわけです。
だから、相手が本当は何が言いたいのか理解せず
言葉だけで判断すると、コミュニケーションにおいても
様々な行き違いが出てきます。

よく相手が心配していたり、落ち込んでいたりした時に
励まそうとして
「ポジティブに考えようよ」
などと言う人がいますが、これもポジティブでいるのがよくて
ネガティブは悪いという価値判断がそこにあります。
価値判断を手放すと、
「ああ、今、彼女にとっては心配なんだな」と感じるだけで
相手がどんな状態であっても、それがいいとか悪いとかは思いません。

私が誰かの話を聴く時には、実は言葉そのものはたいして聞いていなくて
ただ全体のエネルギーを受け止めています。 
メールなどのコミュニケーションの時は、
実際に会わないとわからない部分も大きいのですが
それでも、いろんな文を読んでいくと、ある程度、
そこから相手の真に伝えたいものを感じ取ることができます。
もちろんその人が選ぶ言葉そのものから、エネルギーを感じれることもありますが
言葉そのものに惑わされないことが大切だなあと。

だから、覚者やスピリチュアルな指導者の言った言葉そのものに
捕らわれないことも時として必要かもしれません。
ヒーリングを行ったり、スピリチュアルな探求をしている方に
けっこう多いのですが
いろんなスピリチュアルなリーダーが言った言葉そのものの捕らわれて
自分の世界を限定してしまっていることがあります。
例えば、あるヒーリングの創始者が
「このヒーリングは~~です」と言ったとして
その言葉そのものに捕らわれてしまうと、ヒーリングは限定されたものになります。
その創始者の意図は、その言葉の表面的なものではなく、別にあるかもしれないし
また、自分にとっての真実は、違うところにあるかもしれません。
それはけして、その創始者が間違っているということではなく
別の真実もあるということなのです。

そういうこともあって、最近の私が感じているのは、
スピリチュアルな本をあれこれ読んでいても、
全く読んでいない人と、実はそうたいした違いはないんじゃないかしら?と。
例え、言葉で理解していなくても、その感覚を持っていれば
それはスピリチュアルな学びなのですから。
と、私自身が、以前は言葉だけでスピリチュアルを理解していた、
頭でっかちスピリチュアルだったわけですが㤭Ф

言葉は制限があるものだ、という認識を持った上で
その制限の中で、いかに伝え合うか?を楽しみながら、
コミュニケーションができれば、それはまた違った喜びになります。
私とおさむは、たまに、遊びで「私は~ねばばらないの~」と
「~ねばならない」ごっこをするのですが、これは二人の間に
「~ねばならないことは何もない。私たちはわくわくすることだけをやってゆく」
という共通の認識が、すでにあることを知っているからできる言葉遊びです。
コミュニケーションにおいて、最も大切なのは
共通の認識(意識)があるかどうか?であって、話す言葉そのものではないのです。

と「言葉そのものに捕らわれない」ということを
言葉で伝えようとしているわけですから、やっぱり意味ないかも。
私がどういう言葉を使って書いたとしても
伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらないわけですが
何も書かないと何も伝わらないわけですから、とりあえず書いているわけですが。
(本当は伝える必要もないのですけれどねä١

先日おさむが
「のりこって、小難しいことをあれこれ考えるよね~」
なんて言うのですが、考えているというより
意識のどこかで感じていることを、言葉に変換するのが
好きなんだなあと。
本当は感じていることを、言葉ではけして表すことはできないわけで
感じているままにしておくこともいいのですが
変換してゆく楽しさもあります。
言葉という制限の中で、また肉体という制限の中で
あれこれ遊ぶためにここにいるのですもの。

だから、何をどう書いてもいいのですよね



最終更新日時 2012年1月30日 14時35分12秒
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2012年1月26日

自己価値と英語でのセッション  (2)
[ キネシオロジー ]  

