|
|
|
|
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
ひまじんさろん [全2307件]
![]() 昨日まで、金環食を見ようなんて思っていなかった。 太陽と地球(自分の位置)の間に月が入ると誰でも金環食を見ることができる。そんなのは、自分の位置をずらせばいいだけではないか…と思っていたら、平安時代以来だって…。 朝になったらみごとな快晴、慌てて観測の用意をした。 たしか、小学生の頃見たような記憶が微かにのこっている。あのときは、全員がセルロイドの下敷きをもって校庭で観察したと思う。あれは皆既日食だったのだろうか。 今になったら下敷きで見たらダメということだ。眼が悪くなったという生徒はいなかったような気がする。 今度見ることができるのは、北海道で30年後…、90歳を越えている。それまで生きているだろうか。もし、生きていたとしても北海道まで見に行く元気がのこっていないだろうなぁ。 ![]() ![]()
![]() 五月は緑が美しい季節。 雨上がりに森の中にはいると、さまざまな山野草が美しい表情をみせてくれる。 だから、雨があがるとき、その後の澄みきった景色と出あえることに遠足前の子どもに戻ったようなうきうきした気分になる。 ぼくは、品種改良を重ねて栽培されている花々を観て美しいとは感じても、こころ惹かれるという感情はおきない。 女性にも、生まれつきの美人とか、化粧上手の人とかいるが、それだけで惹かれるということはない(少しはつよがりもはいっているのだが…)。 この歳になったせいか、女性を「美しい」と感じる基準が、表から内部に移ってきているようだ。 ところで、雨季の花ではないが、どんな女性にも、思わず「美しい!」と感じる季節がある。 人々はどんなとき、それを感じるのだろうか。 働いているとき 恋をしているとき 結婚式のとき 妊娠しているとき さまざにあげられようが、ぼくは母親が赤ちゃんを抱いているときにそれを感じる。 その昔、妻が出産をして、病院のベッドでわが子を抱いている姿を初めて認めたときには、神々しさを感じたものだ。一瞬だけだが―。 いや、僕だけでなく、友人にそのことを聞いてみたら、似たような答えが返ってきた。 「あの時の妻はまぼろしだったのか」と、ふたりで空をあおいだ…。 では、では子どもを産んだことのない女性は、その美しさを生涯得られないのかというと、それはまたちょっと違うと思う。 “子どもを抱く”という姿は、愛おしいものを慈しむという、その意識を象徴的にあらわしているから、美しく見えるのでないかと思うのだ。 子どもでなく、何かを守り育てようとしている姿が“美しい”“愛おしい”と感じられるよう、男にはインプットされている。 だから自然界の摂理としても、動物の赤ちゃんは守ってあげたくなるように“愛おしく”感じるように産まれてくるのだろう。 ![]()
![]() 大漁 金子みすゞ 朝焼小焼だ 大漁だ 大羽鰛の 大漁だ。 浜は祭の ようだけれど 海のなかでは 何万の 鰛(いわし)のとむらい するだろう。 心のなかに重いしこりのようなものがあって、ふと、こんな詩を口ずさんで見たくなりました。 金子みすゞの詩はカタルシスを果たしてくれるようです。 昨日、利用者として通っていた四〇代の女性が「もう辞めます。私はもうここには来ないから!」と言って飛び出して行きました。たぶん本当にもう来ないのでしょう。 そのことが、どうにも重く胸のなかにしこりとして残っているのです。 「心を病んでいる」といっても、僕のところのメンバーの大部分はハードな仕事が出来ないだけで、日常的には「健常者」とそう変わるわけではありません。 それどころか、繊細すぎたり、部分的にはするどい感覚をもっていたり、優しすぎるがゆえに社会的プレッシャーに晒されすぎて、結果として心を病むという状態になってしまったということです。 僕の事業所では、自然の中での作業が主体です。