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灯台

灯台

スサノオ伝説

 あまつかみ  たかあまはら                        よも
 天津神の住まう高天原。そこは神の峰であるぞよ。四方をみまわしても杉の古木が立ち並
                   みおろ
び、いと淡き白雲から滝の水はこぼれて、俯瞰せば人懐っこく微笑んでいるような一面仄か

な草原。神さびた雰囲気を漾はす聖域なり。滝の上に滔々たる水現われて、濡れ石に一唱三

嘆おちにけり。峰より見える点々とした人々はさまざまな仕事や、肩書きや、立場をもちな
      のどか
がら日々長閑に暮らしており。牧歌的な光景。神々の膝下においては花々も、人々も、頭の

うえに甕をのせて光合成するようなものなり。地の組織をつくるとき、たて糸は煌々とせし

め、よこ糸は耳を澄まして音鈴の如く嚠喨たり。

 その高天原を追放されしスサノオ。
                           あかご
 母の国へ行きたいと言って泣き叫ぶ女々しき嬰児のような一面あり。凶暴な一面もあり。
             きしゅりゅうりたん                                  あらし
出雲へ降りると一転して貴種流離譚の英雄的な一面もあり。おお、荒れすさぶ暴風雨の神よ

。その者、背丈は巨木のごとき高く、美貌もあり、しかも鉄のように頑丈な体付きをしてお
                         つるぎ
った。その猪首は御神木のように太く肥え長剣でも断ち切れまいと思われた。
                                      あぶく
 そしてその者の美のまえでは魚たちは泳ぐのを止めて、ぷくぷく泡をふきながら見惚れて

溺れるほどであった。月はスサノオに焦がれる愁いのあまり身を羞らひてかくれるありさま

。鳥はこの者に好かれたいと思うあまりお道化、羽根を毟る素っ頓狂な舞いを披露し、ナル

シストと呼ばれて久しい花でさえ、スサノオのまえでは気圧され呆気なく凋んだ。まさしく

、威光である。どんな粗末な衣服を着ていても、頸にかけたる勾玉がなくとも、腕に嵌めた
               オーラ       まなじり   みりき
る釧がなくとも陽炎の如き霊衣、またその目眦の魅力において、誰もが羨望の眼差しを向け

、その者を妙に暖ったい態度で迎えたことであろう。おお、ダンディー・スサノオ!
                  つるぎ
 その者はまた弓の名人であった。長剣の使い手でもあった。しかしそれを嫉まれ、疎まれ

てスサノオはこの地を追い出される。しかしそれは神々の試練でもあった。
     かれ    いま                             いずものくに ひいかわ
 おお、故はたった現在、島根県東部にあたる雲湧きあがる出雲国の肥河、・・砂礫の堆積に
                                       とりかみ
より川床が周辺の平面地よりも高くなった、おお斐伊川の上流の鳥髪に降り立った。
            けだか  
 ――その何と言う、崇高さ! 泥水でさえ、彼を映すために美しく澄むかのよ。
                                             ほむら
 だが、スサノオは我が身の美しさをいつも嫉んでいた。それは永遠に焦がれる炎が見せる
ひとあし  ふたあし            イリュージョン
一歩、そう二歩と舞い上がる火の粉の幻影。・・スサノオは鏡にも、周囲の態度にも夙うの昔
                     こわだか
に厭き厭きしていた。美の信奉者どもに声高に言ってやりたかった。盲目的に美に追従し、
  ちから     わざ ため
その腕力、その技量を験さぬうちに、太鼓を叩いて如何するのじゃ、と。
                            あらくさ   いらいらぐさ
 そしてスサノオは髪の毛一本うごかさず、雑草しめっぽい蕁麻疹どもを掻き分けて、川上

から箸が流れてきておるのを確認す。それは黒檀いろであった。スサノオは少し眼を瞠った

。まさか人郷離れた所であるに、人もおるまいと思っておったが、ははあ、こんな所にも人

がおるのじゃな、とスサノオは淡くて跡くされない人の気配を感じた。スサノオはもはや尊

敬の眼差しも、賞賛のおべんちゃらもいらなかった。おお遡る鮭よ、鯱よ、遂には鯉の滝登

りによって龍となり天高く宇宙の際までのぼりたまえ。

 ――スサノオは息を切らせて川上へ、川上へと疾走った。
 、、
 して、老夫婦がしくしくと泣いておるではないか。哀愁のカサブランカ。敬老の日。なぜ

か説明的なスサノオ。おお、如何したのじゃ白髪の老爺い、垢まみれで、蛭にでもしゃぶら

れたような、襤褸きれ同然の服を纏いし乞食かと思えし男よ。おお、そして何を泣いておる

のじゃ、ひっつめ髪の魔女みたいな鉤鼻の箒に跨っていそうなユーモラス狸婆、・・おい撥は
                                          もも
どこじゃ、ええい言うてみよ早うなあ、さてはおぬし、洗濯物をどんぶらこ蜜桃へとかえお

った次第であるなあ。取ってきちゃろうか、わしはプールの浮き輪をとってくるのが人一倍

好きな男じゃからのう、と気安い軽薄なプレイボーイ。ここらへんがスサノオらしき、男前
                                          まが
の太っ腹な大安売りだぞよバーゲンセールだぞよの一面なり。おお、狂態。