 
最近、IH キネシオロジーで「自己価値」についてのテーマで
セッションを行うことが、何度か続きました。
「ありのままの自分の存在価値を受け入れること」
私たちすべてにとって、大切なことで
これがないと、人生は困難になってきます。
これまで何度か書いていますが、自己の存在価値を受け入れるのは、
けして何かを成し遂げたから、とか
人に貢献できているから、ということではありません。

ここに辿りつくためには、何度かのセッションが必要な人もいますし
初回からこのテーマが選ばれる方もいます。
最近は、私がかなり大きな抵抗でも外せるようになってきたこともあって
初回のセッションでも、この問題が出てくることが多くなりました。
(初回のセッションで、こういう深いテーマが選ばれると
セッションは長くなる傾向にあるのですが㤭Ф

さて、先日セッションを受けられたアメリカ人の男性の方から
感想を頂いて、掲載の了承を得たので、ご紹介いたしますね。

Thanks again for the amazing session!
I wanted to report that I think some changes are already starting to happen.
Today my boss commissioned a job for me this Sunday to do outside of work.
For the past 7 years I have never asked how much a job pays
or how much I will be paid in commission (signs of my low self-worth)
but today without even thinking
I walked right into his office to discuss the pricing and commission
and also make sure it is fair!
This is big change, thanks again.


一応、ざっと訳しますね。

「すばらしいセッションをありがとう。
もうすでにいくつかの変化が起こり始めているので、お知らせしたかったのです。
今日、私のボスが私に今度の日曜日にoutside of work
(通常の仕事ではなく、エキストラの仕事)を頼んできました。
過去7年間、私はただの一度もその仕事はいくらなのか、
またその依頼で私がいくら受け取ることができるのか、尋ねたことはありませんでした。
(私の低い自己価値の現れですね)
でも、今日、私は何も考えることさえなく
オフィスに入ってゆき、その料金と依頼について話し合ったのです。
そしてそれが公平なものかどうか、確かめたのです!
これは大きな変化です。
ほんとうにありがとう」


この男性は、最初来られた時に、自分には特に何も問題はないと言われてきました。
仕事も人間関係もそれほど問題はないし、健康的にも何もないし、
何年も日々瞑想も行って、食事にも気をつかい、心は穏やかで、
セッションで取り組みたいテーマは特にないけれど、
友人に勧められてここに来た、と言われます。
それでは、何が出てくるか、見てみましょう~と
セッションはスタートしました。

セッションの中でカウンセリングはとても大切で
クライアントさんの話の中から、私はいろんなヒントを得て
これかな?それとも、これかな?と
クライアントさんの身体にあれこれ聴いて、身体の反応を見てゆきます。

けれど、問題がない、とあまりその方のことを話してもらえない場合は
ヒントなしでのスタートになるので、ただ私の直感的なものに頼って
見てゆくことになるのですが、それでも必ず
その方にとって本質的なテーマや問題は上がってきます。
えてして問題が特にないと言われる方ほど、多くの問題を内在的に
抱えているものですが、この方の場合も、
自己価値を受け入れてない、人のサポートを受け入れることができない
ありのままの自分を表現できない、などの問題が上がってきました。

自己価値の問題が上がってくるのは、
親との関係から来ているケースが多いのですが
この方の場合も、子供の頃の母親との関係から、
ありのままの自分の価値を見出せなくなっていました。

親からありのままに自分を認めてもらえなかったり
または、子供の時から親をサポートする必要があったりすると
そのままの自己価値を認めることができずに
自分は常に人に貢献しなければならないと、
がんばりすぎてしまっていたり
人のサポートはすることができても、
人からのサポートは受け入れることができなかったり
弱い自分を人に見せることができずに、人に相談することもできなかったり。
そうなると、すべてを自分一人で解決しようとするので
行き詰まってしまうことも多くなります。

このメールを頂いて、初めて知ったのですが
彼は7年間、自分の仕事に対しての正当な報酬を得ているかどうかも
確かめずにいて、それが問題だとさえ感じていなかったのだなあと。
もちろん、多額の収入を得て、自分の報酬なんて全く気にしない人は別ですが
この方の場合は、自己価値を受け入れていないために、
そういうことをしようという気も、起きなかったのですね。

