週刊 読書案内 小野智美編「女川一中生の句 あの日から」(はとり文庫)
小野智美編「女川一中生の句 あの日から」(はとり文庫) どこで知ったのかよく覚えていませんが、注文して届いた本をその場で広げて、読み始めて,絶句しました。落ち着いて読めば、2時間もあれば読み終えることができる内容ですが、なかなかそうはいきませんでした。小野智美編集「女川一中生の句 あの日から」(はとり文庫)です。 2012年、東北の震災の翌年だされた本です。ページを開くと目次の次のページにこんな言葉が載っています。 東日本大震災の後、女川町の女川第一中学校の全生徒約200人が俳句を作った。2011年5月と11月に行われた2回の授業。津波で家族を、家を、故郷の景色を失った生徒たちが、季語にこだわらず、五七五に心の内を織り込んだ。時と共に深まる思いをたどる。 小野智美という女性記者が、俳句を作った中学生一人一人と会って取材し、朝日新聞の宮城版に連載された記事を書籍化した本です。 ページを繰ると俳句のページがはじまります。○○○○さん(3年生)グランドに 光り輝く 笑顔と絆(5月) 3年生の友里さんが津波から2カ月後の5月の授業で詠んだ。被災の現実を感じさせない。学校ではソフトボール部の主将だ。「中総体に向けて燃えていた時なので」と笑いながら言った。 大会を終えた11月、こう書いた。空の上 見てくれたかな 中総体 あの日、友里さんは、山の上の中学校にいた。地震の後、高校から下校途中の姉が中学校に来た。やがて母も駆けつけてくれた。「お姉ちゃんと一緒にいなさいよ」。母は、山の下の自宅へ祖母を迎えに行った。それが最後の言葉ととなった。 あの日に限って朝、『行ってきます』を言わなかった。7月、葬儀を行った。父が手を尽くして集めた写真を袈裟に包んで荼毘に付した。その時だけ、父の前で涙を見せた。母と祖母に今ひと言だけ伝えられるなら、何を? そう問うと、笑顔をつくりながら、声にならない声で答えてくれた。その言葉は、11月に書いた句の中にある。今伝える 今まで本当に ありがとう(11月) いかがでしょうか、ボクが絶句したのは、例えばこの記事だと、父が手を尽くして集めた写真を袈裟に包んで荼毘に付した。その時だけ、父の前で涙を見せた。 というあたりです。7月になっても、友里さんのおかあさんとおばあちゃんは見つからなかったんですね。葬儀の場で声をあげて泣いている少女の姿が浮かびます。 そこから、ありがとうまでを思うと、ページを繰る手は止まってしまうのでした。 まあ、こういう俳句と、それを紹介する記事をまとめた本です。出版されて10年たって、ようやく読み終えましたが、ここに出てくる、この中学生たちはどうしているのだろう?、そんな気持ちになる本でした。乞う、ご一読ですね(笑)。 参考までに目次と著者のプロフィールを貼っておきます。[目次]はしがき003(生徒たち22名の句の紹介)*当サイトではお名前をふせています俳句で鍛え上げられた言葉083佐藤敏郎教諭「十五の心 国語科つぶやき通信」089大内俊吾校長の式辞093阿部航児さんの答辞103付記世界を駆けめぐった108最後の教材「レモン哀歌」116父と娘の15カ月1222度目の春 共振共鳴した日々を刻む135すべては五七五の中に 佐藤敏郎149編者あとがき小野智美(オノサトミ)朝日新聞記者。1965年名古屋市生まれ。88年、早稲田大学第一文学部を卒業後、朝日新聞社に入社。静岡支局、長野支局、政治部、アエラ編集部などを経て、2005年に新潟総局、07年に佐渡支局。08年から東京本社。2011年9月から仙台総局。宮城県女川町などを担当