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昨夜のNHKの視点・論点に茂木健一郎氏が出演していた。 脳科学者としては著名であり、最近ではテレビ番組のMCとしても活躍している。構想日本では、甲野善紀氏と一緒に講演をされるなど、私も注目する人物の一人である。 ただ、テレビ番組は対話を促さないし、自説を対照化・客観視することは慧眼の彼にとっても難しいと私は感じた。 番組のタイトルは、「ギャップ・イヤー」つまり、大学に入学前の学生が、10ヶ月の無為の時を過ごすことが人格形成において有効であり、そういうシステムが日本にないことが不備であるという指摘である。 その原因を茂木氏は、日本人と個と集団の考え方に帰結していた。集団に帰属していないと安心できないという既成概念に日本人は囚われている。ということだ。 だが、そうなのだろうか。 ヨーロッパでギャップ・イヤーが成立しているその構造を明らかにしなければ、不備があると思える。 ギャップ・イヤーを享受できるのは、大学入学が決まった若者だけである。つまり、ギャップイヤーを享受する西洋の若者とて、集団への帰属を精神安定剤にして、無為の時を過ごしているのである。 茂木氏は、中年にさしかかった夫婦が1年間の新婚旅行という無為の時間を過ごしたり、転職時に無為な時間を過ごすことが珍しくないことを紹介していた。 だが、それは、自分たちのキャリアに自信のあるものたちが、そのまでのたくわえの範囲内で無為のときを過ごしているにすぎない。そして、これが一番重要なことは、海外には自由な再雇用マーケットがあるが、日本には33歳以上には事実上再雇用マーケットがないということだ。これは、松下幸之助翁が終身雇用制を日本中に広めることによってできあがった制度であって、古来のものではない。 そのような制度上の桎梏を抜きにして、自説である脳科学の世界の枕とすることに、私は強引さを感じる。 否、東京大学を出て、学者になり、有名人になった茂木氏には、33歳以上の男性に再雇用マーケットがないということを実感できていないのだろう。 一般的な大学を出た私の友人は、40歳代の再就職での選択肢は、掃除夫、警備員、タクシーの運転手しかなく、タクシーの運転手を選んだ。柔道場で汗を流している50歳代の大学出の友人は研究員だったこともあるそうだが、リストラの果てに警備員の職を選んだ。 そういう現実がある。社会で名を成したり、社会を動かす権力を持っているような人はそういう実感がないのかもしれぬが、日本の社会はそのような構造になっていて、それは欧米人から見ても、日本社会の弊害のひとつと映っている。 ☆ こういう日本の現状を変えるために、実行的なことをするのが安倍新政権だと嬉しい。 具体的な政策は、
☆ 空虚な論理はネットでは力を持たない。それは、トラックバックを拒否しようと、コメントを拒否しようと同じだ。 私は、「アンネの日記」とgoogleをしたら、ふたつ目の検索ワードとして「ボールペン」というのがあることを知った。そして、「アンネの日記」の加筆疑惑を知った。考えてみれば、他の民族をおしやって自分たちの国をつくってしまったのである。当時の批判はすざまじいものだったに違いない。それらの批判に対抗するために、少女の日記が工作活動に使われたとしてもなんら不自然ではない。 ☆ 茂木氏には、33歳以上の男性に再雇用マーケットがないことをご存知ないのかもしれない。個人の経験は限られているのだから、それはそれで仕方ないこと。ただ、それが分かったならば、対話をすることで、もうひとつ先のフェイズ(止揚された言論)を目指すべきだと思うのである。 才能や運にめぐまれた人が社会を動かす立場につくのは必定である。だが、そういう恵まれた人たちの価値観でのみ社会が語られ、そういう価値観を追随する愚を私は指摘したい。 否、私があえて指摘せずとも、無名のネット者たちは確かな指摘をし続けるだろう。 追記: 対話がはじまることを願い、茂木健一郎氏のブログにTBをしておく。勿論、対話を強制することはできぬが、対話を拒絶すること、されることの意味をそれぞれが考えればいいし、それがネットに反映されずとも私は不満をいうべきではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年09月21日 09時12分45秒
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