そして、今回「何も考えずに自然に」相手と話し合うことができたと
自分の中の変化を感じられたのは、大きな一歩。
潜在意識が変化すれば
「こうしなければならない」などと考えることなく
自然と行動に移すことができるようになるのです。

さて、今回は、self-worth 自己価値がテーマに選ばれましたが
これがself-acceptance になると、
また少し感覚(エネルギー)は違ってきます。
私の好きな言葉の一つに、unconditional self-acceptance
直訳すると「無条件の自己受容」ですが、
「ありのままの自分を受け入れる」ということ。
どんな状況でも、自分を責めたり、批判したりしない、
例え、だめな自分であっても受け入れるということです。
もちろんこれは、自分のだめな部分を変えない、ということではありませんし
むしろ、しっかりと自己を見つめるということです。
一方、self worthの場合は、人との関わりの中での意識であって
例え、どういう自分であっても
自分は人から受け入れられる存在である、ということを信頼している
という感覚かなあと。

他にアメリカ人がよく使う言葉として
self-esteem という言葉があります。
日本語で訳すと自尊心と訳されていて
自尊心というと、プライドという感じで、あまりよい印象はしないのですが
どちらかと言えば、自己価値を受け入れる、ということに近いかなあと。
このあたりのニュアンスの違いは、
私もまだよくわかっていないところがあるのですが。

私にとって、英語でのセッションは、
こういった言葉のニュアンス的な問題もありますが
それより、相手に説明する際の難しさを感じることがあります。
私は心の中で質問して、身体の反応を見てゆくので
英語でのセッションでも、何が問題か、目標かなどは、すぐにわかりますが
例えば、何かのテーマがあがってきた時に
そのことが、その方の顕在意識では、全く問題だと思っていなかった場合
どう問題なのか?を相手が頭で理解できるように、
話し合ってゆく必要があります。
あくまでもキネシオロジーで行うのは潜在意識の調整ですが、
顕在意識でも理解していることが大切なのです。

身体は、けして問題になっていないことには反応しないので
例えば「責任感」で反応した場合は
責任感が、その人の人生で問題となっている、ということなのですが
「人には責任感が必要だ」と頭で強い信念があれば
例え、身体がそう訴えていても、潜在意識の調整はできません。

自分の行為から生まれた結果の責任を自分で負う
というのは、この宇宙の法則ですが
責任感となると「こうしなければならない」
と自分で自分を制限していたり、人からの期待に応えようと
必要以上にプレッシャーを感じたり、必ず、自分自身に負担をかけています。
自分の人生の責任は、他の人ではなく、すべて自分自身にあるという
責任を取る生き方は必要であっても
「責任感」は不要なのです。

そういった日本語でもちょっと理解することが
難しいようなシチュエーションで
私の英語力だと、上手く伝える力が不足しているなあと。
英語に対するストレスや自信などの調整は行ったので
英語へのストレスはないのですが、ストレスがないからと言って、
英語が流暢に話せるというわけではないのですよね~ä١

ということで、英語力のアップは、これからの私のテーマの一つ。
かなり今さらなのですけれど
考えてみれば、ずっとここに暮らしていながら
ただの一度も英語をまともに勉強したことはなかったなあと

と、最近、アメリカ人とのIH キネシオロジーのセッションが続いているので
こういうことも考えるようになったわけなのですが。
なんといっても、自分の興味があることしかやらない人なので
これまで英語を勉強しようという、発想さえなかったのですが
要は言葉は、ハートでつながることをサポートする
一つの手段ですものね。

ということで、今年は英語をやります~♪
(と、あっさり、自分の目標を変えてしまう人なので
どこまで続くかは、かなり疑問ですҤ褳



最終更新日時 2012年1月27日 23時8分8秒
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2012年1月24日

覚醒した意識
[ ヒーリング ]  