秋からは森林整備をしながらキノコを栽培したりしていますが、春から夏にかけては10種類ほどの野菜を育てて出荷しています。 森のなかで、太陽の下で汗をかき、植物の成長を見守り育てながら過ごすうちに明るく元気を取り戻していく人が多いのです。 ところがその女性だけは野外に出たがらなかったのです。それで食事作りの手伝いをさせていたのですが、ある時から食材がたびたび無くなることに気づいたのです。 最初は半信半疑ながら、その筋から照会してみたらスーパーなどでも万引きをして数回捕まっていました。 それで一般論として、万引きなど犯罪行為が家族の人生までも誤せる畏れがあることを諭した後、職場の配置換えを言い渡したときに、先のようにことになったわけです。 いえ、彼女が来なくなることはしかたがないというより、正直、ほっとする部分も無くはありません。 彼女からは、夫とは離婚して、とくに精神的に不安定になったと聞いていますがそれだけではないようです。 家にはまもなく大人になる二人の子供がいて、上の子は今年就職したばかり、下の女の子はまだ高校生。その子が一時は夜のバイトでクラブ勤めをしていたのを止めさせたばかり…。 二人とも素直すぎるほどいい子で、母親のいうことをよく聞きます。上の子も貰った給料の半分は母親に渡すといいます。女の子は家の生活が苦しいといえば夜のバイトまでする子です。 しかし、その母親はときどきは携帯の出会い系で、寂しさを埋める相手を探したりするのです。また家に籠もると再発しないかと心配されます。 子供たちに負の遺産を引き継げさせたくない、ということだけを考えてこれまで対処してきたので、母親はともかく子供たちのことを考えると、結果として手放したことが気持ちのしこりとなって重いのです。 そんななかで、今日もこころんの日常はつづきます。 ほとんどのメンバーは明るく真面目に仕事をしています。くったくなく笑い、軽い冗談をいいあい、仲良く仕事をして元気を取り戻してゆく彼らと接すると、僕のほうが癒されます。 鰛(いわし)は、中国では塩魚という意味の漢字です。今では鰯のほうがなじみがあります。 金子みすゞは山口県生まれの童謡詩人。次々にユニークな作品を発表し、西條八十には「若い童謡詩人の巨星」と期待されました。 しかし、不幸な結婚でした。夫から詩作を禁じられ、一切の文通を差し止められました。みすゞは写真館で最後の写真をとり、数通の遺書をしたため、カルモチンをのんで命を絶ちました。二十六歳でした。 結婚を契機につくられる家庭のかたちが人の運命を大きく左右し、人を幸せにもし、不幸にもする。先の、彼女の子供たちには母親がどうあろうとも、強くたくましく生きて欲しいと願うしかありません。 ![]()
![]() 長寿命と明るさ電気の消費量が少ないということから、世の中の明かりのほとんどは蛍光灯が占め、そのうえさらにLEDが照明に使われ出したことから蛍光灯よりさらに省エネ照明が明かりの世界を占めるようになってきた。 わが家の明かりも、現在まで白熱灯だった部分はすべてLED電球に取り替えた。とにかく電力使用量が10分の1以下になり電球の寿命も格段に長くなるというからつい欲に目がくらんでしまったというところ。 しかし変えてみて、何より思うのは光が直線的で冷めたい。 白熱灯のほんわかとした暖かい光のやわらかさ、光の下にはいるときのほっとするやすらぎにはほど遠い。 しかし、白熱灯の欠点はやはり電気代、そして寿命が短いことだ。美人薄命というに似ている。そういえば便所の100ワット(ムダな明るさ)という人もブログ仲間にいたな。 週末に、夜の10時くらいに友人から電話があった。美人のいる店で飲んでいるから出てこいという。美人がいるといえば僕がイソイソと出かけると思っている、浅はかな奴だ。でも、友達の誘いを無碍に断れないから出かけた。 出がけに玄関先につけてある、人を感知して照らす電気がプツリと切れた。これもLEDに変えろと言う合図だろう。 店に入ると、友人はカウンターで柳原可奈子のようなママと楽しそうにしている。僕と美的感覚がちがうようだ。 