指揮を普通にできるのは
それだけですごいことだとここ数日実感している。もちろん、これは他人を相手にして合奏をきっちりと成り立たせるという意味での指揮であり、オーディオセットの前で気持ちよく振っているそれとは別の話だ(それはそれできっと気持ちいいのだろうとは思う)。先日、知人から指揮者講習会のビデオを見せてもらった。この講習会は、コンクールに出られるような第一線の指揮者を教えるのとは少し違うものだった。こういった講習会はピアノや弦楽四重奏を前にして指揮をして、教わるというスタイルが多い。見ていると、いろいろな意味で勉強になる。先生が指摘している内容はもちろんのことだが、受講生の指揮の仕方を見ているだけでいろいろなことがわかる。テンポキープの難しさ、左手の使い方の難しさ、打点を打ちすぎるためにその直前の振り方がいい加減になりやすいという難しさ、そして何よりも、演奏を形にするように引っ張っていくことの難しさがよくわかった。引っ張るためには常に1拍先を見越して棒を振り下ろさなければならない。オーケストラに引っ張られてしまったら、そこでアウトだ。かといって、引っ張ろうとしすぎるとオケは絶対について行けない。いい指揮者とは、常に先を見越して案内し、お客さんの疲労の程度などをきっちり見ながら登っていくペースを考えられる山のガイドのようなものであるような気がする。ガイドをするためにはもちろん、行程のすべてを頭にたたき込んでおかなければいけない。足を踏み外しやすい場所、疲れやすい斜面、安心して休息できる場所、もしもの時の対応方法などなど...。だからこそきっちり勉強しなければいけないのだと思う。それも誰と誰がかみ合わなければいけないのかとか、ダイナミクスがどうだとかというのは当たり前の話で、例えばアンサンブルが乱れやすい場所で誰に向かってメッセージを送るようにすべきか、どのようなニュアンスで弾いて欲しいのかをも考えなければ、うまくいかない。動きは足りなくてもいけないし、無駄があってもいけない。私はそこまでできないが(っていうか、それを完璧にできるからこそプロなのだろう)。指揮を見ながら弾く立場にいると、そのあたりがたくさん見えてくる。こういうのはダメだなと思うのは...・予備拍と演奏が始まった拍のテンポが違う・アンサンブルで危ないところを練習するのではなく、とにかく振る側にとってやりやすい場所や、自分が好きな場所から練習する・奏者に呼吸をする間を与えない(6拍目から始まるときに1,2,3,4,5,という。運動会??)・大きい動作の方がわかりやすいと思って大きく振りかぶりすぎてテンポが遅くなる。しかもそれで「速いからダメ」と奏者のせいにする・拍を数えると流れが悪くなるから数えるなと言う(これをやると誰かが一回崩れたら二度と取り戻せない。体で拍をとりすぎて表現が悪くなることはあるかもしれないが、それとちゃんと数えることとは別の話)・自分が参考にしたCDの通りになっていないとダメ出しをするとまあ、こんなところか。確かにテンポキープのみの練習とかはつまらないとも言える。しかし、テンポキープできないまま練習してもまったく意味はない。要はバランスだと思う。表現をないがしろにすることなく、音の各次元(音程、ダイナミクス、テンポ)について要点を押さえていくことが必要だと思う。とかいいながら、自分がやるべき立場に立ったときにどこまでできているかどうかは不明。全員を満足させる練習はアマチュアでは無理なことだとは思うが、せめて「それはアカンやろ」と言われないようにやっていこうとすることがとても大事なことだと思う。私に指揮を教えてくれた音楽の師が言っていたのは「指揮というのは奏者がやりたいことを邪魔しているとも言える。邪魔をするのにはそれなりの覚悟がいるし、やり方というものがある。邪魔をさせてもらうのだから、その分全体をより高いところに連れて行けなければみんなに納得してもらえない。だから勉強しなければいけないんだ」ということ。だから謙虚でなければいけない。その場で納得できないクレームがもしあっても、実際には後で自省してみると確かにそうだと思えることがたくさんある。考えれば考えるほど、普通にちゃんと指揮できることというのはすごいことなんだなと思う。やはりそれは職人技だ。料理で言えば「鉄人」と、上手なアマチュアでも「主婦が認める料理上手の主婦」、普通の人なら「小学生」ほどの違いであると思う。ここまで書いてくると、「オケで指揮をやったことがあります」なんて少なくとも「胸を張って」言えたものではないなと思うのだが...うまく行ったときはやっぱりうれしいものだ。まあ、ホームランではなくシングルヒットなのだが、それでもあるとうれしい。