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さっちゃんのお気楽ブログ2

私のブログへようこそ
毎日絵を描いてアップしています。
どうぞよろしくお願いします。

2010年2月までのブログはこちら
「さっちゃんのお気楽ブログ」


2016年05月28日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
さっちゃんのブログはユーモアに溢れています。
普通の人には、ちょっと思いつかない切り口なので
驚かされることもしばしばありました。
高齢になっても常にとらわれない視点で
その発想は純真で豊かでした。

この日はさっちゃんの92歳の誕生日で、
多くの方がさっちゃん宅に集まっていただき、
かつ、全国のブログファンの方々も一緒に
どん兵衛で誕生日を祝う会がもようされました。

2013年10月29日 (92歳の誕生日)のブログから
誕生日のお祝いありがとうございます。

花

どんベえの会は盛大なさっちゃんの誕生祝賀会になりました。
うまれてはじめて全国の皆様から誕生の御祝辞をいただき
感激で胸がいっぱいになりました。
こっけっこっこ  こけっこっこ
とくばあさんと狸たちがお祝いに、干支のにわとりの
ぬいぐるみをつくってきてくれました。
一番乗りはカモミールさん
お湯をわかしたり、何かと準備におおわらわです。
つぎにバンバカバンバン単車に積んだあれこれ。
いっぺんにお祝いムードにじゅんじゅんさん
鳴門のМさんは美しいお花の置物などなど・・
お亀さんのぬいぐるみをつれてきたとーさん。
日和佐から汽車を乗り継いでおそくなったはずです。
2匹のおカメさんはヨタヨタとのんびりムード。
皆さんからいただいた暖かいお心に感謝の気持ちでいっぱいです。
幸せいっぱいのさっちゃんたちの写真は
じゅんじゅんさんにおまかせです。

じゅんじゅんさんのブログから当日の写真をお借りしました。

誕生会1
誕生会2

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ユーモアあふれるお話を掲載してみました。

「フライパン」
古いフライパンを燃えないゴミの日に出しましたが
取り残されました。
ほかのガラクタはもってかえってくれたのに
「まだこのフライパン使えそうだからおいとくよ」
ということか。
まさかと思ったが、
こまごま描いた紙きれを張り付けてある。
小さい文字で読めそうにない。
道端に置いておけないので庭の隅においてから4カ月
すっかり忘れていた。
「おーい、そんなとこに座り込んでいるのはだれや?」
とよくみると、先日のフライパンらしい。
「あんた、まだそんなとこでなにしてんのよ?」
「おれ、しらねえぞ。ゴミやが車に載せんと
おいてけぼりにされたんだ。もう4カ月だよ」
さっちゃんは忙しいのと忘れポイので
片付かないで困っています。
小さい文字よまなあかん。
「大きい天眼鏡もってきてよ」
「あいよ」アシスタントになったこっけっこちゃんが返事します。
「おーい、もういらんわ、大きい字や」
このゴミは収集できませんと書いてある。
古いフライパン、収集してくれんはずないよなあ。
金ものだから空き缶の日に出せばいいのだが
月に一度の指定の日を忘れる。
「おーい、フライパン君、来月の缶の収集日おぼえといてや、
きっとやで。忘れたらあかへんで。」





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最終更新日  2016年05月28日 19時33分46秒
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2016年05月27日
カテゴリ:カテゴリ未分類
今日も助任橋の続きになりますが、
さっちゃんの2015年4月19のブログ記事に
「空襲前夜の隣組」というテーマで書かれたものがあります。
これを読むと、よくこれだけ正確に70年前のことを
記憶しているものだと舌を巻きます。

「空襲前夜の隣組」
思いついて戦時の頃の隣組を思い出しています。
70年前の空襲前夜のことです。
徳島公園の北の入り口から道路をへだてて
隣組の家々が並んでいました。
角からお菓子屋さん、仲良しの愛ちゃんち
つぎがクリーニング屋さん 次はパン屋さん
つぎがおとーふ屋さん、次が病院
愛ちゃんの角を曲がると洋服屋のさっちゃんのお店です。
家の前にかなり大きい溝があって石の橋がかかっていました。
2度か3度ポチャと頭から落ちました。
頭の後ろに3か所はげがあるそうです。

