テーマ:聖書からの日々の御言葉(206)
カテゴリ:聖書に親しむ
ホセア書を読了したので、感想を書いてみます。
ホセア書は、ユダヤ教では後の預言者に分類され、キリスト教では預言書(十二小預言書)に分類されています。 「小預言書」に分類されているわけで、やはり地味な感じは否めませんね。 以下は、【この本からの引用】と【上記の感想】です。 【この本からの引用】 告発せよ、お前たちの母を告発せよ。 彼女はもはやわたしの妻ではなく わたしは彼女の夫ではない。 彼女の顔から淫行を 乳房の間から姦淫を取り除かせよ。(2章4節) 【上記の感想】 間違いなく聖書の記述です。 神とイスラエルの関係が婚姻関係に喩えられているわけで、「彼女」とは「イスラエル」のことを指します。 旧約の神は「嫉妬の神」とか言われたりしていると思いますが、こういう箇所を読むと、むべなるかなという感じです。 【この本からの引用】 エフライムは鳩のようだ。 愚かで、悟りがない。 エジプトに助けを求め あるいは、アッシリアに頼って行く。(7章11節) 【上記の感想】 実は、エフライムが何かということを、すっかり忘れていました。 私の聖書の読み方は、ダラダラとしたマイペースなので、以前に読んだところは、どんどんと忘れてしまいます。 そこで復習です。 エフライムは、ヨセフの息子です。 創世記の48章に詳しく書かれています。 もともとは人物名であったのですね。 【この本からの引用】 それゆえ、わたしは彼女の行く道を茨でふさぎ 石垣で遮り 道を見いだせないようにする。(2章8節) 【上記の感想】 実は、私は「茨」の意味がよくわかりません。 そこで手元の辞書を見ると、茨とは「とげのある低木」とのこと。 なるほど、茨の道という言葉が険しい道を意味するのも、最もです。 茨で思い出すのは、イエスが十字架にかけられる前に、編んだ茨の冠をかぶせられたことです。 これが語源になっている言葉に、「茨を負う」というのがあります。 この意味は、「人の罪を一身に背負うこと、また、人の苦しみを自分の苦しみとして生きること」です。 ちょっと、「茨」の勉強をしてみました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/05/12 08:55:14 PM
コメント(0) | コメントを書く |
|