 ふたりは、そうして、伏せていた顔をあげた。そしてすぐ、魔法が起こったように、この
                                            キラキラ
美しい男に、その話し振りに一瞬にして心を奪われた。その男の周囲には晃々としたプリズ

ム、ダイヤモンドダスト、街燈が思い浮かべたように照らし出された硝子の破片がまばゆく
                       エメラルド ルビー
おこっており、それは金剛石とも、緑宝玉とも、紅玉とも・・。

 話を戻すにあたわず。扨てそこにおるのは日本昔話特有の景気悪そうな老夫婦なり。真実

の一端を暗示、くされ外道の因習社会。石もて崔の河原。閑話休題。図書館休刊日。書店閉
               まなっこ
店。スサノオは老人愛護の眼もちて、たとふれば賢者の石よ、その熱き血潮たぎる心臓よと

ばかり、・・ばかりに、スサノオは手品をす。おお、それを咎むべきではない。見給え、これ

は箸ではないか、あるぞよな、しかし箸は箸でもこの股間にあるのは三十センチの尺八なり

。ぐわははは、とスサノオのシモネタ一発ギャグ。新入社員の場では不評を上司に買う。

 ・・は、無論失敗するかと思いきや、ふたりともその気安さに、そしてその言霊の持つ活力

に大いに赤面す。それどころか、この人の懐の広さにいたく感心しナンマンダブと拝み始め
                                       なぐさめ
る始末。結果オーライといったところか。ともあれ、大いに老夫婦の慰藉となりて、青空授
                   まざ
業の如き取調タイムへ突入す。おお、醜態。

 「それにしても、ここはよい土地であるのじゃなあ」

 いささか人生に疲れ、リストラ、嘘出社、再就職失敗、首吊り一歩手前のスサノオの心の

底から出た言葉である。誇張しすぎである。ポーに言え!

 「いえいえ、そうとも言えませぬ・・」

 しずかで簡素で気楽な生活において、信じられぬほどの熱気を欲するのが想像豊かな土地

の常なり。その夫婦は偉いなる山の神、海と山を司るオオヤマツミの子のアシナヅチとテナ

ヅチであった。なるほどブラックホール。重力が強く、光さえも抜け出せない時空領域。霊

釋記。大質量の恒星が超新星爆発した後、自己重力によって極限まで収縮することによって

生成したり、巨大なガス雲が収縮することで生成すると考えられている八岐大蛇。酸漿の色
                 ルビー
して兎の如き血走りの真っ赤な紅玉のマグマの眼。

 やつの背中には苔や木がうじゃうじゃと生え、腹はみずからの腐れた血のおどろおどろし

い硫酸にやられたように爛れ、硫黄の匂いが鼻につき、八つの谷、八つの峰にまたがるほど

大手を拡げている巨大生物。それを聞き、スサノオは少なくとも一瞬間は逡巡した。

 実は先程まで、えらいよい気分であったお殿様、信長様のおなーりーィであってからに、

何でもしてやろう、任せちょけ、と思っていたのじゃが、なにせ聞くだにおぞましき姿、絶

対的に勝ち目のない巨大さ、月とスッポン。おい待てやあ、そんな化物に怪物あわせて核兵

器並みの火炎放射ゴジラしそうな奴にわしごとき小さき者が適うわけがないじゃろう、と思
          、、、、
ったからである。もちろん、普通はそうである。

 草野球チームが天下の巨人軍相手に勝利するようなことはあり得ない。試合が組まれるこ

とはまたとないが、それは、そうである。繰り返すが、もちろん、普通はそうである。

 だが、老夫婦の話を聞いて井戸のつるべあげていく段階になると、スサノオの気持ちはコ

ペルニクス的転回をみせる。これは本国初公開のスサノオの事実であるが、スサノオは実は

れっきとしたロリコン伯爵であった。というか、歴史の人物はみな、大体ロリコンと決まっ

ていた。おい見たのかとヤジ巻き起こるかも知れないが、お前だってそうだろ。まあよいで

はないか、これはギャグスサノオ。まあ、よおく聞け、そんなことはいい、とくと考えろ。

八岐大蛇とかいうでっかい蛇の化け物は、ぱくぱく無尽蔵に人を喰らうパックマンであり、

生贄だかをして鎮めている。そうでなければ村を襲う。それはまあよいとしても、恐ろしき
                   すえっこ
ことよ、このままでは最後に残った末娘のクシナダヒメ略してクシちゃんまで食べられてし

まう、というのだ。おお、それでこの老夫婦は、ノストラダムスの世紀末坂口安吾ルモアの

大王よろしく泣いておるのだった。
                                      おくむら
 そこへ十四、五の少女が長い髪をなびかせて、視界をさえぎる髪の奥邑より、ぷよよンと

したつぶら眼をひっさげて、血のめぐりのよい頬はやんわりと蜜桃の熟れゆきの頃にあいに
 あい もえ  まつげ
て感銘、萌、瞼毛やさしく碧の風にふれて花粉症のごとくマスク越しのゲレンデ美人的にや

んわりとシークレットに濡れ、背丈や、スタイルに及ぶまで、なんとも実に美味しそうであ

るぞよ、という風にスサノオの前にどんどこ現われる。おお、ご馳走! スサノオはそれを

一目見るなり、好いと思った。なんとなく好い、あるいは途轍もなく好い、と思った。体中
  マグマ      いただき
から溶岩噴き出さん巓の淵、狭隘なるめぐりのはての溢れを感ず。おお、なんと美しき少女
               ポエーム
であろう。スサノオはすこし詩の心得があったので、それを珠のよう、まさしくたまゆらの

