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2012年06月05日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
今日4つ目ですね。続きです。


私は結局、最後の頃は過食嘔吐を抱えて隠すことで精一杯になってしまい、
卒論もぐだぐだなものしか仕上げられず、
それでも過去の授業態度だけはよかったので、
卒論発表会で他の研究室の教授陣につるし上げられることもなく
終わることができたんですが、
(データが少なすぎという突っ込みは受けたけど)
あまりのストレスで、発表会の1日で2kg体重が減ったのが印象的でした^^;
おかげでついに40kgを切って、38kgになりました。
ついでに、その日はクラスで打ち上げがあったのですが、
飲みすぎて記憶を吹っ飛ばし、なぜか翌日片耳の聞こえが悪くて
首をかしげながら保健管理センターに行き、
耳鼻科を紹介されて行ってみたところ、鼓膜が破れているということが発覚。
どうも、何か悪いことを言ったらしくて元彼にひっぱたかれたらしいんですが、
覚えてないんですよね~(爆)
まあ、その後結局放置していたらふさがったんですけど^^;
何しろ金がなかったんで。

そんなこんなで、まあ、
卒論発表の頃(11月)にはすでに動物病院に就職が決まっていましたが、
完全に同僚には追い抜かされていた格好でした。
へとへとになっていましたので、
3月の国家試験勉強は最低限のことしかできず。
ただ、卒論発表の直前に次の代がようやく来ることが決まったので、
気がかりだった実験動物たちの行く末についての心配
(誰が世話するの!?ってこと)も解消されたことだけは救いだったかな~。
点数などは知る由もありませんが、多分最低ラインの6割じゃないかな~。


そういうわけで、からまわった感じで卒業しまして、
就職のために札幌に戻り、
動物病院で修行を始めました。
札幌の実家に戻れば、過食嘔吐ができなくなるため、
なんとか抑えられるのではないかという期待から
実家に戻るために札幌の動物病院を探して就職したわけなんですが、
結局、5ヶ月でギブアップしました。

5月くらいに両親が大喧嘩しまして、
初めて母が家を飛び出しまして、
しばらく行方不明になったりという事態もあり、
嘔吐はともかく、過食ができないことから、
外でなんとかするしかなくなり、
結局不自然にお金がなくなっていくことは変わらず、
自助グループにも行けなくなって、
家にはまだインターネットが導入されていなく
気持ちの吐き出しどころもなくなり、
仕事の方では、大きなミスをすることはなかったし、
院長や同僚の先生との関係も悪くなかったけれども、
技術的な面などが思うように進歩せず、
いつか取り返しのつかない失敗をするという恐怖感にさいなまれ、
自分はこの仕事に向いていないと思い、
だけど、辞めるにはあまりにも早すぎるとも思い、
思いにとらわれたまま、半ドンの日など、
街なかをうろうろとさまよって
(放心状態と言いたいけど、ずっとエンドレスで考え事は回っている状態)
本屋で精神科関連の本を立ち読みし、
絶対自分は、摂食障害以外にも、抑うつ状態が強くなっていると確信し、
電話帳でカウンセリングしてくれるところを探して行ってみたり、
メンタルクリニックも1回行ってみて、
そこで少し話してみたところ、涙が止まらなくなって、
その先生に
「だめだめ、すごく疲れてる」
といわれたり、
それやこれやのことから気持ちの面でにっちもさっちもいかなくなって
きゅーっとなった8月の末。

なんだかふと、「死ねばいいか」と思ったんです。
そうしたら、楽になりました。
自殺はそれまでも何度も考えていたんですが、
1人暮らしの間は、あまりにも怖くてできませんでした。
5年生の間、実家と大学を何往復もしたため、猫は実家に預けていたので、
6年生の間には実行してもよかったかもしれないんですが
(5年生の頃は、部屋に残される猫が心配だったんです。
 私の腐乱死体なんか食べたらどうしようと(爆))
なにせ私が行かなければ人が来ないこともある研究室だったので、
誰にも気づかれない可能性が高くて、
死後何日放置されることになるだろうと、
それが怖かったんです。
どのくらい腐敗するのかな~とか考えちゃって。
でも、もう実家なので、とりあえずその頃は弟がいたので、
弟が見つけてくれるだろうと思いました。
まあ、死ねなくても、とにかく、死ぬほど悩んでるんだということを
アピールしたかったんです。
そうじゃないと、辞められないと思いました。
中2の頃からあこがれて、ようやくかなった夢だったし、
6年分親にも学費や仕送り・車などなど、お金の面で苦労もかけましたので。
会社の経営もきつかったようだしね~。

まだリストカットなんて知名度のなかった頃なので、
手首を切るには勇気が要りました。
家族が寝静まった頃を見計らって
感覚を麻痺させようと思ってがっつり父のウィスキーを飲みました。
で、そういえば遺書を書いてないやと思って、
メモを書いていたら強烈に眠くなり、
このままでは切る前に寝てしまうと思って、
あわてて風呂場に行って、メスで手首を切りました。
が、あまり出血しないうちに、眠気に負けて、その場で寝てしまいました。

その後は目論見どおり弟が発見してくれて、
救急車で運ばれたり傷縫われたりしたあと
歩いて帰されまして^^;
それから家族に、過食嘔吐で苦しんでいることと、
仕事が絶対的に向いていないと思われることなど
あらいざらいぶちまけました。