 
以前は、悟りを開いた人や覚醒した人というのは、
覚醒していない人とは、常に全く違う意識状態でいるものとばかり思っていました。
でも、ここ数年、私自身が何度かそういう意識状態を経験したことで
いくらその瞬間には覚醒していたとしても
またいつもの意識に戻れば、マインドに戻ってしまうということが
よくわかります。
その意識状態のままでは、私たちは食べることさえもできなくなるし
この次元では生きていくことはできないので
それは、この肉体を持って生まれてきている以上、仕方のないこと。
(もしかすると、どこかの山奥の聖人なんかで、その意識状態だけで
生きている人もいるのかもしれませんが)

覚醒の意識を体験したからといって、何も特別なわけではなく
誰でも「すでにそれはある」のに、ただ気づいていないというだけですから
もしそこに行ったなら
「なんだこんなことだったの。これはすでに(意識のどこかで)知っていた」
ということになります。
ただ、一度でもその状態を体験すれば、何らかの感覚は残っていて
自分がマインドにいることに気づきやすくなりますから、
意識の大きな変化はありますが、
だからといって、3次元的に抱えているすべての問題が解決するわけではなく
あらゆる瞑想やヒーリングを行って、頻繁にその意識状態を体験している人でさえ
時々、完全にマインドに陥っているのを感じたりします。
そして、私自身もそうなのだなあと。

でも、その覚醒の意識状態に行く度に
「ああ、また戻ってくることができた」という大きな喜びとともに
「これは、いつもここにあったのに、あれこれ探し求めていたなんて。
私はもう何もする必要はなかったのね」
という感覚を感じます。
去年、清水友邦さんのブレスワークでもそう感じました。

そして、その意識状態を離れた途端、
その時、感じたことはしっかりと覚えているのですが
もうすでに別の意識になっているのです。

覚醒するということは、自我から離れるということですが
覚醒した後、再び、自我に戻った時に
覚醒を体験する前とは違って
例え、自分がマインドからそれをやっていることに気づいていても
この世界で自分のやりたいことをやってゆくのは変わりないのだなあと。

いつだったか、おさむと覚醒状態にいた時に
「のりこ、これでものりこは、パチパチとブログ書いたりするの?」
と言うので
「そりゃないでしょ~。そんなこと何の意味もないし」
なんて二人でけらけら笑っていたのですが
その意識から離れた途端、バチバチとブログ書いている自分がいたわけです。
例え、私が何を言葉で説明したところで
それぞれが体験して感じなければ何も意味はないわけで
ブログなんて書いても、実は魂レベルで言えば
何の意味もないことは充分にわかっているのですが
この3次元世界の中での遊びとして、あえてそれを行うという感じなのです。

人生暇つぶしä١

これは私が20代前半まで、よく言っていた言葉だったのですが
ニューヨークに来て20代後半から
「いや人生は暇つぶしなんかじゃない。
それぞれに与えられた使命があるのだ」ということに気づき
私の使命を探しながら、あれこれ探求を続けてきたわけなのですが
ここ最近になって、
「やっぱり人生は暇つぶしだったね」とおさむと二人でよく笑います。
ただ、20代前半に感じていた暇つぶしと
今の暇つぶしとは全く違う感覚。
20代前半に感じていた暇つぶしは、刹那的であって
人との分離の意識の中での暇つぶしなのですが
今の暇つぶしは、すべてがつながっていることをつねに感じながら
自分が楽しくやれることを通じて、そのつながりをより深めてゆくという意識。
それが例え、エゴであろうが何であろうが
この3次元に生まれてきたこと自体が、そういう体験を通じて
何かを感じてゆくプロセスなのだと感じます。
私たちに使命があるとしたら、一瞬一瞬を幸せに生きるということだけ。
どうせ暇をつぶすのなら、思いのままに冒険しながら
ハッピーにこの人生を生きて、卒業したいなあと。