すけとう橋の方へ2,3げんゆくと、
アメリカ帰りの歯医者さんがいてねこすきでした。
近所の人が、食糧難の時代
「せんせ、ねこ かわんとニワトリを飼ったら」といいますと
「ニワトリは芸がないから面白くない」といわれたそうです。
あっははあっは愉快な先生でした。

空襲前夜の隣組


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  「郷愁の助任橋」
<つづき>
埋立地では毎年三月十日の陸軍記念日に記念式典が行われていた。
その日は男子の中等学校の生徒たちによる軍事演習があって、
私の記憶では城山を中心に攻防戦の演習が行われていたようだった。
そのあと、埋立地に整列して記念式典があったのだろう。
小学校三年くらいになって参加した記憶があるが、
寒風吹きすさぶ、ひどく寒かったことのほか何も覚えていない。

昭和九年に小学校を卒業して女学校へ進学すると、
助任橋を渡る機会は殆どなくなって外で遊ぶゆとりもなくなった。
そうして昭和十四年、早春のある日助任川の岸の松並木を舞台に
「阿波狸合戦」の映画のロケがおこなわれることになった。
助任川の土手の下に、松並木を背景に、
一夜のうちにぴかぴかの木の香も新しく、
大名屋敷の大きい門が出来ていてびっくりした。

その頃中国大陸では一九三七年、昭和十二年七月に
盧溝橋事件に始まった戦争が
上海や中支にも広がっていた大変な時代であった。
戦線は広大な中国全土に広がって物資の補給もままならなく
なってゆく一方、国内の食料不足は深刻になりつつあった。
助任橋の西側の埋立地は狭いけれど
町内会で借りて希望者が野菜を作り始めた。
農家出身の人たちに教えて貰って、
初めての野菜作りを楽しんでいた。
土いじりなど初めての私も面白くて大根やネギなどを作り
土が新しいということで、サツマイモをバケツ一杯
収穫した時のうれしさは忘れられない。

そのうちに戦局はどんどん厳しくなっていった。
ついにきたるべき日がやってきた。
昭和二十年七月四日未明、米軍の爆撃機B29が一二九機来襲、
二時間ちかく焼夷弾をおとしつづけた。
空襲の地獄から這い出して、家族と再会できて
助任橋のたもとの焼け残った刑務所官舎の前に立って、
川の北岸一帯を見渡していた。
余燼にくすぶる空を焼けトタンがつぎつぎ舞いあがっていた。
松並木の松は上半分は焼け落ちて、
残った焼け棒くいのてっぺんから
ボウボウ炎を噴き上げて痛ましい光景であった。

そして、その日、二十四年間共に暮らした助任川と助任橋と
藩政時代に植えられた松並木たちと最後のお別れをして、
見知らぬ山峡の小さい町へ疎開。
その後厳しい戦後の生活を体験し、三十年住み慣れたS町から、
何かと不便な土地を離れて、Y市に移り、
今の平和な暮らしに満足している。







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最終更新日  2016年05月27日 19時15分20秒
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2016年05月26日
カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日に続いて、助任橋周辺の様子を書いた作品を紹介します。
「藍の風」にはエッセイ20篇、ミニエッセイ24篇が紹介されています。
この「郷愁の助任橋」は候補作品の一つでしたが、
結局、編集過程でカットされたようです。
文章の一部はブログ記事でも出てきます。

                    syun




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「郷愁の助任橋」

夏の夕べ太陽が西に沈むころ、
紅く染まった御影石の欄干の手触りと、
西空の夕日の彩は忘れられない助任橋の風景である。
冬になると、北西の季節風が容赦なく吹き付ける助任橋は、
「耳切れ橋」とあだ名がつけられているように、
耳だけでなく体の芯まで凍る厳しい橋である。      
銭湯へ行くときは祖母のお土産の大きい紅い毛糸のショールで、
頭からすっぽり包まれていて、目だけだしてゆく。
行きはいいが、帰りは洗い髪と毛糸が顔じゅうべたべたくっついて、
その気味悪いこと最悪だと思った。

