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日本史雑学発掘の館

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2008.08.26
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カテゴリ:安土桃山時代
どんな組織にいても、この人とは気が合うとか、あの人とは気が合わないとかそういう関係になる両者はいると思います。豊臣政権の中にもそういった関係があり、中でも加藤清正小西行長は犬猿の仲として知られています。加藤清正は秀吉子飼いの武将であり、いくさにおいて大きな力を発揮します。一方小西行長はもともと薬屋の子供であり、人との交渉事や商才におおいに力を発揮します。

まあ、このような出自や力を発揮する場所が異なる2人ですから、当然気が合うとは言えず、しかもお互いの領地が隣同士でもあり、また行長がキリシタンでもあったためいざこざが絶えなかったらしいです。朝鮮出兵時も先陣争いをし、作戦のことでも揉めたりしたそうです。

清正は関ヶ原の合戦では家康側の東軍につき、行長が関ヶ原に出向いている時に、弟の小西行景が守る行長の居城宇土城を攻め、後に開城させることに成功します。そして行長刑死後は肥後の行長領を与えられます。

長年争っていた行長がいなくなって清正はどう思ったんでしょうか・・・
目障りなやつがいなくなってせいせいしたと思ったかもしれません。あるいは長年眼の敵にしてた行長がいなくなって、もしかしたら逆に気が抜けてしまったかもしれません。

何か目標を達成してしまうと、なんとなく物足りなくなって、その目標を達成するまでの苦難の道のりが妙に懐かしく、その頃の自分がとても充実していたって感じることはありませんか?
清正がどう思ったかはわかりませんが、案外そんな風に感じた可能性もあるかもしれませんね~






コマンドマガジン69号付録『真本信長公記』『文禄の役』



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最終更新日  2008.10.05 00:52:47


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