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西條剛央のブログ:構造構成主義

西條剛央のブログ:構造構成主義

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西條剛央

西條剛央

2008/03/04
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カテゴリ:雑感
数日間の岡山出張、気の合う人達とたくさん出会えてとても愉しかった。

こんなに充実した出張はいつ以来だろうというほど。関係者の皆様には心から御礼申し上げます。

だから本当は、そのことについて書きたいし、加えてまたまた校正が到着して、それをやらなきゃいけないのだけど、mixiという1000万人を超えるソーシャルネットワークサービスで以下の新規規約を巡って物議を醸しているので、ちょっとそれに関連して思うところを述べてみたいと思います。







新規規約
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第18条 日記等の情報の使用許諾等
1. 本サービスを利用して、ユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。

2. ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

要するに4月1日から、過去に書いたすべての日記を含めて、あなたには著作権は一切無く、全部ミクシーのモノですから、それを出版したりしても一切文句言わないでね。それがいやらな辞めてねということらしい。

それで当然のごとく、ユーザーの猛反発を受けてしまった。

今回の規約の最悪な点は、「規約が施行されたら、“過去のものも含めて”全部mixiのものだ!」というところだと思う。

これでは、たとえ法律上問題がなかったとしても、ユーザーからすれば「詐欺にあった」という強い思いが生じることは避けられないだろう。

「今頃そんなこと言われても、そんなこと最初は言っていなかったから書いていたのに、嫌ならそれを消して退会しなさい、って話が違うでしょ!!」と思うのは無理からぬコト。

いくら修正しても、明確に意識するかどうかは別として「mixi経営者の本質は詐欺師とかわりない」というある種の「信用できなさ」が生じてしまうから、これからの運営は苦しくなるかもしれない。


ユーザーが1ヶ月で半減するなどということはないと思うが、「より適切な媒体があるならそっちに移ろう」という気持ちには多くの人がなるだろうし、実際にそういう媒体が現れたなら、どんどん移っていきmixiは早晩廃墟と化すこともありえなくもないので、僕が株主だったらこのニュースをみた時点で売ったと思う(僕は株も賭け事もしないので関係ないけども)。







もっともそうなって一番困るのは運営会社である以上、それなりの対応はするだろうと思っていて、あんまり心配してはいない。

それはそれとして、僕が興味があるのは、「人はどうしてこんなちょっと考えればわかるような愚行をしてしまうのか?」ということ(僕も含めて)。

先日、岡山のpieniカフェで、継続的な成功体験は大失敗の原因になるという話を、ホリエモンなどを例に、させていただいたのだが、まさに同じことが起こってしまったといえる。

mixiが成功したポイントは、コンテンツそのものというより、「最初に多くのユーザーを獲得した」ということに尽きると思っている。

かつてベータの方が性能がよいにもかかわらず、VHSが市場を独占する形になったのは同じ原理によるものだ。ユーザーが多いから、ビデオの作り手もVHS版を出す。ユーザーはたくさん商品が提供されるVHSを買う。この反復(相互作用)によりベータは完全に駆逐されることになった。

だから僕は、mixiがへまをしない限り、Greeといった他のSNSがmixiを抜くことはなく、mixiの独占的状態は続くだろうと予測していた。

mixiは、これまでと同じ割合で収益を増すことではなく、「大失敗しないこと」、すなわち「ユーザーの流出が起こらないようにすること」を最優先課題としなければならなかったのだ。

増収率が頭打ちになったとしても、現状維持であったとしても、十分な収益があるではないか。

しかし、継続的成功経験は野心を増大させ、そのように考えること、ブレーキを踏むことができなくさせてしまったのだろう。

おそらくmixiの会社内部で反対したひともいたと思うが、ブレーキを踏むというのは失敗しない方法である以上、勇ましさとキャッチーさに欠け、アクセルを踏んで大幅な増益を謳う方が、急速に台頭してきた若い会社において優勢になったであろうことは想像に難くない。

あるいは周囲の人が苦言を呈すことができない雰囲気を作り出してしまったか・・・







こういうことがあるたびに、平家物語の一節が思い浮かぶ。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。 驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。 猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」

無論、「諸行無常」とは、どんなに知性を働かせようとも、冷静に判断しようとも、いずれすべてのモノは滅び、すべての人は死ぬということでもあるのだが、「盛者必衰の理」とは、それ以上のことを言っていると僕は思う。

つまり、盛者は上述してきたように、継続的な成功経験によって「必衰の理(構造)」をその内に生じさせてしまうのだ。

盛者は、類い希なる成功を継続的につかみ取ってきたが故に、必然的に滅びを選ぶような行動をしてしまい、結果として「驕れる者久しからず」になってしまう、ということだ。

これは普遍性のある構造であるゆえに、同じ条件に置かれれば誰でも起こりうることなのだと思う(無論誰もが億万長者になれるわけではないので「盛者」の規模はそれぞれだけども)








ではどうすればいいのだろうか?

いくつか思いつくまま箇条書きしてみよう。

「盛者必衰の理」を「構造」として明確に認識すること(上述)。

継続的な成功経験は、実はとても怖ろしい経験であることを自覚すること(たまに失敗して後悔したりしている人はわりと大丈夫)。

人間が幸せに生きるには、成功以上に、致命的な大失敗をしないことが不可欠であることを思い出すこと。

「上昇」「拡大」「増加」という価値が絶対的に正しいものではない、ということを認識すること。

苦言を呈してもらえる自分であり続けること。

そのためには、あなどられる部分をもつこと。立派で完全なヒトにならないこと。欠点をさらすこと(自然にそうなっている人はわりと大丈夫)。

自分に嫌なことを言う人がいたときに、もしかしたら自分にも何か原因があるのかもしれないと思いを馳せてみること。

自分と違う立場や考え、感性の人を排除せず、“異見”を呈してくれる人を身近に一定数いるようにすること(多い必要はないけども)。

嫌な思いをしなくなったら、その“異変”に気づき、それは自分に欠点がないからではなく、改善すべき点を指摘してもらえなくなったという、危険回避のチャンスを失った状態にあることを自覚すること。

飽くことのない「上昇志向」と「効率重視」「目的以外のことをしない無駄のなさ」「徹底性」「初志貫徹」といった行動傾向を持っている人は要注意かもしれない。

ときどき遊び過ぎたり、寝過ぎたり、余計なことをしたり、飲み過ぎたり、さぼったり、締め切りを守れなかったりすること。

ほどほどに成功したら戦略を転換すること(例 現状維持。緩やかな増加。リスク管理により多くのコストをかける。量より質。より他者にとっての利益を考えるようにする)。

「もうちょっとこうしてればもっと成功していたかもなぁ」と思う余地があるぐらいの人は、わりと大丈夫。

足を知ること。

何事においても、継続的に徹底しすぎないこと。ほどほどでやめておくこと。「良い加減」という感覚を掴むこと。




こんなところかなあ。







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Last updated  2008/03/25 05:51:44 PM
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