宿りし神の造形物、と次々と美辞麗句を並べたてていった。最終的には我が尺八の音色のと
     とこしえ パラダーイズ
どまるべし永久の楽園よ、とシモネタに走った。

 ・・・このスサノオ、欲求不満なのかな、と読者いぶかしるべし!
                                         うそ まこと
 さてさてスサノオは次の瞬間、口から出まかせ、いやいやほんに虚言か真実かもわからぬ

も、イバラの道、枯れ草の道、たとい血の道、死出の道であろうとも夙うにこの命惜しから

ず。そうゆうわけで、クシちゃんという別嬪を妻として欲しいなあ、下さい、と貰い受ける

ことを条件に、――いやあ参ったもんじゃのお、本当にそうしたらあの化け物何とかしてく

れるんですかな、マカサレヨオ!・・ヤマタノオロチ退治を請け負う旨を勇ましく祝詞のごと

く祝勝会し、先程までのヘタレぶりを忘れて饒舌に我は弓の使い手、剣の使い手、とお調子

よく語るスサノオ大先生さまなのであった。

 しかし曠野の決闘まではまだ少し時間があるではないか、こうはしていられない、クシち

ゃんと野ッ原へ出掛けねば、といそいそと手をとり移動するのであった。その間、爺さんは

山へ柴刈りに、婆さんは川下へとこのんで洗濯に。

 人の恋路を邪魔する奴ァ、敵も敵、なにしろ不敵な尺八ーィッ!

 ・・・どんだけこの人、尺八好きなんだろう。
                        、、、
 まあ、いいじゃないか、ふたりは仲良くでゆとをするのであった。
                                     とりこ
 しかしなにがよいのだが、クシちゃんは一目でこの美しい男の俘虜者になってしまい、ま

あ蓼喰う虫も好好か、いやいや甘いマスクにご用心ですよお嬢さァーん!・・あっという間

に、スサノオ信奉者。いやいやスサノオ駆け込み寺。

 ――恋は苦痛をやわらげる特効薬であり!

 なにしろあたし疲れてたもなあ、とクシちゃんは思った。姉さんたちをペロリと食べてし

まった、あの化け物。姉さん達が食べられてあたしだけ逃げ出すわけにもいかないしなあ、

まだ若い身空だけど、歳老いたふたり残して浮世草するわけにはちょっとなあ、とクシちゃ

んもひとりの女の子らしい台詞。当たり前である、どんな社会も本音と建前は違う。

 ・・・でもたとえスサノオがヘタレでも、好きになるのはいたしかたない。大抵この時期が近

付くとみてしまう悪夢の、怪奇の、魁偉、あのウツトウしい蛇を退治してくれるというのだ

。事の真相がどうなるとしても、スサノオ様は美しくてイカしてる。この二つの点から言っ

ても、クシちゃんがその勇敢さに幼き恋心をやどす、また手れん手くだを知らぬあまりに自

分の感情を持て余すのもやむをえないというものであろう。ましてや、村人はほとんど逃げ

出した。生まれ育った所から離れたくない、自殺願望の両親もこんな時には役に立つ。クシ

ちゃんは男性らしい男性をほとんど見たことがなかった。

 またクシちゃんの姉さんの不幸な霊たちも、ここぞとばかりに、テンションが上がった。

 「ああクシ、この人、いいわあ――」

 草場の陰で、イケイケゴーゴーのサインが送られるのも、やむをえない。

 これはまさしく、色んな意味で宿命的な恋であったのだ。
                                        ふくらみ
 しかしクシちゃんはそれと同時に、我が身の美貌のなさを、また胸の隆起のなさ洗濯板滑

走路をいと恥ずかしく感じた。成熟しきっていない女の魅力というのは紙一重のものである

、と知らぬコンプレックスには弱いところである。硝子のような硬度をもちながら、粘土の

ように軟弱である。それならいっそ、もういっそ、八岐大蛇に食べられてしまいたい、とさ

えクシちゃんは思った。

 「スサノオ様、あたしは不細工でございます」

 とうとう堪えきれなくなったクシちゃんは言う。

 「見て下さいまし、先程から雀があなた様が何か話す度に羽根を揺すっておりまする。あ

そこにいるみみずくも、そしてあの明礬いろの岩の上の緑の宝石も」
         わし
 「それなら、私の方が不細工じゃて。そしてもっと不細工なのは、八岐大蛇じゃて」

 ・・・こうやって、スサノオは川辺でクシちゃんをこましているのだった。だがスサノオは実

は意外と恋愛ごとに鈍く、それにも増して、自分を美しいという者を嫌いになるような所が

あった。スサノオは実際、太陽にも月にも、鳥にも草木にも、獣にも、そして人々にも、そ
 ものみなすべて
う森羅万象に冷静な美の基準を敷いていた。
              わし            おいだ
 「のう、クシちゃんよ、私がどうして高天原を追放されたか知っておるか?」

