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カテゴリ:新聞
防衛相辞任 冷静さを欠いた「原爆投下」論議(7月4日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070703ig90.htm ドンドン左に寄っていく読売新聞。 例えば >久間氏は講演で、米国は、「日本も降参するだろうし、ソ連の参戦を止めることができる」として原爆を投下したとの見方を示した。これは、誤りではない。当時、ソ連に対して不信感を募らせていた米国は、ソ連の参戦前に早期に戦争を終わらせたいと考えていた。 の一説には首を捻る。 もし上記の理由で有れば、一発で良かった。二発も落とす必要は無かった。なら、二発落とす理由が有る訳です。理由は簡単で、「核兵器の実験」です。核爆弾が2種類あって、長崎と広島に落とされたのは別々の核爆弾だった。ウラン型とプルトニウム型ですね。言うなれば、広島と長崎は「核兵器の性能試験」の場として使われたと言う訳です。 社説:久間氏辞任 心からの反省が伝わらない(毎日新聞) http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/shasetsu/news/20070704ddm005070111000c.html この社説の中で、小沢一郎との対談時の安部総理の発言を疑問視しておき、小沢発言の不条理に突っ込まないのは何故ですかね? 小沢さんの「米国に原爆投下に関する謝罪を要請するべき」というのは、凄い矛盾ですよ。 【主張】久間防衛相辞任 遅きに失した決断だった(産経新聞) http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/shucho/070704/shc070704000.htm 産経は、毎日と違い小沢発言の矛盾に突っ込んでいる。 しかし、両方の相反する問題を取り扱っている為、良く解らない社説になってる感が有る。 例えば、「被爆者はもとより、国民感情を考えれば、多大の犠牲者を出した原爆投下を容認するような発言が極めて不適切なのは自明のことだった。」と久間発言を責める一方で、「日本は唯一の被爆国として、核廃絶を目指す立場がある。同時に、自国の安全保障を米国の核の抑止力に大きく依存している現実がある。」と書いている。正しい認識とは思うが、「じゃぁ、産経としてのスタンスはどっちなのか?」と。結局はどっちつかずで、批判されにくい文章を作ったという感が否めない。 防衛相辞任―原爆投下から目をそらすな(朝日新聞) http://www.asahi.com/paper/editorial20070704.html さすが朝日と思える社説。 戦前と戦後の自分達が行ってきた報道を目にすれば、この様な物言いは出来ない筈ですがね。 また重要な点として、「依然として日本の安全は米国の核によって担保されている」という点を無視している。 そして先日の日記にも書いた、東京裁判史観溢れるこの一言→「だが、それだけではあるまい。日本は米国に無謀な戦争を仕掛けて、敗れた。しかも、敗色が濃厚になっても、戦争をやめなかった。そんな負い目が戦後の日本にあったからではないか。」 これは、暗に「核を落とされたのは日本が悪い」と言ってるのと同じでは無いですか?何度も言うように、こんな奴らが久間さんを批判する資格は無い。ダブルスタンダードの見本のようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年07月05日 14時18分49秒
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