「遅く呼び出して悪かったよ。しかしたまには美人とのみたいだろ」 友人と同じ、ウイスキーのロックを頼んだ。 ママは中国系女性で友人のお気に入りらしい。僕をダシにつかっての下心はおのずと見えてしまう。 僕は出がけに電球が切れたが、これは不吉なことの起きる前兆だと思うから今日は早く帰ると煙幕をはった。 「そういえば、俺ん家のトイレも切れたから変えたばかりだよ。LEDにしたけれど、あれの光は落ち着かないな」と、友人は言った。 「そう? わたしの部屋ははそんなに切れたことがないわよ。中国に居たときなんて電気はすぐ切れたわよ。日本製を使うようになって切れたことないよ」と、ママはいう。 最近は日本でもほとんどMade in Chine だから、日本製とは関係ないと思うが黙っておいた。 友人は言った。「でも、ときどき暗くなるっていいことだよ。ほら、昔ニューヨークで大停電があった翌年の出生率が格段に増えたって話、この店もときどき暗闇にするってのもサービスとしていいんじゃないか」 もうすでに彼の下心は臨戦態勢に入っている。 そのとき隅にいた店のマスターが遠慮がちに言葉を挟んできた。いつもはカウンター陰のような存在でとても無口な人だ。 「電球のことですけど、ちょっといいですか」 「は、はい」 私たち3人が揃って頷いていると、まじめ顔をした彼が言う。 「電流ってのは流って書くくらいで、電気の流れなんですよ。ところがしゅっちゅう球が切れるようになったってことは、人の道から外れて、電気を流しっぱなしの生活をするようになったってことなんですよ。そんなだから原発なんてもの造らないと電気が足りなくなってしまうんです。みんな太陽の下の生活を大切にすべきなんですよ。いやあ、我々もこんなに遅くまで仕事してちゃあいけないんでしょうよね」 その話を聞いて、僕たちは思わずうつむいてしまった。なるべく夜遊びしないように気をつけます、はい。 「いいの、いいの。電気が切れたら切れたでいいムードになるでしよ」とママが慌ててとりつくろう。 「ワタシは暗いくらいが好き、ねっそうでしょ」と友人に目配せをしている。 電気が足りなくなるのは原発を停めたせいではなく、僕たちの生活そのものに原因があるわけである。地球温暖化が進むから、太陽光だ、ダムだ、風力だ、クリーンエネルギーを推進しようなどと大慌てだが、ようは昼夜の摂理に添ったた生活をすればいいだけのことなのだ。 余分なものをつくらなければ、それだけまたつくる必要などなくなる。 美人などにつられて夜遊びしなければいいだけのことなのだ。 ところでママ、こんどは昼間遊びましょ。太陽の下で、春の若草のうえで…、いいと思うよ。 えっ、何って? ピクニックに決まってるじゃない。 ![]() ![]() 蝶クリックを!
![]() アリスさまご一行を無事に群馬まで送り届けて、ようやく平和な…、いや、平穏な日常に戻りつつあります。 先日は石井ゆかりさんの「野草料理」の食事会があり参加してきました。野草といっても、ほんと僕らの家の周辺にある雑草と呼ばれているようなもので、なんだかヤギやウサギなど草食動物が食べているようなものを調理してあるんですね。 しかし、食べるうち本当に身体が温かくなってくる小さな不思議体験でした。 ちなみにゆかりさんは、こころんのサービス管理者として、メンバーの健康相談もしてくれています。 ということで、今日はわがこころんメンバーを連れて僕の秘密の花園(元・森樹の森)に出かけてみました。 ![]() 花園などというとウソっぽく聞こえるでしょう。しかし、今は一面に二輪草が咲き始めていて、花園そのものなんです。そのなかにはカタクリも花盛り…。ちなみに、二輪草もカタクリもおいしい食材になります。(かわいそうで食べられませんが…) ![]() ふきのとうはもう大きくなりすぎていましたが、タラの芽はビクに半分ほど、ヨモギやウコギ、山わさびもたくさん採取してきました。 ![]() え~と、そういう話はまたの機会にして、この間書き出したギリシャ神話の続きを書いてしまわなければなりません。 