 クシちゃんは思案顔をして、すぐに小石をつかんで、水面に力任せに次から次へブン投げ

始めた。ついでに、色眼使ったあの鳥どもにも今日の晩御飯にしてやろうかと一瞬思ったが

、嫉妬深い自分が、・・姉さん達はそう言っていた。

 スサノオに嫌われるかも知れないと察して、何もせずにいた。
  、、、、、、、、、、、、
 ・・実は女の清楚さというのは、いかに男心を知っているかのことである。

 つまり現代の女の大半が、やらせてくれるようなありさまなので、清楚である。おい、め

ちゃくちゃ言ってんじゃねえよ。違う違う、君らは清楚さとチラリズムを混同している。清

楚さは表面上のもので、セクシーさとまた違う。これは男と女の駆け引きの問題である。チ

ラリズムにおいて、日本女性は多く誤解している。だから清楚さという歴史的な感情の日本

的な和に追い付かない。文学を読み、より高い精神修養が必要なのが糞バカたれ女どもに必

要である。・・ともあれ、クシちゃんは可愛かった。まる。

 「許せぬ人たちです。おお、スサノオ様! あたしはそこにいる者たちに、あらゆる醜悪

事を撒き散らしとう思います。情けのう者たちでございます」

 クシちゃんの脳裡には、そういうことしか浮かばなかった。そしてそれはゲジゲジや、ム

カデであった。人の嫌な部分を思う時、咄嗟にそういうイメージが浮かぶ。
  いや
 「否、違うのじゃ」

 スサノオは若者らしい苦悩を表情に浮かべた。
  わし
 「私もある時には御本尊様とばかりに尊敬されておったし、美の体現者として一目置かれ
           ねたみ  にくみ
ておった。そもそも嫉妬も、憎悪さえも、わかるかな、私には美しく尊いものに思われた。

それは美の純粋性を崇め奉る、引き立て役としての美ではなく、むしろ、毒蛇の如き、蜥蜴

のごとき、蜘蛛のごとき、それそのものの美しさであった。私はのう、クシちゃん、いつも

そういうものを身近なものとして、近親者のように、いとこのように愛しておった。それが

みなの癪にさわったんじゃろうのう」

 「どういうことがあったんでしょうか?」
        わし
 「そもそも私は根の国へ行きたかったんじゃわあ。あ、根の国っちゅうのは夜見の国のこ

とじゃ。母親がいるとこじゃ。しかし短絡的にマゾコンっちゅう侮蔑をすることなかれ。私
                                  あいつ
はちょうどあれじゃ、父親っちゅうのがどうも好かんのじゃ。彼奴はのう息子っちゅうのを
                      ふりいだむ
、豪い勘違いしておるんじゃ。私はもっと自由なんじゃ、山頭火なんじゃ、旅が好きなんじ
          よる おすくに
ゃ。それをなんじゃ、夜の食国っちゅうのは、蛸や水母でも喰らっていそうではないか。そ

れになんじゃなんじゃ、海原っちゅうのは、男臭いポセイドンのところに私は行けん。馬だ

か雷霆だかのあるような所にはいきたくないべよ」
  、、
 「べよ、ですか」
  、、
 「うむ、こうみえて感性がこまやかなんじゃな。私はのう、それで父親に追放されて、姉

さんのアマテラスにのう別れの挨拶をして、根の国へ行こうと思ったんじゃ。それで高天原

へ行ったんじゃが、そん時も大分甚かった。いきなり乗っ取りだのと思われてのう、囲まれ
      へいばよう        ちょと
てしまった。兵馬俑かよう、と一瞬思った。私はテロリストじゃないけんのう。ヤクザでも

マフィアでもないけんのう。言葉づかいは荒っぽいかも知れんが、長年の癖じゃ。大体なぜ

堅ッ苦しい気取った喋り方をせねばならんのじゃ」

 「おお!――」

 スサノオは、クシちゃんの肩をそっと触ってみた。

 やわらかい・・・! ぐっと、身を近くへ引き寄せてみる。
  、、、、、、、、、、、、、、、
 「私のでりけえとな心は傷ついたわ。しかしなあ、弓矢を携えて、突如親の敵とばかりに

討たれてはかなわんに、それじゃいかん思うてからに、誓約っちゅうのをしたんじゃ」

 「おお、お可哀想なスサノオ様・・・・・・」

 いったい何が可哀想なのかはふたりにしかわからない。
 、、、、
 もちろん、可哀想な人はここにひとりとしていない。
                                              とつかのつるぎ
 「なにを云う、なにを云う、・・クシちゃんの方が可哀想じゃて。それに私はのう、十拳剣

をばりぼり齧ってしまう姉さんを見ていて、この人はそんなに武器が好かんのじゃな、とむ

しろ惚れ惚れしておった。まあなんにせよ、私は姉さんが好きじゃからて、交換条件の珠を

齧らんかったよ、大根や、胡瓜や、人参ではないからのう。だが、姉さんはえらい嘘吐きで

のう」

 しかしなあ、ふふふ、とスサノオはゆっくり笑う。

 「スサノオは御殿に糞を撒き散らした、田の畔をこわして溝を埋めただのと云われてるう

ちはよかった。姉さんも庇ってくれておったんじゃ。私はほら自由人じゃろ、親父もそうい

う浮ついたところを直すため、お灸を据えるために、夜の食国や、海原だのと云ったんじゃ

ろうが、違うな、私は一度だってそんなことをしたことはないよ。ビッグ・マウスっちゅう
       さっき
だけじゃ。先刻、姉さんがえらい嘘吐きといったがのう、クシちゃんよ、違うんじゃな、そ