だから、すべての瞬間が大切で愛おしくて、祝福なのです。
ヒーリングをしている時間だけでなく
食べている時間、寝ている時間、服を着替えている時間、
シャワーを浴びている時間、話をしている時間、本を読んでいる時間、
ワインを飲んでいる時間、ブログを書いている時間、、、
すべてが愛おしくて抱きしめたくなる瞬間です。

では、ヒーリングというのは意味があるのか?
そんな質問は何度となく自分にやったのですが
意味があると言えばあるし、ないと言えばない。
もちろん、私が今の意識にいるのは
いろんなヒーリングを通じて、意識を変容させてきた
(つまりは自分自身に戻ってきた)からであることは間違いないわけですが
でも例え、ヒーリングをせずに
完全にマインドの中で、あれこれ苦しんでいたとしても
それはそれで、魂レベルから見れば、そうたいしたことではないでしょうし
いつかは誰でも覚醒するわけですから。

ただ、この今の時期というのは確かにあるようで
何かが大きく変わろうとしているこの時期だからこそ
様々なヒーリングが、社会に広まってきているのだろうなあと。

ちなみに、これは私の独断と偏見かもしれないのですが
瞑想だけで、マインドから抜けるのは、かなり厳しいなあと。
瞑想によって、感情は解放されてゆくかもしれませんが
最も問題なのは、私たちが持っている信念体系ですから。
これはIHキネシオロジーの中でいつも感じていることですが、
セッションの中で、身体の抵抗が大きくなるのは、
その人に強い信念体系がある場合です。
それは、それぞれの体験したことの深さや重さとは全く関係なく
なぜかそこに強力に存在していて
それぞれの魂の導きを防いでいます。
だから、そこから抜けた場合は、本当にハッピーですし
なぜそんなところに陥っていたのか、不思議なのですよね。
私にとって、IHキネシオロジーが最もピンと来るのは
この信念体系を、最も効果的に外すことができるヒーリングの一つだと
感じているからなのです。
(もちろん外すのは私ではなく、それぞれの方の魂の導きによってですが)

ということで、今年2012年。
もう10年近く前からここに来ることを目指してきて
以前は、つねに自分の中では何かが足りない状態だったのに
いつのまにか、ほぼreadyな状態になっていて
いろんな人たちとともに、そこに向かっているのを感じます。
そこには何があるのか、まだわからないですが。
そこに向かう途中は、もちろん必ずしも楽し、楽しだけではないかもしれませんが
最終的にたどり着くところがわかっていれば、何も恐くはないですね。

ということで、今日は何となくこんなことを書きたい気分でした。
明日になれば、また意識は変わるでしょうから
なんでこんなこと書いたのらしら?と思うのかもしれないですが。
(たぶん、後から読むと、こういうこと書いているのも
マインドだなあと感じてしまうのですけれどね



最終更新日時 2012年1月25日 14時2分47秒
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2012年1月21日

同情と共感と  (6)
[ ヒーリング ]  

 
私を知っている方は、よくわかっているでしょうが、私はよく泣きますä١
わんわん泣くわけではないですが、
IHキネシオロジーのセッションの中でも
普段でも、感動すればすぐに涙が出てきます。
でも、涙が出てくるのは、かわいそうとと同情したり、
自分が辛くなって泣いているわけではなくて
これまで大変な想いをしてきたんだね~という共感や
大変な経験を選んで、ここに生まれてきた魂のへの感動や
そこにやっと気づいて、手放し
本当の自分に戻ることができることへの祝福の涙なのです。

なので、感情移入しているわけではないので
次の瞬間には完全に忘れてしまっていて、全く残っていないことが多いです。
おさむ曰く「のりこにとって、クライアントさんの話を聞いて共鳴することは
まるで、テレビのチャンネルを変えることと同じなんだね」
というのですが、確かにそんな感じだなあと。

