シュウの考える「がん撲滅・がん医療改革・意識改革」のレポート
今回の第四弾は
【鬱にならない方法】
私は、医師でもカウンセラーでもないので、私の体験と思いを伝えたい。
2003/04 がんの告知を受け、抗癌剤治療を何の疑問もなく受け入れた。
これは、なんの情報もなく、主治医の先生の言う通りにしかできなかった。
抗癌剤はシスプラチンにビノレルビンという組み合わせだ。
1ヵ月が1クールである。
まずシスプラチンを点滴1日一杯の9本の中で投与する。
毎水曜日にビノレルビンをルートから入れる。
ビノレルビンが2~3回投与される。
そして1週間は休薬である。そして骨髄抑制対策を行なう。
ここまでで1クールである。
第1クールが終了した。
私は副作用がほとんどなかったがこの1ヵ月はほとんどベットで暮らした。
テレビと漫画本で1日がすぎていた。
でも、告知から今まで毎日「がん」のことが頭から離れなかった。
今、思えば第2クールに軽い鬱になり 第3クールでそれは本物になった。
その経過と内容はこうだ。
第2クールのビノレルビン3回目から1日一杯、点滴を見ているか、寝ているかで1日を過ごす日が多くなった。
気持ちと頭は、「がん」のことばかり、不安と恐怖が渦巻いていた。
夜中に震えがでることも多くなった。
そして医師、看護師に不信感が何故かわき、人を信じられなくなり、ベットから離れなくなる。
どんどん気持ちが落ち込んでいくのがわかった。
悲劇の主人公だ。
その時の私は、看護師さんからみてもいやな患者だっただろう。
自分でルートを抜いたこともあった。
不安が不安を生み、頭がもう不安な事だけになる。
1日言葉を言わない、話さない日があった。
点滴を見つめているだけだ。
このままではいけない、とか何とかしよう なんて 考えられない。
いつ死ぬのだろう、死に方はとか、もうだめだ、毎日、この点滴のことを思う。
病室のトイレが使用中だったのでデイルームの近くのトイレにいった。
そして、天気だったので外の眺めを見たくなってデイルームへ
「にいさん 入院 長いのかい?」 と声を掛けてくれた人がいた。
「ええ まあ」 「若いのに元気ないね~」 「・・・・・・・」
Hさんだった。 その後 T君 Kさん と話をするようになった。
彼らは慰めは言わない。
病気のはなしが中心だが、自分の病期、状態をすべて語っていた。
私より、状態が悪いのに、元気だった。
それからだ、点滴をただ見ていることもなくなり、看護師さんと会話が多くなった。
デイルームでの「病院批評と先生の悪口」により私の鬱は治った。
Hさん T君 Kさん みんな卒業していったが、私の友人だ。
今でも、彼らに心から感謝している。
「オーイ元気か?」と彼らの声が聞こえる。
皆がいなければ私は死んでいたかも知れない。
シュウ