火魅子伝について考察してみる その2
さてさて、今日も無粋な突っ込み(笑)をかましていきましょう、『火魅子伝について考察してみる』!このコーナーでは小説版火魅子伝を読んでいて気がついたことなどを勝手に考察してみるコーナーです。また、ここでの解釈および考察は決して舞阪洸先生の火魅子伝世界を否定するものではなく、あくまでも一ファンとして独自の視点で火魅子伝という作品を捉えてみようという試みにすぎません。その点をしっかりとご理解ください。『火魅子伝について考察してみる その2』「大秦国(ローマ)について」火魅子伝中に時折出てくる大秦国、これはいわゆるローマ帝国で実際に歴史上中国まで来ています。中国の歴史書によれば、「桓帝の延憙九年(166年)に大秦国王の安敦が遣わした使者が日南郡に訪れて象牙・犀角・玳瑁を献上した」とあり、ここでの安敦とはローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスのことでローマ帝国の五賢帝と呼ばれる人物の一人です。ローマにおける五賢帝時代と言えばローマ繁栄の時代として有名ですね。まあ実際には皇帝の名をかたった商人という説もありますが来れるという事に間違いはありません。ちなみに同時期中央インドではサータヴァーハナ朝という王朝がローマと海上貿易を行っています。哥羽茉莉や琉度羅丹の出身はきっとこの国でしょう。大秦国へ向かおうとして船が沈没したのだとか。方角が逆な気もしますがきっと長い時間流されたのでしょう。そりゃあ船が苦手になりますね。話を元に戻しましょう。中国のローマとの交易はわりと昔からあったことのようで、後漢でも、「和帝の永元九年(97年)に西域都護の班超が甘英を使者として大秦に派遣した」とあります。しかし、甘英はシリアにまで到達し、地中海を渡って大秦へ赴こうとしたが、パルティア人の船乗りに「大秦までは長ければ二年以上も航海せねばならず、長期間陸地を見ないために心を病んで亡くなる者さえいる」と言われたために大秦に行くことを諦めたらしいとの事。さてこれらの事実から火魅子伝のような天空人の遺産などで微妙に発達した世界なら半島の商人である只深達が大秦国の商品を扱えるのは何も問題がないという事になります。が、しかしその商品ってすごい価値じゃないでしょうか?交易路はおそらく船で東南アジアかインドあたりで取引を行っているのでしょう。陸路ならシルクロードあたり。あるいは只深達は大陸に仕入れられた商品を買って日本で売るといった事をしているのでしょう。そして火魅子伝の中で登場した大秦国製の商品と言えば・・・セーラー服、メイド服、あとランドセルもおい!!ちなみにメイド服は作中ではシルクをふんだんに使った贅沢極まりない一品と紹介されています。セーラー服は化繊なんてことはないでしょうからおそらく絹か最低でも上質の綿でしょう。そうでなければわざわざ輸入しません。てか輸入するよりも作った方が安い気もしますが。大秦国では大量生産でもできるのか、もしかしたら大秦国ではこれらの服は特別な意味を持つ服なのかもしれませんね。王宮や神殿で着られるメイド服にセーラー服・・・微妙にシュールな気もしますが。メイド服はともかくセーラー服は日本人が着てこそ似合うんだ、と言ってみたり。ふと思ったのですがもしかしたら大秦国でも九峪みたいに異世界に飛ばされた不幸な男がいるのかもしれませんね。で、彼が権力者になってセーラー服やメイド服を普及させたとか・・・さて、前回とは違い軽めの考察、しかも火魅子伝にあまり関係のない話でしたが、ここまで書いた事をまとめてみましょう。・只深達の仕入れてきた服は実はかなりの高級品・それを買った兎華乃、香蘭、虎桃達はかなり贅沢をしている・戦争中に何贅沢してるんだよ!その金あったら武器輸入しろってこんな所ですか。一番気になるのは服のお値段ですね。彼女達はその辺を分かって着ているのでしょうか?兎華乃達はその支払いはどうしているのかも気になります。こう書いているとなんか只深達が老人に高い壺を言葉巧みに売りつける詐欺師に見えてきましたw本当に只深の実家はどれほどの財力があるんでしょうね。只深を引き取ったという事は耶麻台国とも交易があり王宮にも出入りしていたという事で、それにも関らず狗根国(天目)とも交易していますし。よほど彼らと交易することは実益が出ることだったんでしょうね。今回の考察は以上です。なんか前回とは大きく違った考察でしたが如何でしたでしょうか?次回はもっとシリアスな話題でいこうと思います。それでは!