今年の初オケ
今日は夕方からオケの練習。それまでは仕事を淡々と(締切が近いもので...)。今日の練習はチェロの本番ソリストが来るということで気合いが入ったものの、オケとしてはけっこうさんざんな出来だった。3週間ぶりとなると、みんな合奏の感覚を忘れてしまったようで、演奏のあちらこちらでほころびが見られた。私の席からだとソリストが目の前でよく見えるため、やりにくそうにしている様子がよくわかる。本当にすみません...という感じだった。私自身としては、早めに練習場についてウォーミングアップしたこともあって、調子は非常によかった。オーケストラの音楽の中にいる自分、そしてソリストのつくる音楽の流れに寄り添う感覚のある自分というのは、やはり気持ちのいいものである。これこそ内声部の楽しみというところだろうか。最近風邪気味で調子がよくなかったりするのだが、音の波長がいいのだろうか、音に包まれている状態の中ではとても調子がよくなるのが不思議だ。とはいえ、鳴っている音自体に問題があるので、気持ちの良さは半分程度というところではあるのだが。今年もこういう演奏している時間を大事にしたいものである。週1回のお楽しみというところか。今日も指揮者の厳しい指摘が飛びまくっていたのだが、なるほどと思ったことは、「テンポは自分たちでつくるもの」ということだ。われわれがよくやる演奏というのは、まずテンポありきで、イメージするのはメトロノームのコチコチという音に合わせているような感覚だ。しかし、そうではない。何もないところにテンポは生まれないのであって、まずは呼吸があり、そしてそれに合わせた弓の速さや息の速さで最初のテンポ感が決まってくるのだ。私が学生オケでお世話になった指揮者の先生がいつもそう言っていたなと再確認。やはりオケの音楽はみんなでつくるものなのだ。もう一つは、「オーケストラはシステムだ」ということだ。ある場所で中心になるべきあるパートが少しテンポを揺らしたりすれば、他のパートもそれに合うように演奏の仕方を調整していかなければならない。それは指揮者の責任というよりは、奏者の責任である。自律的に相互作用し合うべき部分もけっこうあるのだ。ただし、オケのように大規模なものをつくろうとするならば、やはり指揮者という中心的存在は必要である。自律性と向かうべき方向性とのせめぎ合いがそこにはあるが、それがあってこそいいものが生まれる。何だかこれって、組織論っぽいな...。それから、「節目にあるつなぎを大事に」ということだ。オーケストラの場合、自分のパートだけを責任持ってやればいいという発想だけで押し切ろうとすると、最後の句読点がかなり粗っぽいものになってしまうし、他のパートからフレーズを受け継いでいく時にも適当に入ってしまって、そこまでにつくられてきたものをこわしてしまう可能性がある。指揮者曰く、うちのオケの演奏は「10,000円払ってもらわなければいけないところを7,000円ぐらいしかもらわなくても平気でいる状態」だそうだ。要するに、どんぶり勘定を気持ち悪く感じていないのが問題だということなのだろう。なかなか新年早々厳しい合奏となったが、いつもながら勉強になるなあと思う。自分の研究している分野と全く関係のない分野からこうして知識をもらったり、いろいろな言い方を学んだり、そういう点でもオケをしていることはお得だと思う。今年はどういう出会いがあるのか、どういうことを自分のものにできるのか、これからも楽しみだ。