れはすべて私を忌み嫌う霊の流れなんじゃ」

 「霊の流れと仰いますと?」

 「私はほら天才じゃからのう」

 そんなことを臆面もなく云うスサノオは、ふつうに考えれば滑稽であり、また皮肉にもな

ろうというものだろうが、――誇大妄想が狂気でもありうるように、発言が必ずしもイメー

ジの一定の場へと落ち着くとは限らない。スサノオの発言には自信家特有のニュアンスはな

い。心の通じ合ったクシちゃんには、いわんとすることがわかった。

 「私は平和が好きじゃ、平等が好きじゃ、うつけと言われても、陰で莫迦だの阿呆だのと

いう奴は死んでも好かん。そんなのはそういう口の悪い奴の出任せじゃて。私の奔放不羈な

発言が誤解曲解されてのう、やれスサノオはと無茶苦茶にいんたあねつとのような得体の知

れぬ書き込みでのう、それはまさしく、狐に化かされても、天狗のように鼻が伸びても、あ

あはゆくまいて」

 「おお、スサノオ様!」

 ふたりはしっかと抱き締め合うのであった。その後方のしげみでは、柴刈りに行ったはず

の爺さんが、下流へ洗濯に行ったはずの婆さんが、よよよ、と涙をこぼしている真っ最中で
                           トーン                たくみ
あった。スサノオはなにしろ話術が巧い。また声についてもおどろくほど妙手。

