テーマ:聖書からの日々の御言葉(206)
カテゴリ:聖書に親しむ
マラキ書を読了したので、感想を書いておきます。
マラキ書は、ゼカリヤ書などと同様に、預言書(十二小預言書)に分類されています。 以下は、【この本からの引用】と【上記の感想】です。 【この本からの引用】 十分の一の献げ物をすべて倉に運び わたしの家に食物があるようにせよ。 これによって、わたしを試してみよと 万軍の主は言われる。 必ず、わたしはあなたたちのために 天の窓を開き 祝福を限りなく注ぐであろう。(3章10節) 【上記の感想】 「十一献金」という言葉があります。 簡単に言うと、収入の十分の一を献金するというものです。 私はクリスチャンではないので、その辺りのことはわかりません。 が、中々の金額なので、実際に十分の一の献金を長い間続けている方というのは、ごく少数のように思われます。 最も、ネットで色々なHPを見て判断したので、実際のことはわかりません。 【この本からの引用】 わが僕モーセの教えを思い起こせ。 わたしは彼に、全イスラエルのため ホレブで掟と定めを命じておいた。(3章22節) 【上記の感想】 次から次へと物事を忘れます。 「ホレブ」を忘れたので復習します。 『出エジプト記』3章のモーセの召命に書かれているのが、有名です。 要は、モーセが召命を受けたのが、このホレブです。 モーセが見た不思議な光景というのが、柴が燃えているのに燃え尽きないというもの。 本日は、深入りは避けます。 何故かというと、自分の40数年に亘る勘違いを書くためです。 その勘違いとは、芝と柴は同じものだと思っていたことです。 どちらも地上数センチの世界に広く分布している公園にあるものと、思っていました。 つまり、昔話の桃太郎の冒頭の、「おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯」という部分も、おじいさんは芝刈りに行っていたのだと思い続けていたわけです。 それで、柴とは何かというと、燃料にする小枝のことのようです。 しかし、おじいさんが芝刈りに行くというのを、不思議に思わなかったのも、今にして思うと滑稽です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/09/16 06:20:04 AM
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