人によっては、ここではとても書けないような
大変な経験をされて、人生の中で重い荷物を抱えていらっしゃる方もいます。
時々、クライアントさんで
「こんなに重い話をしてしまってごめんなさい」
なんて言われる方がいらっしゃるのですが
私にとっては、その人の経験の重さ、軽さはあまり関係がないので
どんなにディープな話を聞いたとしても、問題ないのです。
セッションの間は、一緒に泣いたり笑ったりしていますが
そのセッションが終われば、私の中にはもう何もなくなるのですから。

その浄化力というのか、意識の変換のスピードは早いので
おさむはいつも
「そういうことができるのは、のりこのヒーラーとしての資質なんだよ」
と言うのですが
実は持って生まれた資質ではなく、培われてきたものだということに
最近になって気づきました。
それは私自身が経てきたすべての経験から培われてきたもので、
必ずしもヒーリングに関することだけではないのです。
ヒーリングは、そのヒーラーの人生すべてによって、起こります。
これはけして大げさではなく、本当に私が経験してきたことのすべてが
今のヒーリングの仕事に生かされているのを、日々感じます。

以前から感じるのは、ヒーリングに必要なのは、同情ではなく共感だということ。
同情したり、感情移入すれば、それが自分のものとして取り込まれるので
ヒーラーとしての仕事は難しくなります。
でも共感できないと、クライアントさんが求めているものがわからないし
本当の意味での癒しは起こらないのではないかしらと。

同情というのは、実は、自分と相手が分離している意識であり
相手を信頼していないということ。
いくら3次元的には辛い経験であっても、魂レベルでは
その人の経験は魂の成長にとって、必要なものですから
かわいそう、ということにはならないのです。
一方で、共感は、あなたの学びによって、私も学んでいるということであり
意識でつながっているということ。

時々、周りの人の状況に左右されて、
自分が落ち込んでしまったりする人もいますが
それは相手が潜在的に持っている力を信頼していない
魂の導きを信頼していないということです。
ヒーリングにおいて必要なのは、同情ではなく、共感であり
心配ではなく、信頼です。
どんな状況であったとしても、相手がそこから学び、
成長することができるという、相手の潜在的な力を信頼していれば
同情したり、心配したりすることはなくなります。
そして、それはヒーリングの場だけではなく
友人関係、夫婦関係、親子関係、
すべてにおいて必要な意識だなあと思うのです。

そして相手の力を信頼するためには
まず、完全に自分自身を信頼しているということ。
だから、もし相手の状況に対して、自分が心配したり、辛くなったり
同情していたとしたら、自分自身へのワークが必要なのです。

私たちはみんな完全に守られて、導かれています。
傷つくタイミングも、ヒーリングが起こるタイミングも
魂のレベルでは、すべては完璧に起こるのですから餭

Blessings



最終更新日時 2012年1月22日 11時56分19秒
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2012年1月20日

レイキのアチューメントと場所のエネルギー  (2)
[ レイキ ]  

 
先週は3日連続でレイキのレベル2とレベル1のクラス
今日はレベル3のクラスでした。
レイキやっぱり最高~ϡȡʼ񤭡とクラスが終了する度に思います。
最近の私にとって、レイキのヒーリングやクラスは、憩いの時間。
私のすべての細胞をクライアントさんの意識に集中している
キネシオロジーのセッションと比較すると
レイキは、何も意識を向けなくていいので、ヒーリングしていても
こちらもまったりと癒されます。
クラスは、ほぼプライベートクラスですから
受けられる方によって、いろんなスピリチュアルな話に発展したり
(というか、脱線したり
一緒にヒーリングしたり、送り合ったりするので、
教えながら私も癒されるし、クラスは毎回とても楽しいです。
特に最後の実践のヒーリングセッションで、ヒーリングを受ける立場になると
この極楽感はたまらない。
今日も最後は天国でした~

でも、クラスの中で行うアチューメント(伝授)の時間だけは
毎回、身が引き締まる思いがします。
アチューメントというのは、レイキのエネルギーを受け取るための回路を
開くためのプロセスで、クラスの中でレベルによって、3、4回ほど行います。
1回のアチューメントは5分ぐらいで終了しますが、
このアチューメントが一番大切ですから
その時間だけは、しっかりと意識を今に集中します。

