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空間づくり

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Oct 24, 2008
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カテゴリ:観光
彦根城探訪、続きですえんぴつ




*** 太鼓門櫓 ***  重要文化財

太鼓門櫓(重要文化財)

本丸の表口をかためる最後の関門である櫓門

東側の壁が無く、柱の間に高欄をつけ廊下にしている。


築城後、ここに太鼓をおいて城中に合図したところから命名。



太鼓門櫓(重要文化財) 廊下
鍵。開けれるか触ってみたりして;;

鍵








*** 時報鐘 ***

時報鐘


現在でも”時のオルゴール”として、

朝6時から夕方6時までの3時間ごとにつかれている。


環境省選定の「残したい日本の音風景100選」に選ばれています

コチラ








表坂(登城坂) 石段。くねくねまだまだ続きます~
表坂 石段着見台から琵琶湖を望む。右下に玄宮楽々園が見えます。
着見台(月見櫓跡)から琵琶湖を望む











*** 天守 ***  重要文化財

天守


ようやく天守です

大津城(京極高次居城)天守を移築したと言われています。


この日は混雑していました

登るのは登ったんですが。。。

そりゃ現存天守だけに規模は小さいながらも凄いと思いました

しかし、落書きの多さには参りました涙ぽろり

彫ってあるんですよ










*** 西の丸三重櫓 ***  重要文化財:特別公開中


西の丸三重櫓(重要文化財)

高さ10mの石垣の上に築かれています

小谷城天守(浅井長政居城)を移築したとの説も有るが、

昭和30年代に行われた解体修理では、

そうした痕跡は未確認。


浅井長政と言えば、お市の方の旦那様ですね








西の丸から黒門へと続く坂の石垣。ここが天守への最短ルートとなっているらしい
しかし、山道で険しい涙ぽろり
木々が鬱蒼と茂ってて、人も少ないけど、人が少ない方が浸れるので好き

石垣西の丸から黒門へ続く坂西の丸から黒門へ続く坂








黒門を出ると玄宮楽々園に出ます







*** 玄宮園 ***  国の名勝


玄宮園
玄宮園は、隣接する楽々園とともに、

『槻御殿』と呼ばれた彦根藩の下屋敷。

槻御殿の庭園部分を玄宮園、建物部分を楽々園と呼称。

敷地面積は表御殿(彦根城博物館)をはるかに凌駕しています。

文化10年(1813)の11代藩主井伊直中の隠居に際し、

大規模な増改築が行なわれ、

その後間もなく楽々園は最大規模に膨らみました。

その大きさは現在の建物のおよそ10倍もありました。



玄宮園玄宮園




ほんとはね、玄宮園から、ちゃんと天守が見えるんですよ~
携帯写真なので、飛んでしまってますけど;;

玄宮園地図玄宮園玄宮園








*** 錦秋の玄宮園ライトアップ ***

玄宮園 ライトアップの案内
開催期間:2008年11月15日~2008年11月30日

18時~21時

・彦根環境協会の案内はコチラ

彦根城築城400年祭プレイベント

『光の祝祭 彦根城ライトアップ「ひこね夢灯路」』の

ライトアップMOVIEが見れますビデオ
彦根城築城400年祭プレイベント『光の祝祭 彦根城ライトアップ「ひこね夢灯路」』








*** 楽々園 ***  国の名勝



楽々園 案内板


御書院・地震の間・楽々の間・雷の間・新東西の間・鳰の間など

江戸時代後期の数奇屋建築が現存する。


江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、

明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。


御書院から望む庭園は玄宮園の池泉を借景とする枯山水である。

戦前までは庭園と御書院の間に池が広がっていた。





*** 現存する御書院 ***


幕末の大老、井伊直弼もここで生まれました

御書院御書院御書院







*** 地震の間 案内板 ***

地震の間 案内板



地震の間







彦根城探訪、次回へ続く(まだあるのかよっ;;)





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最終更新日  Oct 24, 2008 05:04:17 PM
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