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カテゴリ:観光
彦根探訪、今回で最後です
え? ほっとしました?^^:: ほっとしたついでに、もう直ぐハロウィーン(Halloween) ですね♪ 城とは全く関係ないですが、 たねやさん(彦根美濠の舎)で撮影させて頂いたチョコレートのお菓子 マカロン・近江栗子みち・栗月下・生チョコを買って帰りました マカダミアナッツをチョコでコーティングしたのも美味でした 写真、なくって、御免・・・・(-人-;) ・オンラインショップはコチラ ・店舗案内はコチラ(全国30店舗) 和んだ所で(あたしだけ?)さっさといきましょ~ *** 埋木舎 *** 創建宝暦9年(1759年)頃 中堀に面した質素な屋敷(中級藩士屋敷とほぼ同等)。 井伊直弼が13代彦根藩主となるまでの不遇の時期、 天保2年(1831年)以後15年を過ごした屋敷として 有名なため「埋木舎」の名があるが、 本来は「尾末町御屋敷」又は「北の御屋敷」 発掘調査により、建替えにより6期の変遷が確認されている。 国指定特別史跡「彦根城跡」の要素。 井伊直弼は、自らを花の咲かない(世に出る事もない)埋もれ木と同じだとして、 逆境に安住の地を求め、その居宅を「埋木舎」と名づけ、 それでも自分には「為すべき業」があると精進した。 埋木舎から、中堀越しに見える塀 埋木舎には直弼が愛した柳が植えられており、 号にも「柳王舎」を使うことが多かった。 外出先で非常に立腹する事があったが、 帰宅後、庭に植えられた柳を見て 「むっとして 戻れば庭に 柳かな」という句を読み 心を落ち着けたと言われる。 解体修復前の埋木舎 明治4年、払い下げによって大久保氏の所有になり、現在に至る。 1984年(昭和59年)の豪雪で倒壊したため全面的に解体修理、 また翌年からは発掘調査が行なわれた。 今日では、直弼が住んでいたころのように復元され、 内部も一般公開されている(有料)。 *** 旧鈴木屋敷長屋門 *** 彦根城の中堀に面した第三郭に長屋門のみ現存。 300石以上の中級武家屋敷が建っていた地域である。 天保7年(1836)に城下町を描いた『御城下惣絵図』によると、 当地には鈴木家5代権十郎重用(350石)の名があります。 かつての屋敷地は、間口10間半(約21m)、奥行27間半(約55m) 彦根藩の中級武家屋敷の典型をなす長屋門として貴重。 昭和52年(1977)に彦根市指定文化財に指定。 長屋門とは 細長い長屋の中央に扉を設けた門。 武家屋敷や陣屋などによく見られる形式だが、庄屋や豪農の屋敷などにも見られる。 近世諸大名の武家屋敷門として発生した形式で、江戸時代に多く建てられた。 諸大名は、自分の屋敷の周囲に、家臣などのための長屋を建て住まわせていたが、 その一部に門を開いて、一棟とした物が長屋門の始まりである。 その家の格式や禄高により、意匠や構造が決定。 ・漆喰→武家屋敷 ・板張り→民家 ※ 民家での漆喰や彩色→武家との姻戚関係や、普請協力により武家屋敷の旧長屋門の払い下げを受けた場合など *** 家老 脇家屋敷跡 *** 脇家は元々武田家に仕えていたが、武田家が滅亡後、徳川家康の家臣に。 徳川家康の命により、井伊直政の家臣に。 その後井伊家での功績が認められ、家老職(2千石)を任ぜられる。 脇光三は末裔で、記念碑がたっています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Oct 27, 2008 09:48:58 AM
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