物乞い【物乞い】ネパールの首都カトマンズは中世の名残りを残した街全体が世界遺産である。 木とレンガで作られた家々の木窓には繊細な彫刻が施され、 ラジオから流れる民族音楽は石畳の小路と相まって旅愁をそそる。 先日、数年振りにカトマンズに行ったが雑踏は以前より酷くなっていた。 ある朝、郊外の丘の上にある寺院に行ってみた。 カトマンズ盆地が一望できる俺のお気に入りの寺院のひとつだ。 その寺院の帰り道、長くて急な石段の途中に仏具を売る人がいた。 「ダンナ、ちょっと見てってくれよ」と言われたが俺に買う気はない。 通り過ぎようとすると「朝一番のサービスだ、25ドル!」と言ってくる。 「いやいや、別に要らないし」と答えると、男はにこやかに 「OK!20ドルに負けるよ。それでお互いハッピーってもんだ」と言う。 「要らないって言ってるじゃん」「よっしゃ、15ドルでどうだ!」 男は仏具を持って石段を一緒に下りてくる。 下りる度に「13ドル...ええい、10ドル...ラストプライスだ、8ドル」と 勝手に値段を下げてくるのだが俺は「金額の問題じゃないから」と断り続けた。 最初は威厳を持っていたその男は「ダンナ、頼む!7ドルにするから」 「お願いだ!6ドルで買ってくれ!頼む!」ともはや悲壮感たっぷりである。 最終的には「5ドルにします。お願いします」と同情を売る格好となった。 それでも俺は買わない。だって要らないんだもん。 そこで遂に男は売るのをやめた。トボトボと石段を登って戻って行く。 最初に25ドルで吹っかけた罰、威厳もプライドも捨てて自分を売った罪。 通りすがりの俺に罪悪感を感じさせた彼は商売人失格である。 町外れの大衆食堂で朝食を済ませた。3人で食べて飲んでたったの80円。 カトマンズの街に帰れば手のない少女や足のない男が物乞いをしている。 あまりに日常的なその光景に、俺は1円の小銭すら渡さずに通り過ぎていた。 そうか、もしかしたらあの仏具を売る男も、以前は路上で物乞いをやっていて お金を貯めて仏具を仕入れて売るという手段に成り上がったのかもしれない。 あの聖なる国の邪悪な街を離れて思う。なぜあの仏具を買ってあげなかったのか。 なぜあの手のない少女に100円でも10円でもあげなかったのか。 お金をあげたからといって解決はしない。俺の自己満足になるだけである。 俺は日本で何も考えずに自販機のジュースを買ったりタバコを買ったり、 あの少女たちが一生買えないようなお菓子を普通に買って暮らしている。 その1つ分の代金だけでも少女に回せばよかったのに、と悔やんでいる。 読者の皆さん、日本という国に生まれたことに感謝しようではないか。 |