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カテゴリ:日々雑感
この間、飲み会(いつもよりも若干形式の整ったいわゆる「接待」)がありました。
そこでは、50歳代の大会社の本部長と子会社の社長を真ん中に向かい合わせて配置し、その左右に部下4人の計6人で飲みました。 仕事の話は別にして、趣味、禁煙(健康)などありふれた会話の中で、社内の権限の話になり、 「最近本部長と言っても昔(30年前)に比べると普通の部長か、実力のある課長クラスですわ」 「子会社の社長といっても、昔(30年前)の大会社の課長クラスですわ」 なんて話をしてました。形式の整った飲み会につき、まだ頭が冴えていたのでしょうか。 「なぜ、年月が過ぎるにしたがって、権限が上のほうに集中していくのか?」と質問してしまいました。 お二人の答えは、 「昔はストックがなかった(資本も人もなかった)ので、実力のある若手がバリバリ仕事できた。その若手がそのままえらくなり、権限を手放さずにどんどん上に行くものだから部長や課長に権限がなくなって、今や細かいことまで役員の承認がいるんだよ。」 ということでした。 確かに。ホリエモン等は上におじいさんのいないITで成功したけど、そこから魑魅魍魎うごめく成熟産業であるメディアに行ったのが失敗ですかね~、なんていいながら、そのとおりと思いながら別の視点からのことも思いました。 会社はルールを作って未来を描いて若者を働かせる。 しかし、業界が成熟するに従い当然ポストが限られてくるので、部付部長等作って従業員の希望にできるだけ沿っているんですよ(約束やぶってないですよ)アピールをする。 お互いに経済合理的ではないが、心理的な問題を解決するために実際の権限と名前がずれていくことを容認する。(心の下方硬直性の一処理方法) 。。。???そうか、なんかひっかかると思ったら、「日本史」の勉強の時にときどき感じていた「なんでよく官職が変わったり特別官職ができたり時代とともに過去の官職がずれていったりするのか?」 に対する答えだ、と。 しょうもない結論で申し訳ないのですが、今回は 「歴史は繰り返す」だな、と。日本史を丹念に研究していればだいたいのことは現代史にもあてはまるんだなと。 ローマの研究は、すでに滅びているため、批判的な研究をしても時の権力者から圧力がかからないこと、また、欧米のベースになっているため標準として適していることから「現代社会に役に立てるため」必要とされ行われているんだな。 「なんのために日本史を勉強するのか、それは今のあなたたちのためだ!」 と熱心に説く社会科の教師はかっこいいかも。。。 なんて妄想しながら夜は更けていきました。。。 よっぱらいのたわごとなので、話の展開がむちゃくちゃですみません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011.02.11 14:03:31
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