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西條剛央のブログ:構造構成主義

西條剛央のブログ:構造構成主義

あとがき――質的研究の過去・現在・未来



「あとがき――質的研究の過去・現在・未来」

 質的研究は古くて新しい方法だという話をよく耳にします。では、質的研究の起源はどこまでさかのぼれるのでしょうか?

 実験心理学者エヴィングハウスの「心理学は長い過去をもっているが、短い歴史しかもっていない」という有名なセリフがありますが、これは質的研究にもそのまま当てはまります。すなわち、「質的研究は長い過去をもっているが、短い歴史しかもっていない」ということです。

 質的研究の学としての「歴史」については、心理学ではその祖と言われるヴントの民族心理学などが引き合いに出されているように、研究領域ごとに多少異なるものの、十九世紀から二十世紀前半にまでさかのぼるさまざまな「歴史」が語られています。最近では、質的心理学の代表的な論者の一人麻生武氏が、質的研究は最近生まれた新しい研究方法のように感じるかもしれないが、事実は違うとして、ピアジェの『知能の誕生』、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』、ダーウィンの『種の起源』、柳田国男の『遠野物語』、ファーブルの『昆虫記』といったものを質的研究として挙げています。

 ここでは、改めて原理的な観点から、質的研究の「過去」はどこまでさかのぼることができるか考えてみたいと思います。

 ギリシャ哲学の端緒は、紀元前六世紀頃、タレスによって開かれました。彼ははじめて「万物の根源は何か?」という問いを立てたのです。

 現在の私たちからみれば、特に変わった問いの立て方ではないでしょう。しかし、彼以前、世界の成り立ちは神話によって説明されていたことを考えれば、やはりタレスの世界の根源についての問いは、物語から原理(アルケー)への決定的な世界認識の変更でもあったのです。

 タレスはどうしたのでしょうか。当然ながら、その時代は現在のような便利な道具などありませんでしたから、自分の目で見て、考えるほかなかったに違いありません。周囲の世界を観察します。いろいろなところに水があります。生きているものはみずみずしく、死ぬとひからびて水気がなくなります。水がないと生き物は死んでしまいます。アリストテレスが指摘しているように、そういった事象を観察する中で、万物の根源として「水」という原理(アルケー)を提起したのです。

 これが自然哲学の始まりであり、構造主義科学論の観点から言えば、現象をより上手にコードできる同一性(コトバ)が何かを考えたと言えるでしょう。そしてその彼なりの答えが「水」だったのです。同一性の追求という点から言えば、科学の起源でもあるわけです。

 さて、本書の講義を読了された方の中には、ここまで読んで、お気づきになった方もいらっしゃるかもしれません。

 そうです。タレスがやったことは、問い方を質的に変更した上での自然観察にもとづく仮説生成研究の一種なのです。だとするならば、科学は質的研究から始まった、と言うこともできるでしょう。この観点からすれば、質的研究は、少なくとも紀元前六世紀までさかのぼる、相当長い過去をもつと言えます。さらにいえば、質的研究法は、人間の認識・言語機構を拡張した方法にほかなりませんから、それ以前にも同じようなことをやっていた人もいたに違いありません。

 そこまで思い至れば、私が質的研究の元祖だとか、私のやっていることこそ質的研究だといった主張は、どこかおかしなものだということがわかると思います。もちろん、それぞれの時代ごとに古くて新しい問題が生じるわけですから、それを打開すべく生まれてきた学としての「質的研究」の価値は減じられるべきではありません。ただ、「歴史」を刻み始めた質的研究の真価を見定めるためにも、「過去」を俯瞰し、自らの立ち位置を相対化しておくことは意味のあることでしょう。



 そして「現在」、質的研究は人文・社会科学領域を中心に領域横断的に広まりつつあり、すでに優れた分析体系も多数提唱されています。我が国で体系化されたもので言えば、まず川喜田二郎氏のKJ法が挙げられるでしょう。一般には『発想法』がよく知られていますが、『KJ法』という専門書を読むと、氏の認識論、科学論的洞察が現在でも通用するものであることがわかります(残念ながら本書執筆時点では絶版になっているようですが、再版されるべき書物だと思います)。

 また心理学では、やまだようこ氏が「モデル構成的現場心理学」を提唱し、心理学において質的研究が普及する礎を築きました。本書で展開されているSCQRM(構造構成的質的研究法)は、このやまだ氏の枠組みを認識論的、哲学的に基礎づける「構造(モデル)構成的質的心理学」として提起したものを、さらに独自の体系へと発展・深化させたものです。

 そして木下康仁氏が体系化した修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(M-GTA)は、本論でも大きく取り上げていますが、理論的な精緻さという点でも、実践的な使い勝手の良さという点でも、卓越した枠組みの一つと言えるでしょう。その他逐一挙げることは控えますが、分析体系に関する良書は、流派や国内外を問わず数多く公刊されています(本書の中で随時紹介していますので、適宜参考にしていただければと思います)。



