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北朝鮮分析

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2010年01月26日
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カテゴリ:北朝鮮の話し
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今回の内容も前回(#1)に続き、韓国の雑誌「新東亜」に連載された金正日の「喜び組」(金正日の女性たち)の話を翻訳したものです。過去に北朝鮮を脱出して韓国に入国して韓国のマスコミで働く記者が、前職金正日の「喜び組」の女性を直接取材した内容を元に、記事を作成しました。
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Q)身分が変わったので良い部屋が待っていましたか。

A)いいえ。部屋には何もありませんでした。トイレと布団だけあって、本当に何もありませんでした。とても小さな窓が1つだけありましたが、私の身長では外を見ることができませんでした。何階かも分かりませんでした。

夜には外から変な鳥の鳴き声と虫の音が聞こえてきて、恐ろしかったです。人に会う時は、特定の男性が食事を運んで来る時だけでした。それさえも、何も言わないのです。そして、読むようにと、本を何冊も持って来ました。

金日成、金正日労作、革命歴史など外でも読んだことがある本もあったし、小説もありました。本を読むと、必ず感想文を書かなければなりませんでした。本1冊で感想文を何種類も書きなさいと言うので、大変だったのを覚えています。本を積み上げたら、窓の外を眺めることができそうでしたが、その部屋の天井に監視カメラが付いていたので、そのようなことをしようとも思いませんでした。監獄と全く同じだったのです。

本当に息苦しかったです。他の人たちは、皆良い所に行ったと言ってくれたのに、私がどうしてこのような所に来たのか、何時までこのように暮らさなければならないのか、本当に心細くて苛立たしかったです。

私は私がスパイに育てられるのではないかとも考えました。なぜなら、私が入った学校の名前が**軍事学校だったからです。学校の名前は書かないでください。この学校の存在は、まだ外部には全く知られていないからです。私が名前を言ったら、後日、この学校出身だと嘘を言う人が出現するでしょう。

Q)監禁生活は何時まで続きましたか。

A)1カ月です。1カ月位が過ぎた頃、呼び出されて、ある部屋に連れて行かれました。そこには私のように選ばれて来た女の子が、10人いました。

顔を初めて見る子もいたし、3次試験で会った子もいました。皆、全国から選ばれて来た美人たちでした。外国の女性のような顔付きの子もいました。年は私が一番幼いようでしたが、お互いに正確な年齢は分かりませんでした。お喋りをしませんから。

2年間、殆どお互い口を利かないで暮しました。それから、先輩や後輩もいないのです。学生たちが皆卒業したら、また新たに新入生を受け入れるようでした。ある幹部がこれから入学式を始めると言いながら、軍服をくれました。ネクタイもあって、人民軍協奏団の軍服に似ていました。入学式が終わってから、また、私がいた部屋に戻りました。そして生活にも変化が起こりました。

Q)どんな変化がありましたか。

A)まず外出が許可されました。1週間に1、2回ずつ、平壌に外出しました。外出する時は、とても素敵な服を着て出かけました。外出すると、楽しい事を見物させてくれたり、素敵な食堂へも連れて行ってくれました。私のお気に入りだった玉瑠館(オクリュウグァン)には、貴賓用の部屋が別途にあるということを、その時知りました。ヒャンマンルのような高級食堂へも行きましたが、行く前に予め部屋を全て予約してから行ったので、他の人々と会うことはありませんでした。

外出する時、2~3人ずつ組分けしてから外出をしましたが、組の構成は外出する度に変わりました。先ほどお話しましたが、外出してもお互いに殆ど口を利きませんでした。特に注意を受けていたし、学校の雰囲気もそうだったので。

そして1カ月くらい経ってから、写真を沢山撮影されました。中央党の写真師が撮影してくれましたが、金正日に差し出すもののようでした。その時、写真師がこれを保管しなさいと言いながら、気前よく写真を何枚かくれました。その時もらった写真を、韓国に何枚か持って来ました。

Q)学校生活はどうでしたか。例えば教育課程とか。

A)何をどのように学んだのか詳しく話したら、終わりがないです。勉強もしたし、射撃や水泳もしました。ビデオも見たし、芸能訓練もしたし、食事のマナーも学びました。

私がいた建物は、構造がとても複雑でした。勉強をしに行く時は、同じ階へ行く時も、エレベーターに乗って下がったり上がったりしながら行きました。一言で言って、構造が分からない迷路のようでした。実際、住んだことがない人には、絶対に想像ができなくて、その構造を描くことが出来ないでしょう。そして、防音が非常によくされていました。本当に静かでした。

Q)以前ミオクお姉さんという名前を言いましたが、その人は教官ですか。

A)はい。教官と言ったら教官で、先生と言ったら先生のようなお姉さんです。私たちを教えるお姉さんたちは全部で3人いました。ミオクお姉さんは、その責任者格でした。

学校生活を始めて3カ月くらい経った頃、私は他の部屋に連れて行かれました。その部屋は2階にありました。以前の部屋は建物の羽部分にありましたが、今度の部屋は建物の中心部分にありました。私が1人で使っていた部屋よりずっと大きな部屋で、家具も格段良かったです。たんすもあったし、コンピューターもありましたが、ベッドはありませんでした。

