奥の細道序章に「松島の月 先(まず)心にかかりて」とあるように、芭蕉にとって松島は旅の大きな目的地のひとつでした。いよいよその地を目にした芭蕉は感動も極限となり、結局句は作れませんでした。あまりにすばらしいものの前では言葉を失う、という伝統に立ってのことらしく、「白河の関」と同じように「曾良」の句をあげています。実際は
「嶋々や 千々にくだけて 夏の海」があるようですが、「細道」には取り上げませんでした。観光バスに乗ると『松島や ああ松島や 松島や』の句が紹介されますが、江戸時代の「松島図誌」(文政四年刊)に
松島やさて松島や松島や という句が 田原坊 という作者名で出ているそうで、この句は芭蕉の句でない上に もともとの形とも違っているようです。
細道の句
「松島や 鶴に身をかれ ほとヽぎす」は「(夜になって月明かりの中)ほととぎすが鳴いている。鳴き声はよいが姿は松島にふさわしい鶴に替えてくれ、ほととぎすよ」というような意味です。そこで、鶴とは似ても似つかぬほととぎすのように、性別・年齢を詐称した「女装子」が「鶴(女性)」を装っているよ、という句にしてみました。海が明るいために、逆光で顔が見えにくい分、夜のほととぎすの風情が出ているかもしれませんね。