仕事観
ボクは「お金を稼ぐ」ということが苦手だ。「仕事」とはお金を稼ぐ手段。よく「人に喜んでもらうことが好き」だとか、「社会の役に立ちたい」という理由で様々な職に人は就くわけだが、「仕事」が「ビジネス」ということに変わりはないんだ。ボクは人の笑顔が好きで、レストランサーヴィスという仕事に就いた。美味しい料理や、美しい立ち居振舞い、これらで喜びや感動を提供するという、大変誇らしい「仕事」だ。ただ、それはやはりあくまでも「仕事」。無償でそれらを提供出来るわけではないのだ。勿論、ボク個人としては、ただ笑顔が見れればそれでいいし、所作に感動を覚えてもらえればそれだけで十分。しかし経営者側はそうではない。「仕事」である以上、「ビジネス」である以上、「利益」を求める。当たり前…なのかもしれない。しかし、客観的にこの事象を表現するのであれば、こういうことになる。経営者は「ボクらのもつ、お客様を喜ばせたい、感動させたいという気持ちを、ビジネスの手法として利用している」のだ。勿論、経営者という立場にあろうとも、「おもてなしの心」だとか、「お客様を喜ばせたい」という気持ちを口にするし、実際持っているだろう。しかし、そう思いつつも、利益を出さなければならない。経営者の宿命とも言えるだろうか。なんとも憎らしい矛盾だろうか。ボクはこの矛盾に耐えることが出来なくなった。現在無職。笑える。色々な夢があって、努力をして、若干22歳でミシュラン星つきレストランの給仕長を任され、著名人の接客も担当させていただき、自他ともに将来有望と思われたボクが、あっさりとその世界から逃げ出したのだ。大言壮語し歩んできたサーヴィスマンとしての道を、あっさりと投げ捨てたのだ。料理をしたり、作詩をしたり。それで喜ばせたり、感動させたり、救ったり、ボクはこれまで、無償でそんな愛を与えてきた。「仕事」でも、それが出来ると思った。…無理だった。所詮、「ビジネス」でしかなかった。需要があって、供給があるのだから、決して間違ってはいないのだろう。だけど、ボクの心は、そんな偽善的な矛盾に耐えることが出来なかったのだ。雇われる側である以上、仕方のないことなのかもしれない。いや、経営者の立場でも、そこまで差はないのだろう。なにかを提供する以上、「お金」がなければ提供出来ない。生活すれ出来やしない。従業員がいれば尚更、稼がなければならない。自分が経営者だろうと、必要最低限の「お金」は稼がなければならなくなる。そして、生きていく以上、なにかを求めたり必要なものがあり、それらに「お金」がかかる以上、必要以上の利益を出さなければならないのだ。自分の好きなことを仕事にするというのは、そこに金銭が介在するということ。ボクの場合、それが「心」を供するという仕事なのに、そこから「お金」を得るとは、なんと皮肉なことか。ボクはやはり、「お金を稼ぐ」ということが、苦手だ。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ブログランキングに参加しています。気に入っていただけましたら、ポチっとお願い致します。