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《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2014年02月18日
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カテゴリ:健康の話
アナウンサーの逸見政孝さんが急逝(93年12月)して、早20年が経ちました。

真面目な風貌と人柄でありながら、ビートたけしと丁々発止で渡り合い、昭和の一時代を彩った人気アナウンサーでした。

48歳という若さだったのと、がんを公表してから瞬く間に亡くなってしまったことで、世間に衝撃を与えた死でした。

この事件で「スキルス性胃がん」という、極悪ながんがこの世にあることを知りました。

 

逸見政孝さんは、弟をがんで失ってから(享年32歳) がん検診を欠かさず受けるようにしていました。

93年1月、前田外科病院(江川卓の紹介)で、内視鏡による年1回の定期検診を受け、直径約2センチの胃がんが発見されました。

前年も同じ前田外科病院で検査したのですが、異常はありませんでした。 

この検査をしたのが、このコラムでも常連である『病気にならない生き方』の著者、新谷弘実医師でした。

著名な医師の見立てということで、この後の治療方針をすべて医師にゆだねてしまうことになります。

「初期のがん」だと宣告され、取り除けばすぐに復帰できると説明を受けて手術を決意します。

しかし、手術をしてみたところ、初期のがんではありませんでした。

普通1年でがんがこれだけ大きくなる ことはなく、発見された段階で特殊ながんだという認識があったはずです。

逸見さんの死後、病院の発表では、手術をした時点で、このがんは悪質で進行の速い「スキルスがん」で、腹膜播種(腹膜内にがん細胞が黒ゴマをまいたように広がっている状態になっている末期がん)と解っていたとなっています。

その様子を、逸見さんの奥様である逸見晴恵さんの『私ががんを恐れなくなった理由(わけ)』から抜粋しますと―

 

私たちは「初期のがん、切れば大丈夫」と医師にいわれて、手術に向かいました。

スキルス性のがんで、腹膜への転移があり、腹膜播種もあるとわかっていれば、どう考えたでしょうか。

おそらく必死で、その意味を知ろうとしたでしょう。

いま私が知った知識ほどのことを、過去のそのときに逸見が知ったのならば、おそらく逸見は手術を選ばなかったと思います。

倒れるまで仕事を続け、そして死を受容していったと思えます。

どんなに苦悩したとしても、いずれ、それしか人生の質を高める生きかたはないことを、理解したはずだと思うのです。

 

晴恵さんは、がんの種類の説明がなかったこと、それ以上に簡単に済むと嘘をつかれて手術を受けたことに憤っています。

一般の人は、がんに対する知識は”恐い ”ということ以外あまり知りません。

医師にとってもこのがんは想定外のものだったかもしれませんが、初めの決定が軽すぎたことが悲劇の第一歩でした。 

手術後、逸見さんは抗がん剤の点滴を受け、吐き気とめまいの副作用に苦しみます。

近藤誠著『がん専門医よ、真実を語れ』の晴恵さんと近藤医師の対談の章で、このことが語られています。

 

逸見「主人は先生を信じ切っていましたから、のみなさいといわれた経口抗がん剤も律儀にのんでいるわけです。

さらに、再発のおそれがあるから抗がん剤の点滴をやりましょうといわれ、承諾しました。

主人は長生きしたいと思っていましたから」

近藤「それは意味のない治療でしたね。

そもそも抗がん剤は胃がんのような固形がんには効かない。

患者さんを副作用で苦しめるだけです。

効くのは、急性白血病とか悪性リンパ腫など、がん全体の約1割に過ぎないわけです。

このことは専門家も認めているにもかかわらず、日本では必要以上に使われているのが現実です」 

 

抗がん剤は胃がんには効果はなく、患者を副作用で苦しめるだけの意味のない治療でした。

5月になると手術の後に突起のようなケロイド状腫物ができ、8月にそれを取り除く2度目の手術が行われました。

身体にメスが入ると、そこは正常細胞が弱くなり、がんは増殖しやすくなります。

手術をすればするほどがんは刺激され、「怒り」、増殖するのです。

開腹手術する前から 内部にも再発、転移があることは当然わかっていたはずです。

これもまた意味のない手術でした。 

逸見夫妻は前田外科医院が信用できなくなり、周りの勧めもあり、9月に東京女子医大病院の羽生富士夫教授の診察を受け、3回目の手術を決意します。

9月6日に記者会見を行い、

「私が侵されている本当の病名は、がんです」とTVで公表しました。

それまで逸見さんの病気は「穿孔性十二指腸潰瘍」と公表していたのですが、この会見で全国に事実が解り、驚いたのでした。

9月16日、羽生教授の執刀により、内臓3キログラム(残りの胃・膵臓・脾臓・大腸の大部分)を摘出する、13時間に及ぶ大手術が行われました。

健康な人でも、内臓を3キロも取られたらまともに生きていられないでしょう。

ましてがんと手術と抗がん剤で弱り切った体では、この大手術は1%の望みも0%にしてしまう行為でした。

 