 「・・・私を慕ってくれる者も多かったがのう、なにせ、高天原自体がつまらん俗物どもの集

まりじゃて。下司よ。姉さんもえらい困っておった。折角弟と楽しく暮らせる思っておった

ら、旧態派の連中がありもせぬことばかり吹き込むもんじゃから、まあ姉さんは聞いておら

んかったがのう、――なんじゃ、私を好いておる者がのう、とうとう頭にきて、しかも悪い

ことに、その親玉をあろうことか姉さんと勘違いしてしまってのう、・・後で叱ったんじゃが

、好意じゃからのう。まあ姉さんが機屋でおりおりして神に捧げる衣に精ッ出しとったら、

その屋根に穴あけて、皮を剥いだ馬を落っことしおったんじゃ」

 「きゃあ!」

 「これにはもう姉さん、カンカンになってのう。しかもこれが相当に甚いんじゃが、それ

が弟と思えばいいんだが、まさかあの物わかりのよい弟が、そう、誓約を結んでいる弟が、

しかも陰口を叩かれている弟がするまいと思ったもんじゃから、これはもう旧態派の過激派

の仕業じゃとまた思いこんでのう」

 「それはまたややこしい」

 「そのうえ、そこで第三の勢力である私でも、姉さんにも属さぬ奴等――いわば、中立派

で、普段はおとなしゅうしてるじゃがのう、これは高天原の危機!と思ったんじゃろうのう
                                                  
、もうすごい剣幕でとんでもない噂をたてまくったんじゃ。一人の天の服織女が驚いて梭で

で陰部を刺して死んでしまった、とな。まあそれも落ち着いた方の噂じゃな。最初なんか、

もう、どえりゃあ混乱混乱、ケネディ死んでもああなるまいっちゅう感じじゃった。狭い所

じゃからのう、噂は混乱をうんで、恐慌へと突き進むんじゃな。いわくアマテラスが死んだ

とか、どういう経緯か私にもわからんがスサノオが死んだとか――多分に、私を殺しておけ

ばよいと思った保守派の過激な冗談じゃろうのう。それに聞き耳立てていた、越後屋オヌシ

もワルじゃのう・・クソウ、とまあ、支離滅裂な、かなり荒唐無稽なものもあった。口々に噂

しながら、中身なんか何もあらんのじゃて。空疎の極みじゃ。まあ、最終的にここにきてお

淑やかなアマテラスも堪忍袋の緒が切れた、柳眉立つじゃて、スサノオの行動も塵も積もれ

ば山となるの大噴火じゃて、全面戦争じゃってことになってのう、もうお手上げ、思案投げ

首の収拾のつかん事態になってしもうた」

 そしてスサノオはゆっくりと息を吐いた。

 クシちゃんは、じいっと話を蛙のような顔をして聞いている。

 「・・・それでも姉さんに、直談判じゃ、・・最初はいやいや、保守派じゃと大分おかんむりで

のう、なだめるのに苦労したが、どうにかこうにか誤解を解いてのう、私が詫びを入れての

う、・・旧態派でも革命派でもどっちでもいいじゃろう、とな。私は実際、こういう性格じゃ

から、だあれも死んどらんのじゃ、ただ、馬の皮で姉さんや、他の女たちがえらい驚いたい

うことにしか興味をもっとらんのじゃ、とな。じゃから、もう今度のことは和解したっちゅ

うことで、と私から、・・本来なら私が怒り狂ってもおかしくないのを、理解しつつ、そうい

う侘びをいれたもんじゃから、姉さんはいたく感動してのう、おお憐れみ深い弟よ、としっ

かと抱き締め合ったよ」

 クシちゃんも、なにか、聞いている内にぽろぽろ涙が出てきた。

 感動的な場面というのは、少ないために、映画のように誇張して再現されるからである。

それは煽動であり、事実その場面の多くは捏造気味の修飾過剰と相場は決まっておるのだが

、フランダースの犬に泣き、小公女セーラに惚れるあたりはやはり相場である。

 ・・・おいおい、論点ずれてるだろ、に一切に回収はなく、放置プレイされた。

 「なんだかんだいって、私も姉さんも互いに信じておったからのう。しかし、姉さんはそ

こで、キッ、と唇を一文字に結んだかとおもうと、こうなったら、まとめて奴等を一斉に処

分してやろう、という計画を立てたんじゃ。姉さんはあれで陰謀家じゃ、洞窟にひっこんで

、世界をまっくらくらにしてしまったんじゃ。もちろん前もって八百万の神と通じておった

からのう、時を見て動かすから、それまではひとまずほとぼりがさめるまで、どこかに行っ

ておってくれ、と言われてのう、ここへ来たんじゃ」

 長い予定調和の説明ご苦労さまでした、と著者がねぎらいの言葉をかけるが、もちろんそ

れはふたりにも、山へ柴刈りにいった爺さんにも、川へ洗濯にいった婆さんにも聞えなかっ
     、、、、、、
た。――漫画のように、誇張して再現されるからである。

 「しかしこの出雲で八岐大蛇を退治することになったのも、神様の導きかも知れぬのう」

 「ねえスサノオ様、あたしのこともそう想ってくれますか?」

 きゅっと小振りな唇がぷるンと震える。それは少女の勇気を奮ったはじめての誘惑であっ

た。しかしスサノオはなにしろ鈍感であるからして、そこは何故か真面目に受け答えしてし
                                 つば
まう。後方では相変わらず爺さん婆さんがおり、ごくりと唾液をのみながら、蛙の顔をし、

らぶしいん、を期待しておるのだった。

 「それはどうじゃろ」

 「あ、あ、あ、あんまりでございます・・・・・・」

 クシちゃんはじわじわと、やがて瞳がおっこちてしまいそうなほど目に涙を一杯ため、ス

サノオを凝乎っと数秒間みつめ、それでもその美しさにカッと照れ、涙はあっという間に、

かなりものの見事に引いてしまい、スサノオ様はこういう朴訥な、男女の感情に通じていな

い初心なところがあるのだわ、きっとあたしのことなどまだ好いてもくれていないのだわ、

ああ、スサノオ様、あたしはこんなに惹かれておりまするのにと羞かみ、しかしここでそん

な風な発言をしたら嫌われてしまうのではないかしら、女が男をえらびたいというのはいけ

ないことかしら、ああでも女は一歩さがるというのが古い社会のお約束ですもの、いくら自

由人のスサノオ様でもそこはもしかしたら、と思ったクシちゃんは何事もなかったかのよう
                     かお     おなご
に小石をブン投げた。いろいろと違う表情をする女子であるよのう、とスサノオは思った。

 後方の爺さん婆さんは、これで八岐大蛇にやられても本望じゃのう、なあ、とひそひそ話

すのであった。なにせ情熱の記憶というのは、いずれの世の中も立派な土産物である。恋に

身を燃やしたことのある人は幸福である。されば人生を捨つることも厭わぬ。
              みどりのけ
 スサノオはクシちゃんの碧髪を撫でながら、

 「のう、クシちゃん、私はずっと旅に出たかったんじゃ」と言った。「旅は好い、それに

も増して、見知らぬ者と世間話するのはもっと好い。天気はよいなあ、と云えるのが好い」

 「スサノオ様・・・・・・」

 なにが、スサノオ様、なのかは著者にも皆目見当がつかない。

 「のう、クシちゃん、人の一生は儚くて憐れなものじゃ。私はしかしそれすらも愛でてき

た。えりいと、じゃったからのう。人より傑れよ、と文書を読み漁り、歌をつくってきた。

だが、私の心はいつも満たされることがなかった。情感において人々の心の動きを知りなが

ら、今世界でどういうことが起こっているのかを知りながら、私には何も与えられることが

なかった」

 一種の心身症である、ブラック・スサノオ!

