テーマ:三重のおいしいもん(2382)
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三重県最北端 いなべ市
「阿下喜 あげき」の 日本料理 昭栄館 の料理長です。 私(35歳)が『 吉兆 』で修行した理由・・・。 懐かしい辻調理師専門学校時代。「料理界の東大」ですね。 もう17年くらい前の話になります。 田舎(三重)から出て行った私。 料理天国(テレビ番組)の先生方に憧れ入学しました。 実は、その入学当時は、フランス料理志望でした。 調理師学校でフランス料理・イタリア料理・中国料理・日本料理を学ぶうち、 やはり、『日本料理』がいいな~。という気持ちに・・・。 夏休みが明け、周りもボチボチ就職先が決まります。 私は、もう一年学びたいと「辻調理技術研究所」への進学を希望。 当時、「料理界の東大の大学院」と言われていました。 たくさんの実習はもちろん、 サービス・英会話・書道・パソコンの授業もあり、楽しい学生生活です。 とても高い授業料ですが、とてもいい勉強になりました。 そして、いざ就職の時期が来ました。 授業中にも別格扱いされていた「日本料理界の最高峰」 『吉兆』 へ。 たくさんの学生(数千名)のいる調理師学校ですが、 成績のいい生徒、出席状態のいい生徒だけ面接を受けられます。 そのため、2年間皆出席で頑張りました。 もちろんテストも。(優秀賞を頂きました) やはり、最高の料理・食材・器・サービスを見たい感じたいとの気持ち。 そして入社日。 私は「神戸吉兆」グループ。 (当時は、まだリーガロイヤルホテル大阪店だけでした。その後神戸へ進出) 調理師学校時代の先生方から、 吉兆グループの中でも最も忙しく、手(仕事)が早くなると聞き選んだのです。 同期の入社は、14人。 私の白衣には「64番」の番号が刺繍されていました。 リーガロイヤルの吉兆の調理場(板前)だけで66人の大所帯。 関西屈指の人数と言われていましたね。 もちろん、大御主人(故湯木貞一氏)の話の後は、白衣に着替えて調理場へ。 初日から厳しい修行が始まりました。 田舎の旅館でゆったりと育ったおぼっちゃまの私でしたが、 厳しい修行で料理はもちろんですが、 体力(忍耐力も)とスピードにも自信が付きましたね。 吉兆の入社式からもう15年も経ちます。 あの時の「初心」を忘れず、お料理して参りたいと思います。 料理長 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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