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2011年06月23日
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文明のカルマ(業)

般若心経の色、受、想、行、識というのは簡単に言いますと、皆様の常識、知識のことです。これが五慈です。これが人間の業です。
大乗起信論で言いますと、無明になります。常識を基礎にしていきますと、人間は煩悩の奴隷になってしまうのです。肉体生活を実体だと考えてしまうと、必然的に皆様方は、自分の欲望にとらわれてしまうことになります。
業は死を意味するのです。業は皆様の魂を死の世界へひきずり込んでいくのです。死ななければならないと考えてしまいますと、死の虜になっているのです。五蘊の虜になっているのです。般若心経はこれが嘘だと言っているのです。
色は物がある、物質があるという考え方です。ところが物質はないのです。もし物質が本当に存在するのなら、原子爆弾はできないのです。原子爆弾が広島に投下されたということは、物質がないことを証明しているのです。物質が存在しないということは、歴史的に証明されているのです。
皆様の命をじっとご覧になれば、物がないことが分かるのです。冷静に、平易に、正確に、綿密にお考えにならないと、分からないのです。
問題は五蘊皆空が命にならないとだめです。五蘊皆空をいくら勉強してもだめなのです。学問の限界は、人間の常識をある程度納得させるだけなのです。
学問では、人の中から死を取ってしまうことはできません。私たちは文明を乗り越えて、死の問題、本当の命の問題を取り上げなければいけないのです。
人間は常識で生きることが、常態になっています。常識で考えることに、とらわれてしまっているのです。これは自縄自縛の状態です。
五蘊皆空とは、人間の考えを信じるなと言うのです。人間の考えは、人間の気持ちだけですから、自分の気持ちを信じなければいいのです。般若心経の意味がいくら分かっても、自分の命の実体にならなかったら、何にもならないのです。心経読みの心経知らずになってしまうのです。
物質がないだけでなくて、時間もないのです。時間があるという証明はできません。時間はどこにもない。ただ流れているだけです。流れているという事実はありますが、とどまっている時間はどこにもないのです。一体時間があるとはどういうことなのか。これが説明できないのです。
原子核の回りを電子が回っている。一秒間に、一億四千五百万回も回っていると推測されています。すばらしい速度で回っていますから、電子を見ることができません。もし固定した時間があれば、電子は回らないことになるのです。
時間はない。ただ流れているのです。これを説明できたものとしているのが、ユダヤ主義なのです。はっきり割り切れないものを、割り切れたように思わしているのです。
時間がないのに、運動だけがある。ところが、時間がなければ運動は成立しないのです。これはどういうことなのか。ここに、絶対の勉強が必要なのです。説明ができない所に、神が立っているのです。
神を信じることなしには、理論物理の原点を把握することはできないのです。例えば電気がどうして発生するかです。電気の使い方、電気の用い方の説明はしますが、電気とは何かという説明ができません。
この原理が、有って在るものです。英語でI am that I am.となるのです。この意味がキリスト教では分からないのです。これが神の本体です。物理運動の本体です。皆様はこれが分かりさえすれば、死なない命が分かるのです。
現在、ユダヤ人の学問が、世界全体を風靡しています。これが西洋学です。日本の学者は、皆この潮流に押し流されているのです。そうしなければ、ノーベル賞がもらえないのです。ノーベル賞は、ユダヤ人が出している褒美です。これが文明の業です。人間に業があるように、文明にも業があるのです。
これは何かと言いますと、地球に業があるからです。地球が現象として現れていることが、地球の業なのです。
般若心経は五蘊皆空といっています。地球という色は、空なのです。時間がないのにあると思っている人間は、そういう常識を造っているのです。人間の常識を成立させることによって、人間は死んでいかねばならないことになるのです。
ユダヤ人はなぜ間違えたのか。聖書には肉の思いは死であるが、霊の思いは命であり、平安であると言っています。ユダヤ人は目に見える現象は絶対に存在すると考えたのです。時間も絶対に存在すると考えたのです。これが肉の思いです。
肉の思いは、肉体的に存在するものを実体と考えることです。皆様の肉体は果たして実体であると言えるかどうかです。
肉体は絶えず新陳代謝しています。新陳代謝をしなければ、肉体が保てないのです。新陳代謝しているということは、流されているということです。皆様の肉体は、時間が流れているように、流れているのです。たとえ一分間でも、同じ状態で存在しているのではないのです。般若心経は、ユダヤ主義の考えを、五蘊皆空、色即是空とはっきり否定しているのです。







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最終更新日  2011年06月24日 04時41分19秒
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