私の住んでいた徳島町は住宅地域なので、お勤めのお家が多くて、
商店が少なく、何でも屋の鎌田さんが一軒、八百屋が一軒、しかない。
だから必要な時は何でも助任橋を渡って買いに行かなければならない。
番茶の大きい紙袋を抱えたり、味噌醤油などの調味料や
魚などの食料品は勿論、本屋、呉服屋、散髪屋、うどん屋などなど、
毎日のように橋を渡っていたに違いない。

小学校に上がる時になると、
一番近い対岸にある男子師範の付属小学校へゆくことに決って
六年間助任橋を渡って通学することになった。
ある日橋のたもとにうなぎ屋が出来た。
かば焼きの匂いに誘われて学校帰りに良く立ち寄った。
おじさんがしきりに跳ねるうなぎの頭をギュッとつまんで釘を打つ。
指先でずーとなでおろしてやるとうなぎは不思議におとなしくなる。
魔法みたいだった。
首のあたりに包丁を入れてザリザりとしっぽまで切り下ろす。
同じように白い骨をきりとる。
何度見ても面白かった。

いつの頃からか浚渫船がきて毎日がーが―と大音響を立てていたら
川幅の半分くらい埋め立てて広い原っぱが出来た。
美しい花壇のある公園に飽きたので
草ぼうぼうの埋立地は楽しい広場になった。
楽しいといっても、草の他は土と砂と石ころばかりで、
跳んだり走ったり、公園のように遊具などなにもなくても、
泥だらけ、汗まみれになって、結構楽しく遊んでいたようだ。
そのうちにミニゴルフ場が出来て、
面白そうだとみているうちになくなった。
あんな箱庭みたいな小さいコースではつまらなかったのだろう。

(つづく)





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最終更新日  2016年05月26日 22時05分46秒
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2016年05月25日
カテゴリ:カテゴリ未分類

助任橋

さっちゃんの思い出の場所として、
しばしば記事に登場するのが「助任橋」です。
このすぐ近くに青春時代を過ごした家があったようです。
「藍の風」でも「郷愁の助任橋」として思い出が
綴られていますし、短歌にも登場します。
助任橋は助任川に架かる橋で、徳島市徳島町3丁目(南岸)と
助任橋1丁目(北岸)を結んでいます。
今はすぐ東を通る助任新橋は主な通りとなっているようです。
さっちゃんの「助任橋」が出てくる記事をちょっと見てみました。

2010年6月23日
助任橋はむかしは御影石のどっしりとした橋でした
欄干の温かくてすべすべした感触を今も覚えています
橋の下では四手網でエビを捕っているのをときどき見かけました
橋のたもとに新しく小屋を建ててうなぎ屋ができました
学校の帰りに鰻を料理している様子をいつも見ていました
だから、いつの間にか鰻のさばき方を覚えていました

2014年6月18日
子供の頃、銭湯へ行くと屋台で太鼓焼を売っていた。
暗くなって風呂屋へゆく冬は寒い。
帰りに太鼓やきの屋台を見つけると欲しくなる。
母は習慣になると困るのでめったに買ってくれない。
たまたま、ご機嫌がいい時に買ってくれたようだ。
「耳切れ橋」で有名な助任橋の上は北風の吹きさらし
ふかぶかとショールでぐるぐるまきにされて帰るとき
ポケットにアツアツの太鼓やきの袋はなによりうれしかった。

2015年5月15日
助任橋のこと
徳島公園の近くにある助任橋は
小学校の時からの通学路であり
日常の買い物、みそ、しょうゆから番茶の葉
魚屋、文具や、呉服屋、銭湯から散髪屋などなど
この橋を渡れば、たいていの用はすませられた。
ところが、「耳切ればし」のあだ名がついていて
冬の寒さは忘れられない厳しさであった。
御影石のどしりとした感触も、蜂須賀さんの
御城下の誇りでもあったようだ。

