本気で食えないときは、こうして食う【絶対貧困】
貧困層、それも真剣に「食えない」レベルの層は、どうやって食うのか。【楽天ブックスならいつでも送料無料】絶対貧困 [ 石井光太 ]価格:1,620円(税込、送料込)わりとこういう話はよく見聞きしていて、オイラ社会に関心が薄いタイプなのになんでかなーと首をかしげていたのだが、オフロードライダーの中には途上国の地方へ出かけてくひとが一定数いたりして、そしてそっちの書籍を読んでるとなんとなく情報はたくさん入ってくるわけで。ただ、ピンポイントで見聞きした情報と、「取材」した情報とでは、やっぱり絶対量が違う分ナルホド感も高い。たとえば乞食の子どもがなぜに手足が無いかってば、以前聞いた話では「親が手足を切る」ということだったけど、これには疑問があった。手足は切っただけでは死にかねないし、医者に連れてくのもお金がかかる。そもそも親は、子どもを死なせることも、ましてや苦しめることも、非常に嫌がる。自分の遺伝子が乗ってる個体を、自分の生存のためにそこまで死の危険に晒すことはできるだろうか。はい、切ってたのは親ではなく、子どもたちは「パパ」と呼ばれる現地のマフィアでしたよ。そして子どもは見事にストックホルム化して、「パパ」を慕い続けるようだ。これを病んでいるかといえば、大人が子どもを食い物にしてる時点で、「動物として」「人間として」病んでいると思う。だって「手足の無い乞食」としていい稼ぎをするのは子どものときだけで、その時期が終わったらたぶんマフィアは、稼ぎの悪くなった乞食を放り出すよね?一方では娼婦たちがコミュニティをつくって「私の稼ぎで娘を学校へ行かせる」と気張っていたりする。こっちは逆に、びっくりするほど病んでいない。性病やエイズでばたばた死んでいこうが、コミュニティの中では明日が見えている。とまれ、本気で食えないときは、こうして食うわけだ。「食えない」で死ぬことになる人間を、大量に出しながら。悲惨な状況を扱っているにも関わらず、著者の筆致は穏やかで、どこかにユーモアさえある。humor/humourの語源は、おそらくhumanだと思うのだけど。そこに在るのは、善でも悪でもなく、幸不幸でもなく。ただ、肯定。