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カテゴリ:「メディアの時代からP2Pの時代へ」
ネット・ジャーナリズムに関しては、既存マスコミの発想では、ネットジャーナリズムは成立しないことが分かった。 それは、鳴り物入りで登場したオーマイニュース日本版が何らの成果も注目も集めていないこと。 そして、産経新聞がつくったイザが、マスメディアの論理から抜けられぬ桎梏の中にいることでも明らかだ。
☆ だが、ラジオ広告費を越えたネット広告の状況はあらたなシーンをつくりだした。
分類すれば、次のよう…。
☆ 詳説…、
・イザブログ …イザでは、新聞・ネットともに、ブログのメリットのみ掲載した。薮本氏、上村氏、吉本芸人、乙武氏ブログなどが次々に炎上する時期に、ブログの明るい部分のみ掲載するマスコミ者たちの不実。 イザブログの登録者を増やしたい運営者たちのステークホルダーそのままな行為なため、私は彼らを批判する気持ちにもならなかった。 ・女子大生ブログ …女子大生が企業からお金を貰って商品の感想をブログに書く。ガ島氏は、嘘を書かなければ「それでよし」 とする「口コミマーケッティング」を提唱するが、情報の重要度を偽って発信することは、内容に嘘がなくともバイラルであり、有価値情報の検索の阻害要因であることに間違いない。
・オーマイニュース日本版 …市民記者メディアとして誕生したが、実名により、リアル社会のステークホルダーに縛られて市民に発言の自由はない。 リンクもなく、コメント欄を制限したサイト構成は、2006年のIT技術とはかけ離れている。 そのような構造を持ちつつも、市民に開かれたネット言論空間であることを喧伝するのはバイラルである。 私は、コメントは掲載されぬという制限を受けている。また、記事を書いても、何らのコミュニケーションを期待できぬ形で掲載されるため、以来コメントをしていない。
・募金夫婦 …これは、NHK職員と謎の団体が組んで、煽動を試みたものである。 こどもの笑顔・死は、人間の感情を煽動するにもっとも効果的な技法である。 どう考えてみても、募金を募るときに、初期投資として100万円近くの宣伝費をかけることは庶民感覚ではありえない。 ホームページ、印刷物、のぼり、テレビ出演、イベントなどがプロモーティブに計画され、実行され、目標の募金額は達成された。 すべての情報発信者にとって、受信者の心を煽動することはタブーであり、洗脳の一種である。 そして、それが利己目的になされるならば、醜悪である。 同じ表現に携わるものとして、この事案に関わったすべての表現者たちの良心を問いたい…。
・きっこの日記 …時事通信社の湯川氏の言によれば、きっこの日記に出ている情報は、未確認なためにリリースできないマスコミ情報の域を出ていないという。 ネットの噂話では、きっこの日記とは、テレビのコメンテーターとフリージャーナリストたちの共同作業だという。 きっこの日記が注目を集めたのは、構造計算書偽造に関する経営コンサルタント会社の関与をはじめて指摘したことだろう。 この件に関わらず、ほとんどは政府ならびに与党批判の姿勢が貫かれていて、野党の論調をなぞっている感じがしないでもない。 評論家の立花隆氏は「きっこの日記」を評価していたようだが、メイクアップの女性が知る情報のレベルを著しく越えていたことに、疑問の目を向けなければならないかった。 マスコミ関係者が、メイクアップの女性を語ることで、未確認情報を世の中にリリースすることが、バイラルでないといえるのだろうか。 はなから、「噂の真相」なのだと名乗ってしまえば、批判などされずにすんだのだ。 ☆ 「きっこ」という固定ハンドルネームの胡散臭さは、バイラルと言うに一番ふさわしいもの。 そして、2006年のブログのみならず、ネット言論とマスメディア言論、政治を含めて、この一年を象徴的にあらわしたものかもしれない。
そして、オーマイニュースもJANJANも、ライブドアPJも、一向に一次情報(当事者発信)を発信することができないでいる。
追記: MIXIの株式上場をして、SNSを2006年型トピックスとするのが一般的かもしれない。 だが、そのようなクロースド・サーキットがネット的でないのは自明だし、それをウェブ2.0の事例とするエバンジェリストたちの言説は、ステークホルダーの奴隷的発言でしかない。 そして、MIXIが、自他の境界領域の拡大という妄想を誘発するならば社会悪でしかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年12月29日 07時27分12秒
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