これを書き終わったら、僕の個人誌『旬感』の執筆・編集に入りますので、またしばらくまとまった記事は書けそうにありません。あしからず…。 ![]() では、前回のつづき。 プロメテウスが人間にへんな知恵を授けたものだから、独裁者ゼウスが、おまえら皆殺しにしてやるからな、と凄い怒りようだというところまででしたね。 プロメテウスは、しかし静かに言いました。 「それは覚悟の上です。だけども、ひとつだけあんたに忠告したい。やがてこのオリンポスに途方もなくでっかい巨人たちが、世界を、わがものにせんと攻めてくる。そんな時、神と人間の間に生まれた子どもが、神々の助けになって働くでしょう。そのために火の使い方も教えたほうがいいではないですか」 怒りに燃えるゼウスは、そんな事、聞いちゃぁいません。 「しかし規則は規則、あんたは罪の報いをうけるべきだ。永遠にコーカサスの山に縛りつけてやるからな!」 こうしてプロメテウスはコーカサスの山に縛られ、ゼウスの放った大鷲に、毎日毎日腹を食い破られる責めを受けることになったのです。以来コーカサス山には、誰も近づかなくなりました。 え~と、なんだか残酷な話になってしまいましたがギリシャ神話は教訓が過ぎて、どうも残酷な結末を用意しています。 ひとっ飛びして、そのひとつがパンドラの箱ですが、これもパンドラが箱を開けると、病、貧困、嫉妬、怨恨、復讐などあらゆる人間の災いが飛び出してしまうという話です。 フクシマでの原発事故もパンドラの箱を思わせるものです。 想定外(失笑)の大惨事に“パンドラがあわてて蓋を閉めると”最後まで残ったのは「希望」だったと、なっているようなのですが、実は文献によっては「前兆」だけが中に閉じ込められた、との記載もあるのです。 「えぇー!話が違うじゃーん!なぁ~んだぁ…」と思わないで下さい。 もし、この「前兆」が外に飛び出していたら?! 果たして人間は、その生涯に起こる不幸のすべてを正確に知ることとなる。そうなると人間はどうなるか? …そうです。「希望」を抱くことができなくなり、絶望しか感じられなくなるかも知れません。 人間は災いから生き残っていくことは可能だけれど、「希望」なしに生きることはできないとはよく言われることです。 パンドラは好奇心を与えられたので、金の箱の中を見たくなりました。 そしてついに開けてしまったのですが、「前兆」までもが残らず外に飛び出ていたら…、人間は「希望」を失い、滅びていたかも知れませんよね。 それにしてもフクシマ4号機のことなどまさに「前兆」ですが、さて、知らないでおいたほうが良いのでしょうか。 ![]()
![]() 小林とむぼさんの人形展も今日、もう1時間ほどで終了になります。 この間、さまざまな出会いが生まれとむぼさんの復帰に勇気や希望が生まれたと思います。来場者の感想のメモを読むと、来場者もまたこもごもにさまざまな感慨や勇気をもらえたというようなことを書いてあります。 ワークショップではとむぼさんの指導で粘土で自分の好きなものを形作ってみました。それぞれの手先からさまざまな人形らしき(笑)ものが生まれました。 そのときぼんやりとギリシャ神話のことを思い出しました。 日本の神話もまともに読むと、エロスというよりだいぶ卑猥な作りになって楽しませてくれますが、ギリシャ神話はいかにも幼稚といおうか、子供むけに出来ています。 まあ、その突っ込みどころの多さがひとつの魅力でもありましょう。 とんぼさんの指導のもと、粘土をこねながら、神さまもこんなふうにして人間をつくったんだろうか、などと空想していました。 そこでひとつ、子供の読まなかった本棚からギリシャ神話をひっぱりだしてみました。そそれを全部写すのも脳がないので、簡単に要約してみましょう。 * 今は昔のその昔。まだまだ昔のずっと前。まだ人間はいませんでした。 ギリシャの広大な天空のどこかに神の国がありました。 そこにオリンポスという山があり、世界を治める神々が住んでいたのだそうです。 