 では、質的研究の「未来」はどうなるのでしょうか? 大胆に予測しておきますと、今後も新たな分析枠組みが提起されていくとは思いますが、データ収集の技法や分析体系としては、本質的な進化を遂げることはないと思います。たとえば、数十年後、面接技法(インタビュー法)が現在のそれとまったく異なるやり方になっているなどということは起こりそうもありません。というのも、質的研究法が観る、聞く、話す、書く、考えるといった人間の基本的能力を活かした探求の方法である以上、人類がどこかで飛躍的に進化すれば話は別ですが、そういうことでも起こらない限り、本質的に人間ができることに変わりはないためです。

 ただし、周囲のモノや技術を含めた全体として考えれば、紙、色ペン、ICレコーダー、ビデオカメラ、パソコンといった道具の発展と普及にともなって研究法も進歩してきたように、人間の認識や言語システムをサポートするツールの発展にともない、質的研究法はおのずとその姿を変えていくことが予想されます。この観点からみれば、たとえばM-GTAにおいて、伝統的なGTAが重視する「切片化」に代わり導入されている「分析ワークシート」は、画面上でテクストを切り貼りできるパソコンの普及がその前提にあったと考えることもできるでしょう。

 では、質的研究法の課題がないかと言えば、そんなことはありません。それは現在「質的研究法」という総称で括られるものの中には、認識論から個別技法に至るまで多種多様な枠組みがあり、そのこと自体が、さまざまな混乱と難問をもたらしていることと関係しています。

 相反する認識論を、齟齬をきたすことなく駆使するためにはどうすればよいのか? それぞれの枠組みの良さを活かしながら、かといって何でもアリの相対主義に帰着するのでもなく、広い意味での科学性を担保するにはどうすればよいのか? そもそも科学とは何か? 事例研究の知見を一般化することはできるのか? 一般化するとはどういうことか? 既存の研究法を修正して使うためにはどうしたらよいのか? 的外れな批判の応酬にならないためにはどうすればいいのか? 多種多様な「質的研究」に通底することは何か?

 これらはちょっと前までは存在しなかった難問なのです。

 こうした問題は解消されるどころか、近年、質的研究法が流行し始めてからは百花繚乱、皆が皆素朴に思ったことを語っており、いったい何が大事なのか、ますますわからなくなっているのが現状と言えるでしょう。

 もちろん、多少のカオス性は学問の発展に必要なものですが、行き過ぎた混乱はすれ違いと信念対立と分裂を助長し、後学者を惑わすだけでなく、当該領域を衰退へと導きかねません。現在、質的研究が一過性の流行で終わってしまうのか、学的信頼にたるアプローチとして根づくのか、その岐路に立っていると言っても過言ではないでしょう。

 こうした質的研究の未来を左右する根本問題を解決するためには、徹底した原理的思考により、さまざまなアプローチに通底していることを見定め、かつ、それらの関係を調整可能なメタレベルの原理的な枠組みを構築する必要がある。僕はそう考えました。

 そのため本書では「質的研究の原理的基礎づけ」や「科学性の条件」といった議論に多くの紙面を割いています。「論文執筆の技法」のようにわかりやすい役立ち方をしないため、その意義は伝わりにくいかもしれませんが、本書の学術的意義を一つ挙げよと言われたら、最大の意義はこうした点にあると自分では思っています。というのも、質的研究が研究法として抱える問題のほとんどは、この基礎づけが十分になされていなかったことに起因しているためです。そしてこの種の問題は、人間の言語と認識に対する錯誤から自ずと生じるものであるため、その形態を変えながらいつの時代にも現れる不死鳥のごとき難問なのです。

 したがって、そうした難問を解き明かしていけるよう、本書では根本までさかのぼって原理的な理路を構築しつつ、先に挙げたような難問をできるだけ丁寧かつ平易に解き明かしていきます。その際には、限られた範囲ではありますが、普及している(しつつある)枠組みを中心に関連する先行文献を踏まえ、それらとの理論的検討を通して議論するようにしました。

 しかし、平易に解き明かすといっても、問題の次元を引き下げたつもりはありません。そのように問題そのものを単純化してしまう「入門書」は、一見わかりやすくみえても、ヘタをすると行き止まりの門に学習者を引き入れる書になりかねないためです。

 本書で展開されているSCQRMは、こうした根本モチーフから体系化された新次元の研究法です。それは、あらゆるアプローチにおいて活用することができる「メタ方法論」を備え、個別の研究法をより高性能なものにする「メタ研究法」なのです。コンピューターにたとえると、あらゆるパソコンの性能をバージョンアップさせるOSであり、かつさまざまなパソコン上で起動させることができる便利なソフト群を備えている、ということができるでしょう。

 しかし、せっかくそうしたものを体系化しても、難解で一部の人しか理解できないようでは、ないのと同じとまでは言わずとも、未来を変える一助にはなりにくいでしょう。したがって、本書ではそれを、初学者が具体的な研究を発案し、データを収集し、分析し、モデル構築し、発表するに至るまでの過程を通して、演習・講義形式でわかりやすくまとめてみました。

 そう、この本は、おおげさに言えば、質的研究の「未来」を変えるために書かれたのです。





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