昭和14(1939)年3月号主婦之友より
ミシンと令嬢。
割烹着でかいがいしくミシンがけしているのは、
実業家・栗原貞夫氏令嬢、美恵さま。
『私、七人姉弟の一番上でしょう。だからとても忙しいんですの。
今も、寛子ちゃんが学校から帰るまでには、仕上げたいと思って・・・』
と、シクラメンの匂う日当たりのよい縁側で、セーラー服の衿付け
をしていらっしゃる美恵様。
のち館野栄一氏(現・タテノコーポレーション4代目社長)と結婚。
おつかいのミシンはシンガー、おそらく
当時の最高級品にして世界中で大ヒットしたスフィンクスのミシン
と思われます。
同じく主婦之友写真部撮影の
扶桑海上火災(現・三井住友海上)専務・小山九一氏令嬢、富美子さま。
『戦地のお兄様からの便り? ええ、ありますわ。
家中の生活日記を送ってくれなんて・・・
これ私の古くなったドレスですけど、
お兄様の一人っ子の信ちゃんのコートにしようと、
裁断に苦心してますの』
この廃物利用の傑作もまた日記の一ページとなって戦地へ送られることでしょう。
いずれもシネマのワンシーンのようなポージング
で映画スターかと見紛うほどの美しさ、
当時の令嬢はいまのアイドルに匹敵する雑誌のあつかい
だったであろうことが伝わってきます。
何不自由なき令嬢も、家族の衣類を自らあつらえる、
それを銃後のひっ迫とみるべきなのか、どうなのか・・・
当時、女性の教養とされた茶道、華道、歌舞音曲、
料理や洋裁和裁もプロなみに仕込まれ、
お嫁入り前から身につけた一級の技術で
戦後の激動期をのりこえたかたも、あるいは少なくなかったのでしょうか。
四半世紀後、主婦の友
昭和40(1965)年8月号付録『家中の簡単服』
裏表紙は、なつかしきリッカーミシン広告。
1965年、高度経済成長期後半の生活感がみえるようです。
既製服が出回り、ミシンは生活必需品ではなくなりつつあった
とはいえ、まだお嫁入り道具のイメージはつよく(笑)
ミシンメーカー各社は花形企業だった時代。
ミシンの形状もより機械っぽくなり、
ジグザグはじめ各種縫い模様が付加されて
ベルトを取り付ければ従来のあしぶみミシン、
モーターと電源コードをつなぐと電気ミシン
と2ウェイから、やがてヘッドトップのみの電動ミシンにチェンジする、過渡期。
進化に進化をかさねて、結局
古き昔の黒ミシン、直線本縫いミシンが
使用感、パワー、頑丈さ、壊れにくさ、縫い目のうつくしさ
すべてを凌駕するミシンの最高峰である
とずっと後の時代になってからわかる、なんという皮肉。
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