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殿上人日記

殿上人日記

静寂なる、尾張の徳川義直公の霊廟


      定光寺12

   多治見市内だけで、時間をつぶす事も出来
   なかったので、前々から行ってみたかった
   定光寺に足を伸ばしてみた

   東は長野県開田高原、北は岐阜県飛騨市
   南は岐阜県恵那市上矢作という私ですが
   西は、ついに愛知県を車で走行しました
   わずかだけどドキドキ~~!!

   あ、レンタカーで大分、熊本の山道を
   走りました。山道は得意です


      定光寺4

   名古屋の奥座敷とも呼ばれ、多治見市との
   境に位置をする瀬戸市の山間に、応夢山
   定光寺(おうむさんじょうこうじ)がある

   建武3(1336)年、 覚源禅師が創建を
   したといい、臨済宗妙心寺派に属し、国の
   重要文化財の指定の本堂や源敬公廟などがある

      定光寺2

   室町時代の様式を、色濃く残す本堂「無為殿」

   徳川義直は、徳川家康第九子として、相応院
   (お亀の方)を母として誕生した。兄である
   清洲城主松平忠吉の、病没の後をうけて
   尾張・美濃・信州などの六十余万石を領した
   徳川御三家ご筆頭の、尾張徳川家の祖となった


      定光寺3

   義直は、林羅山に師事して儒教を奨励をし
   自ら歴史書「類聚日本紀」を著した、学問
   好きだが、武術も好み、柳生兵庫助利厳から
   新陰流の相伝も受けている

   家康公の没後も、御三家の筆頭、天下諸侯の
   首位として辣腕を振るい、尾張名古屋の
   基盤を作った名君である
 

 定光寺5

   義直が巡行狩猟の途中、定光寺に立ち寄り
   その風光を愛で、自らの墓地を定めたのが
   源敬公廟で、尾張二品亜相尾陽侯源敬公神主
   (義直の法名)から名づけられた

   廟は儒式で、祭文殿その他の建築は帰化明人
   陳元贇の設計だといい、全体を銅板葺の塀で
   囲み、荘厳な雰囲気である

 定光寺1

   天井に狩野元信の龍の画がある「龍の門」の
   扉には、左甚五郎作と伝えられる彫刻がある

       定光寺7


   祭文殿(焼香殿)は高床式で、床には日本で初の
   敷瓦(瀬戸焼の施釉タイル)が施されている

 定光寺8

   十二段の石段上に、唐門を置き、その向こうに
   大きな土饅頭の上に高さ約四メートルの石塔が
   そびえている

      定光寺11


   廟所の右側にには、義直公に殉死した9名の
   墓が整然と並んでいる

 定光寺10


   廟に向かう坂道の途中にある獅子の門は
   左甚五郎作の獅子の像があることから

          定光寺6 

           あ、また藪蚊にさされた かゆい~~

           平成18年6月14日。午前撮影
 


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