中江藤樹
江戸時代のはじめ、27歳で武士をやめて教育者になったのが中江藤樹である。今日は、中江藤樹がなんのために教育者になったのか述べてみる。なんのために教育者になったのかについては、私の意見では、「孝」を武士だけでなくたくさんの人たちにも伝えたかったからである。私が、このような考えをもつにいたった背景には、中江藤樹は”親を思う気持ちが強い”、ということがある。親を思う気持ちが強いについては、重要な三つのポイントがあるので、それぞれ説明する。一つは小さいころからよく両親の手伝いをする子であった。二つめは故郷に母親一人で暮らす状況になった。三つめは母親のことが心配のあまり武士をやめて故郷に帰った。親をうやまい親を大事にする心こそ「孝」である。このことを実践したのだ。そして親だけでなく、すべての人やものに対して敬意と愛情を持つべきであると説くようになる。これも「孝」である。士農工商の時代でも「孝」の大切さをすべての人が理解し実践してほしいという強い思いがあったのだ。そのために「孝」を武士だけでなくたくさんの人たちに伝えるために教育者になったのだ。 ブログランキング←あなたにツキが雪崩のように降ってきますように