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カテゴリ:「ネットウォッチ」
上記は、2ちゃんねるの募金夫婦関連の書きこみである。 これに限らず、テレビ、新聞、雑誌など、既存メディアの多くの記事がインターネットを取材源にしている例が散見される。だが、あまりにも誤解が多いことに嘆かされる。 あまりに誤解が多いので、箇条書きにする。 ☆
…ネットでエッチ画像を見た人は、自分がエッチ画像を見たかったことの証明である。
…こどもに刺激の強い情報を与えることと同様に注意が必要である。
…スレッドで問題は提起するために立てられるが、スレッドの中身は発言者たちの会話である。自分と同じ発言をする人や、同様の意見を述べれば、「自作自演」「工作員」「既出」と指摘される。したがって、予定調和的な賛成意見は存在意義を持たない。差分のない個は参加できぬコミュニティーである。そして、説得力を持たぬ差分を持つ個はその脆弱さを指摘される。
…書きこみが1000件を越えるたびに新たなスレッドが立てられ、新たなチャットがスタートする。チャットのはじめに、いままでの経緯をまとめるテンプレートが存在するが、それは結論を表現しているのではない。いままでの話題の経緯と、それぞれの意見をまとめているだけである。結論がでていれば、チャットは成立しない。 だから、2ちゃんねるでバッシングや批判が起きているというのは間違っている。正しくは、論争が起きているということだ。2ちゃんねるで誹謗中傷が起きているとして、裁判沙汰になっているが、2ちゃんねるが何かを誹謗中傷したのではない。誰かが問題を指摘した。だが、誰も反論しなかった。もしくは、できなかった。ということだ。反論できなかった側は、誹謗中傷としてメディアを訴えるが、そこに法的な根拠があるのか、私は疑わしいと思っている。 何故なら、京都大学のキャンパスで多くの学生がオウム真理教に入信した。だが、一連のサリン事件の被害者たちは京都大学に対する訴訟権利を持たぬとされている。「摂理」の婦女暴行事件はもっと分かりやすい。 私たちが規範のひとつとしている言論の自由を守るとはそういうことだ。 殺人犯が犯行現場に行くのに地下鉄を使ったら、地下鉄運営者は罰せられるのだろうか。そんな馬鹿げた話をすることもあるまい。 ☆ 「日本の既存ジャーナリズムの特長は、エリートサラリーマンたちが運営していること」は、あえて言うまでもない。 私が指摘したいのは、それがどのように発現するかだ。
マスコミ者たちが展開する2ちゃんねるバッシングの根っこに、そのような構図が広がっていることを、私は確信してやまない。 追記: 2ちゃんねらーたちは、コミュニケーションを閉じていない。言葉遣いは荒いのが欠点。だが、それも論点を明確にするためだ。彼らは、有効な議論を展開するために論点を整理し、テンプレイトをする。 検索が可能な今、教えて君であることは許されない。検索しないことは、老眼鏡をしないこと。入れ歯を入れぬこと同様に、他人を批判する類のことではない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年10月10日 19時31分17秒
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