最後の手術については、多くの先生がたが論評されました。

要約すると、

・もともと最初の手術で播種があったスキルス性胃がんならば、再発したら、どんなに多くの臓器を取ってもがんを取りきることはできない。

したがって、3キロも臓器を取る手術は、死期を早めるだけで、無謀なだけである。

・腸閉塞の予防のためという説明も、正確ではない。

なぜならその症状で予防は不可能。

というものでした。

そのとおりでした。

9月16日の手術から1カ月と少々。

10月23日、ちょうど一時帰宅が許された日に腸閉塞が起こり、病状は急激に悪化していったのです。

おへそを取って、左ももの皮膚をお腹に移植、皮膚を取られた左ものの傷をおおうため、右ももの皮膚を移植。

おなかだけでなく、両足まで傷つき、どんなに痛くても動けない。

ひどい苦しみだったのに、それほどの犠牲を払う手術だったのに、わずか1か月で腸閉塞が起こるとは。

身を切られる思いとは、このことかと思いました。

 

手術後、弱っていく体に鞭打つように、さらに抗がん剤が投与されました。

吐き気がひっきりなしに襲い、体力はすっかり落ち、点滴の液が体に運ぶ活力だけに頼る状態でした。

「抗がん剤を投与してからは、もうぐったりして、気持ちが悪くて口もきけない状態なんです。

抗がん剤をやらなかった方が苦しい思いをせず、長生きできたのではと思います」

晴恵さんは後悔で苦しそうに顔を歪めました。 

12月21日、熱が40度以上に上がり、容体が急変。

25日、家族に見守られながら永眠。

壮絶な闘いに幕を閉じました。

晴恵さんは「助けてあげられなくてごめんね。許して…」と叫びたかったそうです。

医師の言いなりにならず、自分でも学んで方法を選べば、がんでもそんなに苦しまずに死ねる。

 

せんないことですが、「もしも」「どうして」という問いかけで検証してみたいと思います。

●もしもがんの種類を知っていたなら、どうだったのか。

反省―手術はしなかった。

●どうしてがんの種類が知らされなかったのか。

反省の1―病理検査の結果を知りたいと、申し出なかった。

反省の2―聞いてもわからない、と思って聞かなかった。

●セカンド・オピニオンをどうして取らなかったのか。

反省の1―これは何回も夫に頼んだのですが、ダメでした。

反省の2―もっとがんについて学んでいたら、きちんと説得でき、私の意見を夫は聞いたかもしれない。

●二度目の手術はさけられなかったのか。

反省の1―詳しい手術の方法と見通しを聞き出していれば受けなかった。

反省の2―私が逸見のデータをもらい、ほかの医師の意見を聞きにいく勇気と行動力を持てばよかった。

●三度目の手術の問題点はどこだったのか。

反省-インフォームド・コンセントをきちんと取らなかった。セカンド・オピニオンも取らなかったこと。

こうやって反省してみると、四つの問題点が浮かんできます。

1.情報収集が足りなかった。

2.医師まかせだった。

3.セカンド・オピニオンを取らなかった。

4.がん治療の幅の広さを理解していなかった。

 

逸見晴恵さんが「がんを恐れなく」なるには、ここから深い勉強があり、もう少し時間がかかりました。

そして、患者の声で医療現場を変えていこうと決心します。

最後に「死生学」をものにしてこそ、様々な対処法の選択もできると結論に達しました。

政孝さん亡き後、医学エッセイ・テレビ出演・講演活動と積極的にこなし、夫の残した5億円の借金(独立の資金)も返済しました。

しかしながら、自らも子宮がんを発症し、さらにがんの一種である骨髄異形成症候群も発症し、10年ほど闘病ののち、2010年肺胞蛋白症で亡くなりました(享年61歳)。

公式HPの冒頭のあいさつです。

「がんに対する憎しみ、恐れはなくなりました。

ただ、付き合い方がわかりました。

どんな時も人生の主役は自分なのだから、決して病気なんかに主役の座を明け渡してはならないということも」






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最終更新日  2014年02月19日 10時08分03秒
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