東京カブス 幻の球団首脳陣及び選手名鑑 1945年12月10日に河野が鈴木龍二を訪ね、申請書類を手渡していた。 残った選手達は他のプロ球団へ移籍したり、プロへ復帰しない選手もいた。 高橋吉雄、小松原博喜、片山栄次は1946年3月に苅田久徳が音頭を取って結成されたノンプロのいすゞ(自動車)野球団に入団した。 1946年12月13日、広島で巨人7-6グリーンバーグ
プロリーグ参加はあきらめず、1946年8月、元プロ野球選手だけではなく大相撲の力士経験者なども参加して、将来のプロ化を目指したセミプロ組織として結成。社会人野球チームとの練習試合をこなし続けていた。当初、竹内愛一監督で結成された東京カブスは後楽園で披露試合が終わったころから、選手たちの竹内氏に対する不満が膨張し、結局竹内氏が退任すると共に球団も空中分解。そこでかつてのタイガースを作り上げた石本秀一氏が竹内氏の後を継いで、ごたごたを一掃し新しく監督として登場、内容充実を計りその傘下に濃人渉、倉本信護、田部輝男、林直明、門前眞佐人、奈良友夫と力士の佐田岬、龍ケ崎、銚子海などを擁し、球団名もかつてのデトロイト・タイガースのホームラン王ハンク・グリーンバーグ(1938年に58ホームランを記録)にちなみ、グリーンバーグと変えて再出発した、ということのようである。1947年に球団名も結城ブレーブスと改めた。第2リーグの国民野球連盟の発足に伴って加盟した。同年末、国民野球連盟を解散と共に球団は解散した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013/08/21 10:09:32 AM
[Professional baseball] カテゴリの最新記事
|
|