 ・・・しかしこういう事実を置き去りにした歴史が何と多いことか!狂わせてしまえばよい、

とばかり発狂する。はいからさんが通る、を読み過ぎである。
    、、 、、、、、
 ――ああ、おまえがな。

 「だからのう、幼き頃から蛇はいと可愛くてのう、私にいろんな話をしてくれおった。知

恵の実で登場した蛇が唆した話など、あまりの冒涜的な美しさに目を瞠ったほどじゃ」

 「それはどんな話でござりますか?」

 女はやっぱりこういう時に男の話を聞いてあげないといけないのね、とクシちゃんは男心

を見抜きながら、それでいて、スサノオ様は優しそうな人だから、気をつけないと他の女と

ベッド・インしちゃうかも知れないわ、それにしてもスサノオ様って大きそうだわ、きゃ

あ、と妄想派の専売特許たる奥義をいまやクシちゃんはしているのだった。恋というのは妄

想できる故に素晴らしい。クシちゃんはいま宇宙空間を彷徨っている星のように、しずかな

循環を、しずかな呼吸をしているのだった。
   、、、、、、、
 ・・・この描写いるか、と白けた編集者がいるとしても。

 「さてはて、蛇の作り話かも知れぬがな、アダムスキイという奴がおってのう、その肋骨

で、イブアイブっちゅう奴ができたそうな。胎内回帰願望の逆転のようにも見受けられる

が。さて知恵の実っちゅう林檎だかさくらんぼだかの実があってのう、それを絶対の神はけ

して食べてはいけぬぞ、と申したそうな。そこへにょろにょろと蛇がやってきて、喰ええ、

喰ええ、と言ったそうなという話じゃ。そうしてふたりはのうそれをうまかあと博多弁まる

だしで食べてしまい、神さまの眼前に出られなくなってしまったのじゃ。ヌーディストであ

ればよかったものを。それをいぶかしんだ神は、名探偵さながらすぐにピンと察したそうな

。お前ら、あの知恵の身を喰ったなあ、うつけが、おどれが、と北国へ、熱海へと追放され

てしまうという話じゃ。おお、なんと倒錯的な話じゃろうて」

 「スサノオ様ったら、おかしいですわね」

 くすくす、とクシちゃんは口許をおさえて笑った。しかしクシちゃん? おかしいのは、

彼の発言に現代性がとりいれられていることであろう。

 「でもスサノオ様、どうしてふたりは喰べてしまったのでしょうか?」

 「それは蛇が、神より美しかったからじゃて」

 と、ここからスサノオは持論を展開する。

 「はたして昼の耀さだけで、夜の冥さが知れるかのう。まことの美しさは、相対するもの
                                 あざ う
、平等公平なる眼差しなくしてわかるものかのう。蛇の腐れ爛む醜さでさえ、私の眼には晃
   あご
々と飛魚のようじゃった。花の蜜の愛液のごとき粘々のただ中にいる蜂さえものう、その針

なくして、その翅音なくしてはたして美しいもんじゃろうか。どうしてわからんのじゃろう

、火にちょろちょろと水をかける時の美しさ、終焉りのない諍い、揉め事の裏にかくれた、
                        もん
日々の退屈な美しさ。そんなことのわからぬ者は阿呆じゃて」

 不意に自分が責められているように感じたクシちゃんは、しゅンとしてしまう。


                                                  あらし
 「なにか、スサノオ様の御心には萬人には、ええ、あたしごときには窺い知れぬ暴風雨が

あるようでございます。その明眸皓歯のうらに、鬼が、獣が棲んでいるようでござります」
         おに
 「神すらもが鬼畜じゃて」
                           そうはじゅつ
 一体そういうものはどこから産まれてきたのだろう。掻爬術。産婦人科器具、胎盤鉗子や

キュレット、吸引器。人工流産、自然流産を引き起こす薬。鍼灸による堕胎。産院でうまれ

たのか、それとも救急車のなか、あるいは自宅出産か。トイレの中という話も聞く。男と女

が恋をして、性のテクニックとやらを知る。出産の低年齢化も進む。できちゃった婚。彼の
              アウトバック                                       つば
唇はどんどん乾いていく。奥地。口の中はもはや砂漠のように乾燥しきっている。唾液すら
                                           すがた
出てこない。父親・母親の歴史によって生み出された子供という一つの画像。それは押せば

開くような気がする一枚の写真に、するり、と変わる。それは得体の知れない力によって開

かれた感情の吹きだまり。
  なんじ    し
 「汝、美をどう癡るか?」

 「ああ、スサノオ様――」

 そのようにして、スサノオは八岐大蛇の討伐に出掛けるのだった。もちろん、後世の言い

伝えではこの出来事には様々な要素がついてまわる。やれその退治は製鉄の統治、最終的に

蛇のお腹からでてくる剣は国家樹立の比喩。また毎年娘を攫うのは河川の氾濫で、その死は

治水を暗示する。また動物神が人間神に倒されるという話はアンドロメダ型神話の定型であ

り、ようは英雄がぶんぶくちゃがまして怪物をぶっ倒し、とらわれのお姫様を助け出すとい

うもの。しかしなぜか、処女で、そのうえ、素っ裸なのだ。僕はそこにマゾ的なものを見、

いわゆる女性を嬲る、かなり鬱屈した性についての偏見などが凝縮されているように思え

る。処女信仰と、性的なものについて無知であればよいという心理。あくまでも僕の勝手な

意見だが、なぜ処女でなくてはいけないのか、また素っ裸なのかということはどう考えても

悲劇的演出を通り越している。まあなんにせよ、その時代のストーリー・テラーはかなり男

性視点であったわけだ。フロイト博士がどういう解釈をするのか少し知りたい。

 また斐伊川には鱗状砂州があるのでそれが八岐大蛇の原型となったという説もあるし、島

根・鳥取県境にある船通山系を出発点とする日野川、斐伊川、飯梨川、江の川、伯太川など

の川およびその支流を頭が八つある大蛇に見立てた説もあるという。もちろん、クジラ雲よ

ろしく、雲の千変万化のうちから着想したとか、ある日目覚めてそういうイメージが金平糖

のようにつくられた、とも考えられないわけではない。もっと言ってしまえば、千手観音の

ギャグとして八岐大蛇が出来たという説はかなり無理があるが、それでもそこに可能性があ

り、ロマンをうむ要素がある限りは誰にも否定は出来ない。しかも八は古代日本において聖
                          かたち
なる数字である。その連想から、八つの頭の形状になる前の純粋な創造がうまれていてもお