翌日は仕事を休んで、その次の日は定休日だったので、
さらに翌日、出勤して、やめたい旨を伝えました。
ちょうど給料日で、いまどき現金手渡しだったので、
非常に心苦しかったです。
それでなくても、給料をもらうことがつらかったので。

院長は、そんなに悩んでるとは気づかなかった、申し訳なかった
と言ってくれ、いつまで続けるかは自分で決めていいと言ってくれました。
私はこれ以上そこにいるのが迷惑になると思っていたので、
あと数日しかない状態だったにもかかわらず、8月末を希望し、
院長はそれを了承してくれました。
その上で、気持ちが変わったらまた戻っておいでとまで言ってくれました。
ホントに、ありがたいやら申し訳ないやら、でした。
その一言があったがゆえに、
今でもうちの動物たちの通院先は、その病院です。
その後8年位してから動物病院には復帰することにはなるけれど、
動物病院で働きながらも、猫の病気はそこで診てもらったという^^;
だって、2つ目の病院の院長、信用できなかったんだもん(汗)

で、退職した翌日の9月1日から、
まずは母に連れられて精神科の門を叩きました。
そこが国立大学病院だったのは、単に当時の家から一番近かったからです^^;
で、そのときは妙にテンションが高くて、
多分最初に問診してくれたのは、高校の同期だったらしいんですが^^;
(同じクラスになったことがないんで、私はよく知らない人ですが)
とにかくしゃべりまくったのを覚えてます。
その後、教授か助教授の先生の診察を受けましたが、
ずらっと見学の医学生がいる前で、やっぱり高揚してべらべらしゃべりました^^;

だけど、その後に主治医が決まって、
翌週あたりに行く頃には、テンションは下がっていて、
「でも、結局、病気じゃないって言われる気がする」
とかって言ったんだったかな?
そうしたら、主治医は
「いや、病気だよ」
と言ってくれました。

変かもしれませんが、
その言葉に私はものすごく救われたんです。

ずっと、これは病気ではない、単なる甘えなのだと
逃げなのだと、
気の持ちようでなんとでもなる、
なんとでもしなければならないと、
そういった考えから抜けられずにいました。

本で読んで、おそらくは該当すると思うのだけど、
かつて40度発熱していても、薬も出してもらえなかった経験などから、
確信はもてなかった。
だから、とにかくアピールしまくったんですね。
自分はおかしいんだと。
普通ではないんだと。

病気なら、自分のせいじゃないじゃない。
病気なら、苦しくて当たり前じゃない。
そして、病気なら、何らかの手を打てるじゃない。
誰かの助けを借りてもいいじゃない。
ひとりで苦しまなくてもいいじゃない。

うん、
楽になりたかったんです。

その後、
1ヶ月くらいかな?
あまり記憶がありません。
1週間に1回、通院してたとは思うんだけど。
まだパキシルはなかったな~。
薬はルボックスかトフラニールだったと思うな。
とにかくぼーっとしていました。

それから、心理検査を提案されて受けてみたところ、
もうあんまり自殺することを考えていなかったにもかかわらず、
「今にも自殺しそう。10段階中の9です」という診断が出て、
例外的にそのときの心理士さんがカウンセリングを申し出てくれて
10年間にわたる週1回のカウンセリングがスタートしたわけです。
主治医の判断で終了するときも、心理士さん的にはまだ心配とのことで、
再度同じ心理検査を受けたところ、
「自殺しそうな数値は、10段階中の7」まではよくなったらしいです。

同時に作業療法も提案されて、行ってみたら、
作業療法士さんがめちゃくちゃ面白い人で、
毎日のように行ったりしていました。
その人もフィギュアスケートも好きな人で、
長野五輪後にファンになった田村君の話なんかもできて、
私がフィギュアにのめりこむきっかけにもなりました。
1年くらい通ったのかな?
突然その作業療法士さんが転勤になって、終了しちゃいましたが^^;



私の主訴は摂食障害だけど、
それに至るまでの経緯のなかに
圧倒的な自信喪失状態だとか
強い抑うつ状態なんかもあるのです。
うつ病と言われたことは実はないのだけど、
社会不安障害とかは言われたかな?
統合失調など、器質的な病気ではないということは言われました。
まあ、あまり病名自体には興味ないのです。
摂食障害から抑うつになっているというより、
抑うつが強さがベースにあって、
そこに摂食障害も加わっていると考えたほうが正しい気がします。

もっとも、もとの主治医には
「もう10年以上だよ~。いい加減にしたいよね」
的なことは言われたことがありました^^;

ただ、一番ひどい状態だったときと今とでは
やっぱり全然状態が違うので、
新しい主治医は、あまり危機感みたいなものは感じてなさそうに思いました。
まあ、まだ2回しかお会いしてませんしね・・・。


直接薬で治る病気ではないので、
ベースにある抑うつだとか自信喪失状態だとか、
薬はそれの是正に使っているだけなんだけど、
あのときの状態に戻るのはやっぱりとてもいやなので。
親にももうあんまり精神科必要ないんじゃないかとか言われてはいますけども^^;
何より内面を吐き出せる場所を確保しておきたい気持ちが強いので、
まだしばらくは通うことになると思います。





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最終更新日  2012年06月05日 23時03分11秒
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