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彼の言い分は良く分かる。 私の行為は自己責任ではあるが、だが必ず、他の人が絡む事になる。
私は「他の人が絡むから、その人の立場も考えて、他人には 殆ど言わない、特に固有名詞は使わないな」と言うと 彼は「お前の少年時代の生い立ちから来るんだろうな、 色んな面で差別や偏見を受けたから、それなりに分かるから 自分は出すが、他人を庇う部分があるが、逆に言えば それも良い場合と、悪い場合がある事を考えるべきだ」と 言って来た。
私は「悪い部分?それは何?」と問い返すと、彼は 「それは、何かを変える時には、それなりに声を出さなきゃ ならない時があるが、お前は自分で声を出して居るつもりが 他人から見ると、犬の遠吠えにしか見えない部分がある。」 「どうしても、何かをやり遂げようとすると、ある程度の 人達に理解させなきゃならないが、お前は、それが下手」と 扱き下ろした言い方をして来た。
これは、私自身が感じている事であり、行動は起こすが 宣伝力が無い事は認めている。
彼は「お前は、若い頃に幾度も痛い目に会っているから、 それが下手なのであろうが、それでは駄目なので、 お前の行動力は認めるが、お前の悪い所は集団化を嫌う部分」と 私の欠点をズバッと言って来た。
私は、どちらかと言うと行動は早いのであるが、達成してしまうと 次の事を考える傾向が強い。
彼は「お前は、飽き性なのだろうな、餓鬼の頃から落ち着きが無く 良く親や先生に言われていたような“落ち着きが無い”と」と 少年時代の事を言い出した。
私は「確かに、少年時代は落ち着きが無いかもしれないが、 大人になってからは、物事はやり遂げてから、次の物に向かって 来たと思っているがな?」と返答すると、 彼は「少年時代の様に、チョコマカしなくなったが 何かを終ると、次に何かを求める傾向は、落ち着きが無い事には 変わりない」と切り返す。
これは私の性格を的確に匹敵された。 私は、何かが終わると、次に何かを求めだす傾向が強い。
彼は「お前の悪い所は、其の部分なのだよ、 ただ、それが逆に出ると、良い部分に成りうるが、 リスクが大きい事に成りかねない」と言いながら、 「お前は自分からリスクを好んで居る部分もあるよ」と せせら笑うのである。
悔しい私は、「お前は、俺の事を馬鹿にしていないか」と言うと 「お前は、自分の行動を反省する事が必要だから、俺が遊びに 来てやって居るのに、その言い方は無いな、まだ、まだ人間 としての部分は未熟だな」と、さらに切り返すのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.08.18 06:00:50
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