かしくはない。ともあれ、やれ酒桶を用意させて、べろべろに酔っ払ったという話は、この

際、NGとする。それでは習俗、慣習、迷信、呪術から逃れることはできない。そう、アミ

ニズムだ。シャーマニズムだ。僕は兎と亀の話、またアイドルのうさんくさい女性像をこう

みえてやさしく信じているが、あくまでもそれは嘘だとわかっていてどちらがよいのか、悪

いのかという立場の時に発動するものだ。いまのところの解釈において、自然崇拝の象徴、

またその人格化である。そしてこの物語における勧善懲悪ものの悪に据えられてしまった八

俣遠呂智が、ばかみたいにのたくって、酒をのんでへべれけになってしまって切り刻まれま

した、ではあまりにも憫笑を誘うではないか。
          
 そういうわけで、ここは龍ヶ淵! 
               ドラゴン
 そして蛇ではなく、立派な龍!
    ナイフ               なまぐさ    つか                     ためら      つ
 炎の小刀がひらめくとき、腥い風とともに、剣夾、ぱちん手を掛けん男あり。猶予わず長
るぎ                              フーガ
剣を抜けよ、おおスサノオ is バッハの遁走曲。おお、人里離れたこの土地に棲む、古の

魔物ここに極まれり。どんな気持ちが澱んでも、闥をひらきて登場せよ、顎下の宝珠を見せ

びらかし、ふはは、ふはは、奪いたくば掠めとってみるが可い。――その姿をあらわす魁偉
                      かすか ちかい                  げじげじまゆ
な妖魔。ガラガラ蛇の威嚇! その眼に幽な誓を男は視ん、白く抽かれた蚰蜒眉、なれど眼
                     つたへ    げきりん                   ちんけん
光烱々として男は、喉元にあるという伝説、あの逆鱗へと触れむ。おお、男は沈肩、撫肩ひ
               うなだ
ょろりと柳のような男。おお首低れよ、おお、うな垂れよ。領伏せ井の中の蛙よ。御前こそ
                 ほりもの            なきごえ     しゃく
掛軸巻物屏風間のくせに、おお、彫物のくせに。その啼声は雷雲を掬うごとし、晃々の肌、
あらし                                                        うね   つ
暴風雨を呼ばざるがごとし。竜巻となって天空を自在に飛翔す。おおのたうち蜿蜒り、衝と
            さ   ひらり
翳したればあな、颯っと、飜然と、あかるくのこる刺青天地を馳けりて舞うる龍。うねうね
    ちを
とあをき血脈の一閃――男はするりと鰻のように身を躱わしたれば、廻転、斬りては獣の咆
             せめう そうぜつ                                おさ
哮を放ち、殲滅・壊滅・攻撃つ勦絶なる人跡未踏の龍退治。髭を掻掴んで、圧うれば、呪術

のごとくに口走れる。なにが旱魃、なにが雨乞い!
 はる                                          とうろうこうしゅ    
 ?けきことよのう、おぬしの天下三日落城一炊の夢。されど龍は蟷螂鈎手の使い手。眼を
                                                    あぎと
突く如意自在!しかしそれを見越した千里眼意識レベル拡大。なんという動体視力。龍の頤

へ強烈な旋風脚。フルスロットル・ホィッスルの龍の傷手、邪心界雷。いわく喇叭の音、雨
                あかご
の音に変わった。あたらねども嬰児の手を捻るが如くよ、団扇で吹かれているが如くよ。怒
                                                  ケルト
髪天!鬼気――凄まじき形相の龍に、よしよしと頭部を撫でさすれば、いよいよ龍の薬鑵は

沸騰す。たばかるな、塞翁之馬。再起不能。しかし男は髭を手綱のように持ち、ヒヒーン、

も一つおまけに、ウヒヒーン! もはや抵抗のしようがない。おお、竜馬よ。まさしく龍は
       あやつ
馬の如くに操縦られ、狎れて騎るべきもの。龍ヶ淵のかく言い伝えによれば鯉の滝登りによ

る登竜門の如く、龍の馬乗りによって素麺というものが生まれり。流し素麺を、龍ヶ淵と呼
                             かぶりふ    さま      まつり
ぶのはご愛敬。しなやかな鱒の動きの様相。頭掉りたる龍の状態から、祭礼がうまれ、都市

栄えれば、いまや龍ヶ淵素麺の長さ、太さは世界随一! 
               はなし
 ――喉越しが佳い、そんなお談話!

 なにをはぐらかしておる、アア言えばコオ言う! おお! ダンディ・スサノオ。君は決

して、たばかる、ロリコン伯爵ではあるまいぞ。スサノオの神話的演出能力はまさしく神懸

かりのもので、アブないお兄さんでも、ヘンてこりんなオジサンでもないように見せかける

。そしてその時にスサノオは手負いの獣。顔を醜くしてしまいオペラ座の怪人――逆転する

思考回路で、クシちゃんは本当の愛に目覚めたれば、美とは常に公明正大、偏執ですら切り

刻むもの。・・スサノオは八岐大蛇討伐に成功し、めでたしめでたし、勝って官軍、クシちゃ
                                   あまのむらくものつるぎ
んと幸福に暮らすのであった! ところで姉さんに、あやつヤマタちゃんの中から出てきた

、天叢雲剣を捧げたそうな。おしまい、おしまい――




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