今週も、団地朝市が終了
今週も多摩市・永山団地での朝市は終了しました。
この数年、いつも毎週土曜日は、東京・多摩市の永山団地で朝市を開催してるんですが、
今回も、無事に朝市を終了することが出来ました。
今回の朝市は、地元の「ほっとセンター」との共催で、月二回の定例朝市と重なります。
地元の多摩市の農協や、群馬県の月夜野から運ばれてきた新鮮・安価な野菜と、
当方の小田原・早川の石垣山から搬送してきた産物が、多彩に並べられます。
土曜の朝は、午前8時半ころの店開きした頃は、周囲の人通りも少ないんで、
お客さんを待っている間に、この一週間をふり返える時があります。
今回のわいてくる思いは、はかなさですね。
この朝市を、小田原・早川で支援してくれていたみかん園の園主が他界したことです。
そんな事情を知らない永山団との関係者には、そのことを紹介せざるを得ないじゃないですか。
これまでは自然なことのようにして続けられてきたことも、
必ずしも今回はあっても、その明日がまたあるわけではない、ということなんですね。
小田原・早川のみかん園の園主の死去は、それをしめしてるんです。
まぁ、それは「せんなきこと」。
当人は、最大限、生きようとしたんですから。
「自分の健康問題以外は、私の回りはみな順調な方向にいっている」-これが彼の遺言です。
さらに、遺稿の句集を残したんですが、その「あとがき」に記しています。
「残念な気持ちになることもある。でも、時代は変わらざるを得ず、新しい時代の萌芽も見受けられるので、次の世代の活躍に希望をもって期待するものである。」
私などは、彼の死後に気づかされたんですが、
これって、彼の『遺言』ですね。
自分の「終活の一つ」としての句集をつくり、その「あとがき」だったんです。
これまで、彼の支援があっての小田原の柑橘の多摩への提供だったんですが。
これから多摩の団地生活者を、どのように支援していけるのか。
直ぐには変わらないにしても、これからどうなるのか、それは私などにはわかりません。
ただ、小田原と多摩の諸条件が許してくれる限りでのことですが、
私などとしては、諸々の条件が許してくれるかぎり、体力の続く限り頑張るとのことなんですね。
しかし、今回の事態からすれば、今が偶然の諸条件によって成り立っていることを感じさせられます。
それが、この一週間の実感です。
とにかく、人間は生きていかなければなりませんから、
いまを生きている限り、誰がどういおうと、
置かれた諸条件の下で、自分が「よかれ」と思う方向に、全力を尽くすということです。