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テーマ:ワイン大好き!(30386)
カテゴリ:建築・都市・建築家
日経新聞の経済評論家田中直毅氏の論評によれれば、 後発資本主義国の日本は、第二次大戦後も一環として 国民国家モデルを追求したという。 これはグローバル化し始めた世界経済にあって、 日本一国内部で簡潔する膜路政策運営は可能か、 というテーマとして提示されたという。 理科系で経済の専門家でないものの感想としては、 グローバル化とIT化により、経済モデルは、 革新的に変化していることを期待していた。 そもそもグローバルということは、 地球全体のという意味であると同時に、 原語的には、球形にという意味である。 それまでに水平線形型の経済モデルがあったすれば、 グローバルというのは、地球の表同士の経済行為(ローカルな)が、 地球を一回転した裏からのえいきょうをうけるような(球形な、グローバルな)、 位相空間の経済モデルになることであると介していた。 そして、グローバリズムとともに、IT化による、 経済ネットワークは、地球の表でも裏でもグローブ上でも、 あるいは、ちきゅうの至る所との経済関係が、 ネットワークを組んだシステムによる挙動を示す ということではないかと考えていた。 グローバルーITシステムの経済では、 隣の伯父さんの経済行動が、 地球のどの場所にいる人の経済行動により 影響を受け、今まで、経済の潮流の中に 乗っていなかった主体間の間に 経済システムが構築される状態を 示しているのではないかと考えていた。 しかしながら、そうした位相空間的、 トポロジカルな経済モデルは理念上のもので、 実体経済は、日本一国の内部で完結するマクロ政策運営は 可能かというテーマとして、 いまだに、はびこっていることが示されていた。 そもそも、株価と為替が掛け合わせた数字で トポロジカルな世界で意味を持つ様に考えら得る中で、 株価だけ、為替だけの増減に相変わらず、 一喜一憂しているようなレベルで 経済活動が動いているとすれば、 あまりにモデルを単純可しすぎているかの様に、 理科系の人間としては考えられるように 感じられる。 あるいは、金融工学というものは、 こうした状況を捉えているのかもしれないが、 株価と為替を掛け合わせたものの 時間的動きが、世界の金のフローを示しており、 株価だけ、為替だけという判断基準には グローバル化しIT化した資本家には あまり意味のないことなのではないか と考えられるのは、随分前からのこと であろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Jan 17, 2008 01:40:30 AM
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