2015年8月27日
子供の時は公園が近くにあり助任川の埋め立て地
草ぼうぼうのまま建物は立ちませんでした。
だから遊ぶ場所はたくさんありました。
夏の夜二階の窓で涼みながら助任橋の上を車が何台通過するか
あてっこしましたが一晩に7台ぐらいでした。

2015年10月5日
今日も真っ赤かのゆうやけ。 
懐かしいなあ。
夕焼けを見てとくしまを思い出したよ。
助任橋の上から西の空の夕焼けは美しかったよ。
空襲で焼け出されて山峡の町の暮らし70年は別の人生
松並木の間から昇る朝日、大きな月が出てくる
助任川のほとり、自然がいっぱいの昭和の初めに
帰ってきたようだが!!!!!?

下の記事は2015年7月13日のブログからです。

                syun             

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2015年7月13日

ひまわり


「初めての入学試験」

小学校は家から一番近い助任橋渡ると
対岸にあって10分くらいの所にありました。
試験の時、ひさしがみの女先生が
透明なガラスで作った自動車の形のものを
見せて「これはなんでしょう」とたづねられました。
さっちゃんはみたまま「じどうしゃ」と答えました。
先生「これはインク壺です」先生は2度3度
同じ問いを繰り返します。何度聞かれても
「じどうしゃ」の形にしか見えません。
先生はインク壺と教えたかったのでしょうか。
普通のインキのビンは知っていますが
インキが入っていないとわかりません。

「女学校の入試の時」

女学校の入試は昭和9年だったと思います。
最期の口頭試問で「国体の精華とはなんですか」
今の子供だったら、当然国体ならスポーツの種目を
上げるでしょう。
精華の言葉を知りませんでした。
なにをきかれているのかちんぷんかんぷんでした。
そんな言葉小学校で教えられた記憶がなかったと思います。
その頃、何も知らないうちに戦争を予想した
国の方向が進行していたのです。
再びあの時代にもどらないよう、
みんなでがんばりましょう。





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最終更新日  2016年05月25日 19時28分06秒
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2016年05月24日
カテゴリ:カテゴリ未分類
徳島市の中心部は南側を新町川、
北側を助任川に囲まれた中州です。
上空からみると、その形が瓢箪のように見えることから
「ひょうたん島」と呼ばれています。
両国橋の北詰から、約25分かけて、
この2つの川を巡る「ひょうたん島一周遊覧船」が出ています。
この辺りはさっちゃんの子供のころから
青春時代を過ごした懐かしい場所だったようで、
ブログにも多く登場する場所です。

日本が第二次世界大戦へ突入していく危うさや
空襲、そして疎開と終戦など
さっちゃんの目から見たり感じたりしたことが
しばしばブログの記事になっていて、
一貫して戦争の異常さや悲惨な体験が語られています。
さっちゃんのブログは
忘れ去られようとしている第二次世界大戦を
庶民の目線から後世に語り継ぎたかったのでしょう。

今日は2015年5月26日のブログからです。

                  syun

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は親しいブロ友さんに誘われて徳島市内の水路を
一周して市内を遊覧してきました。
「ひょうたん島めぐり」とかいうあれでしょうか?
楽しい初体験でした。
小学生時代の遊び場、女学生時代の青春の想い出など
橋が多くて名前を見て「おお、なつかしい」と、
どの橋にもそれぞれの思い出が刻まれていました。
70年間離れていて感慨無量です。

ひょうたん島めぐり


    徳島空襲の日 8月4日

「藍の風」より2首

幾度も敵機を避けて飛び込みし
   佐古駅前のかぼちゃ畑よ

住み慣れし町を離れる悔しさに
   瓦礫の道の熱さ覚えず

焼け出された避難民が集まってきて
佐古駅で列車を待っていた。
米軍機は執拗に機銃掃射で襲ってくる。
一面見渡す限り焼け野原で、隠れるものがない
とっさにかぼちゃ畑に飛び込んだ。
米機の目から逃れられるとは思はないが
カボチャの葉っぱに祈りつつ伏せていた。







