インドで野宿してみたぞインドで野宿したことがある。所持金は日本円2万円程とインドルピーが15円程。クレジットカードやトラベラーズチェックなんて洒落た物は、俺は持ってない。 これだけで後10日間、ネパールとタイを廻ろうというのだ。 まあ、15円ならチャイ2杯とナンが1個買える。 夕方、宿の部屋をノックする音。 ドアを開けると警官がいた。 先程インド人のアウトカースト(カースト制にも入れない乞食に近い人たち)の奴らと 「いけないモノ」をたしなんでいたのをチクられたのだろう。 銃を突きつけられ、壁に両手をつかされ身体検査を受けた。 しかし「いけないモノ」はもう持っていない。俺の肺の中だ。 その後、ヒンディー語の調書を書かされた。名前の次に「宗教」と書いてあるらしい。 俺はNo Religion(無宗教)と書いた。これが警官の怒りを買った。 無宗教なんてインドの常識では考えられないらしいのだ。 結局俺はその75円の安宿を追い出された。かといって銀行はもう閉まってるし、 残金15円じゃどこも泊まれない。まあ、インドだから野宿も涼しいだろうと思って 駅前のスラム街で寝ることにしたのだが、インドの夜はとても寒かった。 12月ともなればインド中央部も冷え込むのだ。 穴だらけのジャンバーを着てはいるのだが、身体はガタガタ震えている。 周りには300人を超すホームレスが身を寄せ合って寝ている。 火をたく人たちもいたが、燃やす物もなくすぐ消えた。 おばあさんが1人バジャン(神を賛える唄)を延々と唄っている。 ここは地獄か? と感じた。とんでもない所に来てしまった。気温はどんどん下がっていく。 突然俺に毛布がかけられた。見るとボロボロのシャツ1枚の老人が笑って立っている。 彼の唯一の所持品であろう毛布を見知らぬ外国人に貸そうというのだ。 さすがにこれは借りることは出来ないと断わった。 しかし老人はただ笑って隣に座った。 そしてその老人と俺は1枚の毛布にくるまって朝を迎えたのだった。 朝になると群衆の中には死んでいる人もいた。 これだけの栄養失調と寒さじゃ死ぬ人がいても不思議はない光景だった。 俺には出来ないことを笑ってしてくれたあのじいさんは、ホームレスの乞食でも俺にとっては神様だった。 俺は神様に有り金の全て15円を差し出し、カトマンズ行きのバスに乗った。 俺が今でも食事前に「いただきます」と言うのは、 あのインドで見た人たちや毛布じいさんに「(お先に)いただきます」と許しを乞うている気がする。(続) |