ある時、ゼウスという一番偉い神さまが下界を眺めておりました。 …それで、何を思ったのか、まったく気まぐれに、巨人プロメテウスを呼びつけたのです。彼は賢い巨人でした。まだ、とむぼさんがいないはるか昔のことです。 「おまえに、ひとつ頼みがあんだけども。粘土で神々の姿に似た、人間というものをつくってくれないか。できたらワシが、息吹き込んで、命を与えてやるからさ」 プロメテウスはいいつけ通り、粘土をこねて人間をつくり、ゼウスの所へ持っていきました。 ゼウスは食事中で、今しがた餃子を食べ終わったばかりだったのです。 「おい、よく出来てるじゃねえか」と言って息を吹きかけたのです。 「ふっう~っ!」 “うっぷ、臭い! にんにくがぁー……”プロメテウスは顔をしかめました。 「よし!これでいい」 ゼウスは満足した顔で、プロメテウスに言いました。 こうして“人間”は誕生したのですから、始めのうちはそりゃあ臭くてみじめな生き物でした。 だって、姿こそ神々に似ていても、体を包む毛皮もなけりゃ、猛獣のような力もありません。それににんにく臭いし…(冗談)。 それに何も武器らしいものがありません。野獣におびえながら、ほら穴にこそこそ隠れて、草や弱い動物を捕まえて生で食べて暮らしていくのですから。 まるはだか同然の人間を見てかわいそうに思ったのか、人のいいプロメテウスは人間にいろんな事を教えました。 「こうやって、石で道具を作って、そんで大地ば耕せばいい。したら、種を蒔いて作物を作れば秋には収穫できる。家畜も飼ったほうがいい。言葉は、あ、い、う、え、お。A、B、C。いろはにほへと、48手」 けれども何かが足りない…う~むぅ。 「そうだっ! 火だ! 火さえあればさ…」 プロメテウスは、太陽の神ヘリオスを見ながら、いつもため息をついていました。 ヘリオスは、金の馬車に乗り、炎を吹きながらヤケドもしないで、天空を駆けて廻っていたからです。 「人間に火をやれば、猛獣にも食われなくてすむのにな」 しかし、ゼウスはいいました。 「あっ、火だけはだめだ。あれは神専用の宝物だから、人間にやったらロクなことにならない」 でもプロメテウスはお人好し(あれ、お神よしっていうのかな)、「ういきょう」の茎を持って、ヘリオスの馬車が近づいて来たときにその茎で車輪を触ると、すぐに火は燃え移りました。 プロメテウスはその火を人間たちに与え、火の使い方を教えました。 「こうやって、肉をあぶる。パンも焼く。米で御飯炊ける。青銅や鉄をとかして、矢尻だの鍬も作れる」 「ほれ、元の火がなくなったら木と木を、こうやって擦り合わせれば、火がおこる。お前たちも寒いときにはお互いに擦り合えば暖かくなっていい」と、余計な事まで教えてしまいました。 ところが、それをアラタメウスに見つかってしまいました。 「ゼ、ゼウス様、あれを見て下さい!」 ゼウスは地上から立ち昇る煙を見て、プロメテウスが自分の命令にそむいたことを知ったのです。 独裁者は短気ですから、凄い怒りようです。 「やいやぁ、よっくも神々の宝を盗んで、なんで人間どもに与えたんだー! おまえは地獄にぶち込んでよ、虫けらみたいな人間どもは、残らずみな殺しにしてしまうからな!」 と、興が乗ってきたところですが、そろそろ人形展のかたづけにいかなくてはなりません。このつづきは、また後日…。 ![]()
![]() 今日、伊那図書館でやっている小林とむぼ人形展「アリス…」で思いがけない出会いがあった。 図書館長が一緒においしい蕎麦屋に行こうと誘ってくれたので、会場で待ち合わせときのことだ。とむぼさんが、僕の顔を見るなり熱心に人形を見ていた70歳を幾分越えたくらいの女性をひっぱってきて、「この人がこころんのmskさんです……」と紹介し始めた。 僕の前にひきだされたその老女は顔をマジマジと見て言った。 「mskクン…、わたしYTの…、覚えていますか」 僕も「ああ、山田先生の…」と思わず絶句した。 そうなのだ、この人は僕が中学生の頃、「社会科」というより「社会性」を教わった山田T先生の奥さんだ。 