私にとって、アチューメントを行っている時の感覚は、
まるで神社の中の神主しか入れない、最も聖なる場所に入ることを許されて、
神に直接、捧げものをする大切なお役目を与えられたかのような感じです。
そんな大切なお役目を与えられたことに、感謝で一杯になりますし、
毎回、その祝福を味わいながら、聖なるセレモニーに全神経を向けます。
聖なる領域に静かに入ってゆくその間は
アチューメントを受けられている人の印象も、
その人の素の部分が出てくるようで、いつもとは違うのを感じます。

アチューメントのやり方は、たぶんレイキマスターによって様々だと思いますが
私のアチューメントも少しずつ変化、進化しています。
アチューメント自体のプロセスはほとんど変わっていないのですが
アチューメントに入る直前でのやり方が変わってきたり
自分の意識状態が変わってきました。
以前から、アチューメントの前にクラウンチャクラ対応のクリスタルボールを
使ってから行ったりしていましたが
最近は、アチューメントに入る直前の一瞬に、マトリックスエナジェティクスを使って
生徒さんとの共鳴を高めてから、アチューメントを行うことが多いです。
アチューメントを行う時に高次元の存在にサポートを頼むこともあります。
私はサナートクマラとつながって、サポートをお願いすることが多いですが
去年のセドナから戻ってきてから、アチューメントの間
あのマリアさまのハートの石が目の前に見える位置に置いてあるので
それを見た瞬間、ハートに意識が戻るのを感じます。
意識がハートにあれば、あれこれと考えることは全くなくなるので
ただ純粋にアチューメントを行うことができます。

そして、アチューメントは、それを行う私の意識だけでなく
その場所のエネルギーも大切だなあと感じます。
私の家、特にリビングとセッションルームは、私にとっては神殿。
ここ場所で行うアチューメントは
たくさんの天使やアセンテッドマスターに見守られている感じがするのです。

エネルギーに敏感な方は、ここに来られると
よく「すごくいいエネルギーの部屋ですね」と
言ってくださる方が多いです。
先日も、場所や人のエネルギーにとても敏感な方が来られて
『最初ここに来た時、あまりにもエネルギーがクリーンなので驚きました。
これは毎日、床拭きされているのですか?」
などと聞かれたのですが
実際は、床拭きはクラスの前などには必ず行いますが、
毎日やっているわけではなく、目についたら行うぐらいです。
その場所のエネルギーを高めるのは、掃除やいらないものを処分することもありますが
家自体の作りや環境、クリスタルや植物や置いている物たちの影響もありますし
また何よりもそこにいる人のエネルギーかなあと。
ここは、以前住んでいた私たちのアパートより、ずっといいエネルギーなので
このアパートの一階に住んでいる大家さんのエネルギーがいいことも
この家のエネルギーが高い要因なのかも?と思ったりします。

もちろん、ここには毎日いろんな方が来られるので
アロマやセージ、お香、フラワーエッセンスなどでの浄化はよく行いますし
毎日、今日は何を処分できるかしら?と意識を向けています。
あれば少しでもエネルギーレベルが下がるような物たち
(使っていないもの、もう必要ないものなど)
そして、私の中のいらないものも、見つかり次第、手放します。
「不要な感情や思いを見つけたら、次の日まで持ち越さないで
その日のうちにヒーリングすること」
これは、以前、バハマのセミナーで
ホリスティック医療の先生が言われていたことです。
場所のクレンジングも、自分の中のクレンジングもつながっていますね。

ということで、これからのテーマは、
コンピューターの置いてある小さな部屋を何とかすること。
どうしても書類や資料などは、たまってしまって
なかなか処分が進まなないのです。
アチューメントやセッションを行う部屋だけでなくて
この家全体を神殿にしていきたいなあと。
まだまだデトックスは続きます~Ҥ褳



最終更新日時 2012年1月21日 11時22分22秒
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