週刊 読書案内 永井荷風「濹東奇譚」(新潮文庫)
永井荷風「濹東奇譚」(新潮文庫) 今日の「読書案内」は永井荷風「濹東奇譚」(新潮文庫)です。上の写真ですが、表紙が汚れていますね(笑)。昭和57年、1982年に48刷の新潮文庫です。タバコを平気で吸い続けている部屋の書棚に40年以上も立っていた文庫です。背表紙は、もっと悲惨です。永井荷風なんか、もう読まない! と思いこんでいたのですが、長年続けている本読み会の課題になって読み直しました。 永井荷風といえばですが、最近の大学の国文科(そんな学科名はもうないかも?)だか、日本文学科だかの学生さんで、永井荷風を、ながいにふうと読む方がいらっしゃるということで、ときどき行く古本屋のおやじさんが嘆いているのを耳にして笑ったことがありますが、さもありなんですね(笑)。 芥川龍之介とか夏目漱石の名前は高校の教科書あたりで、まだ目にするかもしれませんが、永井荷風なんて、間違っても高校生には読ませられないわけで、「図書館戦争」のシリーズとかが大好きだから「日本文学科」に、まあ、とりあえず進学した学生さんが、近代文学の教授が配るプリントに、読み仮名もつけずに内田百閒とか永井荷風の名前が並んでいても読める道理がありませんね(笑)。 ところで、みなさんは「百閒」とか「荷風」という雅号の由来はご存知でしょうかね(笑)。何だか、学校の先生ふうになってきましたが(笑)。 内田百閒の百閒は作家の故郷の川の名前らしいですね。で、荷風は、少し難しくて、素直な女子大生さんが「に」とよんだ「荷」という漢字ですが、荷風という雅号の場合には、漢和の辞書をお引きになると出てきますが、「蓮」の花のことらしいですね。蓮の花に吹き寄せる風 というようなニュアンスのようですね。で、まあ、「蓮」って? なのですね(笑)。彼が、この雅号を名乗ったのは学生時代のことのようですが、雅号の向うに人影があるようで、栴檀は双葉より芳し というわけのようですよ(笑)。 で、「濹東奇譚」(新潮文庫)です。荷風は1879年、明治12年の12月3日生まれで、この作品は1937年、昭和12年に朝日新聞に連載した作品ですね。 作中に、主人公がラジオの放送の音を嫌がる描写がありますが、盧溝橋事件の年、中日戦争だか日中戦争だか知りませんが、戦争の始まった年です。 永井荷風とは、何の関係もありませんが、相撲は双葉山で、野球は沢村、スタルヒン、なんと、だめトラ・タイガースが初めて優勝した年ですね(笑)。 覚えやすいでしょ(笑)。 まあ、そういう時代というか、社会に向けて 濹東と記せば、何となく高尚なニュアンスですが、要するに、東京は向島の私娼窟をふらつく老年にさしかかった小説家の徘徊日記(笑)とでも呼べそうな作品ですが、これがスゴイんですね。 何がどうすごいのかというようなことは、幾多の批評家の皆さんがすでにおっしゃっているわけで、その口マネをしても仕方がないので言いませんが、二度と手に取ることはないだろうと思っていたこの作品を、この度、読み直す機会があって、感心したのはこういう場面でした。「一体、どうしたの。顔を見れば別に何でもないんだけれど、来る人が来ないと、なんだか妙に淋しいものよ。」「でも雪ちゃんは相変わらずいそがしいんだろう。」「暑いうちは知れたものよ。いくらいそがしいたって。」「今年はいつまでも、ほんとに暑いな。」と云った時お雪は「鳥渡(ちょいと)しずかに。」と云いながらわたくしの額にとまった蚊を掌でおさえた。家の内の蚊は前より一層多くなったようで、人を刺す其針も鋭く太くなったらしい。お雪は懐紙でわたくしの額と自分の手についた血をふき、「こら。こんな。」と云って其紙を見せて円める。「この蚊がいなくなれば年の暮れだろう。」「そう。去年はお酉様の時分にはまだいたかも知れない。」「やっぱり反保か。」ときいたが、時代が違っている事にきがついて、「この辺でも吉原の裏へ行くのか。」「ええ。」と云いながらお雪はチリンチリンとなる鈴の音を聞きつけ、立って窓口へ出た。「兼ちゃん。ここだよ。何ボヤボヤしているのさ。氷白玉二つ・・・・・それから、ついでに蚊遣香を買って来ておくれ。いい児だ。」(P69) 主人公が、散歩と称して通っている、川向うの街、玉ノ井で暮らしている女性「お雪」との会話です。いかがでしょう、この場面!。 実は、この日をかぎりに訪ねることをやめた「お雪」という女性との回想シーンなのですが、なんというか、小津映画の会話シーンが浮かぶような・・・・。 お雪はあの土地の女に似合わしからぬ容色と才智とを持っていた。鶏群の一鶴であった。然し昔と今は時代がちがうから、病むとも死ぬような事はあるまい。義理にからまれて思わぬ人に一生を寄せることもあるまい…。 後日、お雪が病に倒れたらしいという噂を耳にした主人公はこんなふうに記し、残る蚊に額さされしわが血汐 という、一句で始まる詩のようなもので作品は締めくくられるのですが、ボクにとっての発見は、引用個所をはじめとした会話シーンの、しみじみとした見事さ! でした。 戦災で偏奇館と名付けられた住まいも、蔵書も喪い、この作品が最後の傑作と呼ばれる永井荷風なのですが、実は亡くなったのは 1959年、昭和34年で、80歳まで生きたのですね。 教科書には乗らない作品ですが、若い人がお読みになってどんなふうに感じられるのかちょっと興味がありますね。図書館戦争がお好きな方には、ここには引用していませんが、地の文が難しすぎるかもしれませんね(笑)。 余談ですが永井荷風を読みながら思い出したのが滝田ゆうという漫画家の「寺島町奇譚」(ちくま文庫)でした。東京あたりの方はともかく、われわれには玉ノ井とか言われてもまったくわかりません。で、そちらが故郷の滝田ゆうです。書名をクリックしていただければ、最近書いた「マンガ便」に行けると思います。じゃあ、よろしくね(笑)。 追記 ところで、このブログをご覧いただいた皆様で楽天IDをお持ちの方は、まあ、なくても大丈夫かもですが、ページの一番下の、多分、楽天のイイネボタンを押してみてくださいね。ポイントがたまるんだそうです(笑)