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最終更新日  2016年05月24日 18時59分19秒
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2016年05月23日
カテゴリ:カテゴリ未分類
何でも出来るさっちゃんですが、
苦手で、やらなかったのが整理です。
つぎつぎと色んなものをため込んで
なかなか捨てようとしませんでした。
さっちゃんに言わせると「みんな大切なもの」なのです。
そのせいで家を増設し、大きな物置を二つも立てました。
それでも、あっという間に部屋は物があふれました。

戦中戦後に渡って物が不足し、物を大切にすることが
染みついているのも理解できますし、人から頂いたり、
思い出のあるものは捨てたくない気持ちもよくわかります。
でも、整理しないと、結局それらは多くの物の中に埋まって
どこに行ったか分からなくなってしまいます。

大切な資料やお金、道具類もどこに行ったか
分からなくなってしまうのがしばしばでした。
部屋の中を歩くのも不自由で危ないので、
少しづつ整理するように、また使わないものは捨てるように
と、注意すると逆に片付けると不便になると、
頑として聞きいれてくれませんでした。
そのさっちゃんの不満がブログに書かれています。
これは私に向かって言いたいことだったと思っています。

良かれと思って言っていたのですが、
今になると、雑然とした部屋でも、多くの思い入れのある物に
囲まれて暮らすのが、さっちゃんの幸せだったのかもしれません。

                    syun

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


2011年11月5日


風景


ダンシャリさんへ

いつの間にかたまった物で不要な者は捨てろと言います。

でも、眼鏡が一個では取りに行くのが時間のロスとなります。

必要な場所に一つづつ置いておくと探しに行かなくていいのです。

鋏などもどうようで三つ四つあれば探さなくてもいいと思います。

年取ると仕舞ったところをわすれてアチこっちと探すのが大変です。


このごろはなんでも百円ショップで買えるので便利です。

片づけ魔の人は目の前に物があると気にかかって辛抱できないようですね。

それも病気の一種だと思いますよ。

せっかくの御馳走も美しい食器がなくては楽しみも少ないでしょう。

それでもすっきり片付いている方が快適でしょうかねえ。









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最終更新日  2016年05月23日 19時50分49秒
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2016年05月22日
カテゴリ:カテゴリ未分類
2011年11月16日の「さっちゃんのお気楽ブログ」の記事に
「私の本ができました」というタイトルで
「藍の風」が完成した喜びが綴られています。

「短歌とエッセイの本ができました
ミニエッセイ24編入れて44編
短歌約80首です
おかしいはなし かなしいはなし つまらないはなし
の中で面白い話を見つけて頂ければうれしいです
ご希望の方にお送りします」

確か自費出版で200部ほど作ったように思います。
お世話になった方々以外にも、施設の図書コーナーや震災地、
等に送ってさっちゃんの部屋にも2冊だけ残っていました。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「私の油絵入門」

(続き)
ところが一つ欠点があって、底抜けの忘れん坊なのだ。
絵は真夜中に描くのだといって、
いつも忙しい忙しいいと言いながら、
昼はテレビばかりみておられるということもある。
テレビも絵の構想のアイデアを探しかも知れないけれど。
ご自分の作品を、どこに何を出品したか忘れてしまったと言い、
搬入や搬出も、友人に頼んでいるらしい。
自分の忘れるくらいだから、他のこともよく忘れる。
講座の生徒たちにも、熱心でやさしいけれど、
「忘れん坊」と「忙しい人」のイメージが定着してしまった。

目下、先生は県展を控えて製作に熱中しておられるようだ。
お忙しい方に無理やりにお願いして、
今日私の家にお越しいただいて、
教えて頂くよう承諾していただいている。
が、果して忘れられないかしらと、やきもきしている。
実は、私も県展に出してみたいので、
密かにプランをたてているのだが、
この実力では恥ずかしくて言い出しにくい感じがする。
などとあれこれ思いわずらいつつ、Ⅿ先生のお越しを
首を長くしてお待ちしているところである。

               (おわり)


花





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最終更新日  2016年05月22日 20時31分12秒
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