|
カテゴリ:父の入院・葬儀・片付け諸々の事
昨日の昼過ぎから病院に詰めてずっと様子を見て途中でいったん帰るつもりでしたが数値が悪いのでなかなか踏ん切りがつかないままに24時間付き添いました。
一晩中ちょっと寝ては起きてモニターを見るの繰り返し。 それに右足だけ攣りまくり。 完全看護でしょっちゅう看護師さんが様子を見てくれるんですが、血圧が低くて1時間半か2時間ごとに90台を切るのでそのたびに昇圧剤を増やし…昼間に3から始まったレベルが7で朝を迎えました。 明るいうちは血圧もけっこう低目だけど安定していたのに夜になると低くなったら戻らない事が多くて結局昇圧剤を増やしてはまた苦しい現世に引き留める…で朝になった感じ。 昇圧剤をもうこれ以上増やしても苦しみが続くだけだなと思い先生にそのことを確認して延命しているだけで元の生活に戻れる治療をしている状態ではないと答えをもらって昇圧剤を増やすのは止めてもらいました。 薬を切ってしまうのではなくて今以上に増やすのを止めると言う事で、それはそのまま続けても12時間以内に当然起こるマックスレベルの投与量をより少ない投与量で維持すると言う事。 現実問題としてその薬が上げ続けてきた血圧を次に下がったらもう父本人の生きる力だけに頼って薬に頼らないと言う選択をしたのですが、それはとりもなおさず父の命日を今日にするか明日にするかの決断をしたと言う事でありました。 これが70歳の時の父だったらまだまだ生きてもらえると思って積極的な治療をしてくださいとお願いしたと思いますが7月1日に92歳になる父で片方の肺は潰れて真っ白、残った肺の2/3が真っ白残った部分も白くかすんでいる状態ではこれ以上は苦しめるだけだと思いまして、私が決断して先生に現状から増やさない様にお願いしました。 そうなったら今度はあと何時間は問題なく生きていられるのか…と言う事になりますが、全身の機能が落ちているのでいつどうなるとは言えない様でした。 薬を増やさないで「看取りに入った」と言う事で2人部屋を無理して患者さんに移動してもらって個室状態にして長くはないはずの看取りの時間をゆっくり過ごさせてもらいました。 その部屋に落ち着いたら途端に90を切っていた血圧が95くらいになりましたから看護師さんが「お父さんもゆっくりできる部屋に来たのが判ったかな??」と。 術後のチェックをする大部屋では父自身も落ち着かなかったのか。 私は落ち着いたのを確認できたので昼過ぎになって兄と交代して家に帰り着替えと入浴、化粧のし直しですぐに病院に戻りました。 戻る時に本山から随分昔にいただいたご本尊様の木彫りのお守りをお仏壇から持って出ました。 木彫りの本尊と言ってもマカロンの様に丸いもので二つ合わせの内側にご本尊様が彫ってあります。 それをたった一度だけ本山が分けてくださる機会があった時に私と父と兄の3つ分を購入して父と兄の分は死んだらお棺に入れてあげようと思ってずっと持っていたのです。 かれこれ25年近くww ようやく当初の目的が…じゃなくて、父の為の星祭のお守りを申し込むことはなかったのでこうやって生きるか死ぬかの瀬戸際でも仏様のご加護を頂くものが無い。 なのでその父の為のお守りを枕元に置いてあげようと思って持って行きました。 私が戻ったら今度は兄が給料を渡さないといけないからと仕事に戻りました。 落ち着いているから今のうちに行ってくると。 私はお守りを枕元に置いて、モニターを見ると呼吸回数が1分間に4回とか5回しかないと表示されていたので驚いてナースコールをしました。 呼吸回数はその後すぐに自然に増えたのですが喉の奥がゴロゴロ言っていたので痰の吸引をしてもらい、吸引が終わる頃に体を拭きましょうと看護師さんが来て…そこらの辺りでモニターの数値が非常に弱くなりました。 こりゃ…いよいよか?? はい。 いよいよでした。 午後2時30分頃に帰り、兄と交代して、父の様子が変わり亡くなったのが午後3時5分でした。 兄は死に目に会えませんでしたが、今迄ずっと世話をし続けてきたので最期は私に父との交流の時間をくれたんでしょう。 その後は悲しむよりやることがいっぱい。 昨日もほとんど寝てないですが、今日は仮通夜で兄が自宅に戻ったのでまた父の近くで仮眠しています。 3時間寝れたらいいな。 とりあえず今日の報告はこの位で。 マジ寝ないと明日から無理ww お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[父の入院・葬儀・片付け諸々の事] カテゴリの最新記事
|