僕もいい歳になるが、あの美しく可愛かった奥さんも、すっかりいいおばあちゃんになって、歳月の流れを感じざるを得なかった。 実は、この山田先生は中学生の頃、僕の大好きな先生だった。というのは個人的に勉強の補修をしてくれたり、そしてなんと子供だった僕にワルイこともこっそり教えてくれた先生だからだ。 どんなワルイコトだったかはだいぶ前にエッセーとして書いたので、今日はそれを紹介しよう。 ![]() 「不良少年だった頃」 男の子にとって中学時代という年代は、不良に憧れる時期かも知れない。 村の中学校で社会科を教えていたY先生が近所の寺に下宿をしていた。 当時、Y先生はまだ新婚だった。奥さんは美しく可愛い人で、勉強を教えてもらう名目で訪ねていくと抹茶を入れ薄く切った羊羹を出してくれた。 僕も手みやげに、家からこっそりと米や卵を持って先生のところに遊びに行った。 もちろん、先生よりお茶…、いや、羊羹。いえ、お茶を入れてくれるときのしとやかな奥さんの手つきが好きだったのだと思う。 僕の家は比較的大きな農家だったので、米などの倉、衣類や貴重品などの倉、味噌や醤油などの倉があり、米は米蔵に備蓄されていて、鶏も数十羽を飼っていたので、少しぐらい持ちだしても家族から気づかれることはなかった。 先生に勉強を教わるのが口実だったが、その後、先生がもっていた空気銃で遊ばせてくれるのが何よりの楽しみだった。 昭和30年後半、まだ銃規制が緩やかだった時代のことだ。 先生はこともあろうに、ちゃんと勉強が進んだと認めたときには寺の庭で銃を撃たしてくれた。標的は空き缶だった。 現代にそんなことをする教師がいたら社会的大問題となったことだろうが、当時は誰が見ても特別注意することもなかった。スズメなどは害鳥と見なされていた時代だ。 たびたび空き缶で練習すると、つぎは生き物を撃ちたくなった。しかし、先生はそれだけは許してくれなかった。 僕はどうしても生き物を撃ってみたい衝動にかられ、ある時、悪心がムクムクと芽生えた。 銃の在処は知っていた。ある日、Y先生の留守をみはからい寺を訪ねた。 留守居をしていた奥さんに「先生から許可をとってあります。父が空気銃をお借りすることになっていますから…」と嘘をつき、銃を持ちだした。 鉛の弾は町の金物店に出かけ、この日のために買っておいた。用意を調えると、ウキウキと山中に出かけた。 里山にはたくさん鳥がいる。罠などで鳥を捕まえて、囲炉裏で焼いて食べるのは普通の出来事だったので、僕もそれにならって林の中に入った。 それまでだいぶ習っていたので、腕には少々自信があった。 木の枝に止まる鳥に近づき、胸の鼓動を沈めて狙い定めると引き金を引いた。 鳥に弾が当たると、木から転がり落ちて、バタバタと跳ねる鳥に駆け寄った。小鳥の苦しむ姿に始めは胸がグリグリ痛んだ。しかし、3羽、4羽となるとだんだん射撃を楽しむ気分になってきた。 狂人…、いや普通の人間でも銃を持たせると危ないと思うのは、このようなことだろう。最初は罪の意識があってもしだいにそれが平気になってゆく。 この頃の大人は、動物を平気で殺せた。 兎や鶏、ときには山羊を自家消費で食べるときは自分たちが殺すのがあたり前だった。 僕の子供の頃、自分が可愛がっていた兎や山羊が殺されるのが嫌で抵抗をした。祭が近づき、兎を殺すという朝、抱いて学校に連れて行ったこともある。 儚い抵抗も1,2回のことだ。兎も料理されて鍋に入ってしまえば、悲しかったことも脇により、肉にがぶりついた。 しっかり射撃を楽しみ、仕留めた鳥をもって寺に帰ると、はたせるかな玄関にY先生の靴があった。 (しまった、先生が帰っている。) しかたがない。叱られるのを覚悟で、恐る恐るしずかに家の中に入った。 しかしどことなく気配はあるのに先生の姿は見えなかった。 どうやら奧の方に気配がする。微かになにかの音が聞こえるようだ。 耳を澄ますと、うめき声のような甘えた声のような不思議な声が聞こえてきた。