退屈な時はコンピューターでゲームもしましたが、このようなゲームもありました。ゲームの名前は「将軍様を守りなさい」だったようです。敵を殺しながら、使命を遂行して、最後まで行ったら、髪の毛がチリチリでジャンパーを着てお腹の出た小さな人が出て来て、「パチ、パチ、パチ」と拍手をしながら手を振りました。誰が見てもそのキャラクターが金正日であることが分かりますね。

拍手の後に、バックミュージックに「マンセ(万歳)」という声が聞こえした。とにかくゲームまで忠誠心を呼び起こすものなのです。1990年代半ばにそのようなゲームがあったとは、多分、想像もできないと思います。

Q)その部屋にも1人でいましたか。

A)いいえ。私はその部屋でミオクお姉さんと一緒に生活しました。ミオクお姉さんは私と本当に似ていました。皆が姉妹のようだと言いました。背も私と殆ど同じでした。そのお姉さんは少佐でした。ところが軍服を着た姿は、見たことがありませんでした。その時から、何処かへ行く時は、何時もそのお姉さんと一緒に行きました。

教育を受けに行く時も、ミオクお姉さんが送ってくれて、連れて来てくれる時が多かったです。私の同期10人の中でお姉さんと一緒に生活していたのは、咸興(ハムン)芸術学校で声楽を専攻して選ばれたヨンミという子だけでした。

Q)2人だけだったというのを、どうして知りましたか。

A)教育を受ける時、講義室には大抵私たち2人が先に行っていました。そして1~2分後に残りの8人がぞろぞろと入って来ました。教育が終わって帰る時も、私たち2人が先に帰りました。私たちは2階に住んでいましたが、他の8人は1階に住んでいました。それで嫉妬混じりの視線で良く見られました。

それ以後、金正日に会う時も、いつもミオクお姉さんが同行しました。そして、ヨンミとヨンミと一緒に生活する教官のミソお姉さん、このように私たち4人で普通、金正日に会いました。もちろん、私とミオクお姉さんだけで会う時もありました。ミソお姉さんよりミオクお姉さんの格が高かったです。最終指示を下す立場にいたからです。

私たち2人だけが、特別にお姉さんたちと生活したのは、多分10人の写真を大量に撮って差し出したところ、金正日が私たち2人を最終的に選んだので、私たちだけがお姉さんたちと特別に生活したようです。

Q)金正日に初めて会ったのは何時のことですか。

A)1995年の夏の暮れ頃でした。学校生活を始めて、半年位経った時でした。その中で暮らしていると、時間の概念がなくなります。それで、私も正確な日付はよく覚えていないのです。2日前にミオクお姉さんが私とヨンミを呼び出して、とても厳肅に話しました。

「あなたたちは将軍様を側で補助する仕事をします」

それから、沢山の注意事項を詳しく教えてくれました。まず、以前将軍様にお目に掛かった事はあるかと聞かれました。私は小さい頃公演に出て、金日成と金正日の前で公演を何回かしました。それで公演場で会った事があると答えました。しかし、ヨンミは初めてだと答えると、ヨンミに細心の注意を払うようにと言いました。

注意事項としては、あまり過剰反応しないで、落ち着いて行動するようにということと、将軍様のお話が終わったら自分がするように拍手をすようにと言われたのを覚えています。その日の夜は一睡も出来ませんでした。その日から、顔のマッサージを受けたり髪の手入れをされました。

当日は化粧もしました。私は10代だったので、その年に合った、さっぱりした化粧をしました。そこでは、毎朝、着る服の指示をされました。軍服を着るように言われたらその日は軍服を着て、他の服を着なさいと言われたらそれを着ます。

ところで、その日は新しい服を持って来てくれました。私のサイズは既に完璧に把握されていたので、指示さえしたら、どこからか私の体にぴったりの服を作って来てくれました。

Q)どこで会いましたか?

カーテンを掛けた車に乗って行ったので、正確にはどこに行ったか分かりません。地下ではありませんでした。到着して見たら、私まで合わせて5人いました。ミオクお姉さんと私、ミソお姉さんとヨンミ、そしてもう1人いました。でも、その子には一緒に来たお姉さんはいませんでした。そしてそれ以後、私たちが金正日に会う時、2度と現われませんでした。

多分、金正日が写真を見て、私たち2人以外にその子も1度会って見たいと思ったようですが、最終的に合格しなかったようです。もちろんその子の美貌も抜群だったし、どこかしら、北朝鮮の映画俳優のオ・ミランに似ている感じがする人でした。それから、その5人は服が全員違いました。多分、各々の個性に合わせて着せたようでした。

ある部屋の前に着いたら、ミオクお姉さんが先に入ってから、出て来ました、そして、私たちも一緒に入りました。その場に金正日が座っていました。ある人とお茶を飲みながら話をしていましたが、私たちが入って行くと、その人は出て行きました。

(次回に続く)






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最終更新日  2010年01月26日 09時24分09秒
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