よく理解できないままに、とっさにそこに僕が居てはいけないと感じを直感し、空気銃をテーブルの上に置き、ぬき足さし足でその場を立ち去った。 次の日に学校に行くと、廊下でT先生とバッタリ顔を合わせた。小さな学校なので会う確率はいやでも高いからしかたがないが、その日だけは会いたくなかった。 Y先生は僕を認めると、ハッーっと拳骨に息を吹きかける仕草をした。そして、ニヤリと笑い立ち去った。おとがめはなく、その後も何も言わなかった。 少し自慢すると、Y先生から教わる社会科だけは大好きで、その成績はかなり良かった。 通知票を見た親が、英語や数学がこのくらいできればどんな学校でも行けるのに…、と嘆いたが、僕は好きな先生の教科しか勉強しない主義だった、というのは負け惜しみだが…。 数年前に、新聞の訃報覧にそのY先生の名前があった。 斎場が近かったので葬式に参列した。美しかった奥さんはすっかり年老いていたが、「あら、mskクン、懐かしいわね。まだ昔の面影があるわね」と覚えていてくれた。 ちょっとあの頃の出来事が甦った。 奧のほうで聞こえた声、あれは……、いやいや、ただの腹痛かなにかの病気だったのかも知れない。 僕が逃げ出したのは、小心者で卑怯なだけだったのだろう。おかげで、ホンモノの不良にはなり損ねたが…。 ![]() 山田先生の奥様、まさかこれを読まないでしょうねぇ。
![]() 桜花爛漫の頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。(^^;) 新施設のオープンに大勢の知人縁者、そしてこころんとつながる芸人たちが来てくれました。ありがとう! ![]() ![]() これにあわせて、伊那図書館では小林とむぼさんの「アリス…永遠の少女展」が行われています。 地元の新聞やテレビでもさまざまな形で紹介されていることもあり、図書館にも大勢の方が足を運んで、とむぼさんと交流をされているようで、感想文にいろいろなメモ書きが残されていてそれを読むのも楽しみです。 ![]() 今夜はまつり工房の太鼓の稽古日なので、その見学を兼ねて表敬訪問をしてきました。まつり工房も今度の企画にさまざまにご協力をしていただき、もう足を向けて寝られません。もちろんまつり工房以外のさまざまな人も協力してくれましたので、丸まって寝るしかありません。といっても、僕は寝相が悪いので朝になると…(-_-;)。 ![]() ということで、それらの一部だけですがご覧ください。 ![]() ![]() ![]() そうそう、こころんの新施設も見ていただかなくては…。 ![]() ![]() ![]() ![]() ということで、にぎやかにスタートしました。 いつの間にか、周辺は桜が満開になっています。 ![]() ![]()
![]() おかげさまで障がい者就労支援事業所「こころん」の新しい建物が完成しました。 そこでは、メンバーたちによる手打ちそばや健康ジュースなどが提供できる接客施設やこころん農園でできた野菜やキノコが加工できる部屋などもあります。 厨房機器も、監修したお役所の担当者が「このまま中華料理店ができるね」というような立派なものが揃って、さて使いこなせるか…。 つきましては竣工記念をかねて、さまざまなイベントを計画しています。 伊那図書館と協同で小林とむぼさんの復帰記念となる作品展も開催されます。 4月13日には、こころんの新施設でまつり工房メンバーの演奏や、手打ちそばの無料提供なども予定されています。 ということで、4月13日にご都合のつく人はお出かけください。宿泊希望であれば、あらかじめメールでご連絡ください。たぶん花見時になりますから春爛漫! と、浮かれてばかりいられないニュースです! これは必ず見てください。 そして、まだ気づいていない人には転送してください。 「フクシマのウソ」ZDF という映像で、ドイツの権威ある調査機関が調べた内容をドイツで全国放映したものです。日本の電力会社と原子力村といわれるグループの日本国民ならず人類への犯罪的行為が明らかにされています。 今も、原発政策が基本的に正しいと思っている人は、ぜひ見て欲しい。 見ても考えが変わらなかったというのであれば、その理由をコメントに書いて、僕を納得させて欲しい。 ぜひお願いします。 「フクシマのウソ」ZDF ![]()
![]() 人間の世界は割り切れないって、つくづく思う。 今日のニュースで、山口県光市母子殺害事件で殺人や強 姦(ごうかん)致死などの罪に問われた元少年(31)の上告が棄却されて死刑が確定した。 犯行時年齢18歳1カ月での死刑確定は、最高裁が把握する1966年以降の少年事件で最年少ということだ。 僕も、犯人が死刑になったとしても何ら同情の余地のないほど残忍な犯行だったと思う。仮に自分の家族が、このような殺され方をしたら本村さんならずともどうしたら仇討ちができるかと考える。少年を軽微な刑にして、なるべく早く社会に出して自分の手での復讐を計画するかも知れない、と考えるだろう。 しかし、僕はこの事件では第三者であり家族ではない。だから、多少なりとも客観的に考えるゆとりをもっている。 日本の刑法の原則によって、冷静に判断すれば死刑判決は行き過ぎである。 それが死刑まで行き着いたのは、ひとえに本村さんのこれまでの熱意と行動が築き上げた結果だと思う。そういうことでは、江戸時代ならぬ現代にあって、本村さんは見事に仇討ちを果たしたといえる。 しかし、本村さん自身も語っているように、少年を死刑にできたとしても勝者になれたわけではなく、今度は本村さんが国家による「殺人」に手を貸した立場として、背負い続けなければならない咎を負ったことになる。 死はたしかに重大なことだろうが、生きて呵責に苛まれながら罪のつぐないをすることのほうが、より苦しいこともある。 現に日本では、生きることの苦しさに耐えられず「自殺」というラクな道を選ぶ人が、毎年3万人以上もいる。必ずしも「死」が与えられる最大の苦しみとはいえないのである。 今日は2組の支援会議をしてきた。 そのひとりは、精神系バツいち40代の女性。今年養護学校を卒業する子供と高校生の娘がいる。彼女自身、日に2、3時間働くのがやっとだ。 内訳は避けるが、彼女の家庭には月に18万円以上の収入がある。ほとんどが公的な援助によるものだ。しかし彼女は(将来が不安だから)一般就労してもっと働きたいという。 息子も今春からの勤務が決まった。娘はまだ16歳、高校生だがバイトで7万も稼いで家計を助けている。 しかし、最近その娘が通常のバイトのほかクラブ(酒色提供)で働いていたことが発覚。学校側の素早い対応で、そのつとめは辞めたが一度覚えた化粧はなかなか止められないらしい。 母親が、生活の厳しさやグチばかり毎日こぼすので、ついつい始めたアルバイトという認識だったらしい。 仮に、娘の給料までいれれば、25、6万円になり、下手な家庭よりらくに暮らせるはずだ。いったいどこに消えているのだ。 母親はまだ色気ムンムン。離婚して1年ほどだが、いい人をみつけて結婚したいとのたまう。これだけ税金を使わせて、なにをノーテンキなことを。といっても蛙のツラに…。 といった内容の後は、月5万円程度でやりくりしている独身(50代)男性の支援会議。 教員家庭に育った彼はとことんお人好し。仕事もまじめだが、ととにかく不器用。何をやっても仕事が遅い、出来ない。生活力が皆無。 親が亡くなったあと、生活費を切り詰めるため、夜は8時に寝て朝は4時には起きて明るくなるのを待っているという毎日を送っている。 この両者の違いは、福祉のお世話になっている年数のちがい。彼は、なるべく福祉の世話になりたくないと、50年以上自力でやってきた。彼女は若い頃から最大限福祉の世話にどっぷり浸かりながら暮らしてきた。 それでも、周囲は同じように、あるいは過分な時間を割いて助けていかなくてはならない。 こういう割り切れなさを抱いたまま、公平な福祉をめざして今日もあくせく動き回っている。 ![]() こんな日記でも応援しているよという方は、 [Ctrl]を押しながら、左右クリックしてください。 |一覧| |