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アルゴリズムの時代(スポンタ通信 2.0)

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Headline News

2007年01月14日
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本気と書いて、マジと読む。

ことの真相は分からぬが、何かが動いているようだ。



立候補に伴い、私の基本方針を提出する。

その内容は、2006.08.20というオーマイニュース日本版のスタート前に、ブログで指摘したものである。

私の指摘は2007年1月をもってしても、色あせていないことを確信している。



【市民参加型ジャーナリズムの必須条件】


1.発信者の多様性の確保(実名・匿名・HNにしばられてはならない)
2.編集部の透明性の確保
3.編集過程の透明性の確保
4.編集部員、市民記者相互の対話の活性化
5.編集部、編集部員、市民記者、相互の対話の活性化
6.編集部、編集部員、市民記者の思想的立場・発信動機の透明性の確保
7.検証、訂正システムの構築・その過程の透明性の確保、それに関わる対話の活性化
8.外部圧力に対抗するシステムの構築(論理・システム・法務)


上記は、基本的な方針であり、努力目標であるが、そのための一里塚として、そのためのメディア(言論の場・情報交換ツール)を作成することが、私が編集長になる条件である。



【市民参加型ジャーナリズムの努力事項】

1.一覧性の向上
2.総覧性の向上
3.記事の品質の確保
4.記事の多様性の確保(対照意見・参照意見・多様なリファレンス)


上記は、オーマイニュース日本版が掲げるべき努力目標である。
つまり、この理想を実現するために、私は行動するということだ。

再度、断言する。




必須条件が満たされぬ限り、市民参加型ジャーナリズムはSNSのひとつでしかなく、市民記者登録者は増えぬ。

努力事項の追求の姿勢がなければ、登録した市民記者は記事を書くことに虚しさを感じ、記事を多作することはない。



わざわざ断る必要もないだろうが、私はオーマイニュース日本版の編集長という肩書きが欲しくて、立候補しているのではない。
日本に、市民参加型ジャーナリズムが早く実現して欲しいと思って、馬鹿を承知で告白しているのだ。



噂話なのか本当のことなのか分からないが、「2ちゃんねる閉鎖の危機」が目前に迫っているようだ。

1月第2週の時点で、公権力の2ちゃんねるへの介入がなされるならば、そうした予兆がマスコミに流れるのは、年末だろう…。
ならば、公権力の介入という後ろ盾を背景に、毎日新聞が元日一面に、「2ちゃんねる批判記事」を挙げることも容易に理解できる。

だが、このブログを読んでいる、ネット者に再度問う。

「2ちゃんねるが無くなって、オーマイニュース日本版がある日本であっていいのか」。と。



では、2ちゃんねるが無くなって、オーマイニュース日本版がある日本になるとどうなるのか。

これから何が起きるのか。

それも分かっている。

一言でいえば、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」時代、「熱物に懲りてナマスを吹く」時代への回帰・退行期である。



具体的にいえば、「煽動や洗脳が行われた後に、その悪行が暴かれる時代」への逆戻りである。

1991年頃だろうか。、なんらのオーソライズ機能を持たなかったパソコン通信は、オウム真理教のネット布教とマスコミによる擁護に反旗を翻すことができなかった。

だが、今は、1億3千万円を自分のこどもために集めるなどという、30数人を殺害者した組織犯罪よりも、極めてちっぽけなこともバッシングされ、その反社会性が指摘され、同様案件の再発を防いでいる。

私とて、2ちゃんねるや2NNの内容をそのまま信じるではないが、「すべての個にとって立論の場が与えられる2ちゃんねる」の意義は大きい。勿論、それが社会的にオーソライズされるものではないが、少なくとも「立論すること」は、すべての個に保証されていることとなった。


「あとの祭り」に集まる人などいない。
メディアや司法はあとの祭りを楽しんでいるに過ぎない。
だが、あとの祭りには、何の価値もないのである。





私は今週、午前中に仕事をしながら、TBSで「冬のソナタ」を観た。

1回、2回と見たところで作品世界に引き込まれ、昨日一昨日と、韓国語ノーカット版を20時間かけて一気見することになった。

感動をカミサンに伝えていると、カミサンがペヨンジュン氏の公式サイトの人気が急落していて、そのことを憂慮した運営者がアンケートを実施しているという。

カミサンは彼の来日イベントに埼玉アリーナまで出かけるような、ペ・ヨンジュン氏のファンである。
彼女は、ペ・ヨンジュン氏の公式サイトで何が起きているかについて、メイルで知らせてきた。




http://www.yongjoon.jp/index.asp

ベ・ヨンジュン公式サイトURLだす。

一応、ガイドラインとかマニュアルとか目を通してみてください。

簡単にまとめると。

・個人名は伏字
・URLやアドレスの貼り付け禁止
・誘導文禁止(営業チックなものは禁止)※自分のブログの宣伝になるようなことはNG
・個人情報(自分に関することも他人に関することも)の書き込み禁止
・未公開作品や未発表情報に関する文は記述禁止
・公式のNEWSや公知に書かれていない情報は、書かない
・ペ・ヨンジュン以外のことの書き込みは禁止
・批評はOKだけど、誹謗はNG。当然だけど、おばちゃんはどうしても他と比べたいもんだから、
他の俳優を非難したり、けなしたりしがちなのでそうなっているらしい。
・写真の貼り付け禁止
・他サイトなどからの文章のコピペは禁止(自分で要約したものならOK)

となっております。

そんなもんだから、ブロコリというIMX(ぺヨンジュンが大株主の会社)が作っている
サークルは一揆に800もでき(クローズドされている。会員制。この中で誹謗や中傷、個人名が
バンバン書かれている)やブログ(情報に裏付けされていなくとも、自分の意見や感想の
やり取りやURLの貼り付け可能)がすごい量になり、公式サイトが寂れた。

ということで、ブロコリはここです。

ここもサークルやブロメ(このサークルないでのメールのやり取り専用)は登録制です。

以上です。


批判に批判が呼ぶような祭りだけではなく、田代砲のような攻撃に度々されされたペヨンジュン氏の公式サイトの運営が、極めて厳格なSNSになってしまったのは必然であって、その運営者たちが短慮だったわけではない。




ライブドアPJで記事を書いた頃の私は、ペヨンジュン氏の「家族」の思想は極めてインターネット的であり、公式サイトの運営方針も合理的であると慧眼していた。

親衛隊を組織しないペヨンジュン氏の哲学は、私の哲学と同じである。

親衛隊とは、ファンを階層化し、特権階級をつくることで、自らの価値観を高めようと言う卑屈な精神である。


何故、彼のファンがホテルオークラの前に殺到し、収拾がつかなくなったか。怪我人が出て、彼が治療費を払い、その後のスケジュールを変更したか。

その理由は簡単。彼が親衛隊というバイラルコミュニティー(ファンを装った工作員のコミュニティー)をつくることを好まなかったのだ。

私は、ペヨンジュン氏が理想主義の旗を降ろさないことを崇高だと思う。


いかなるステークホルダーによっても、理想を旗を降ろしてはいけないのだ。


別エントリーで私がステークホルダーの奴隷となったエピソードと比べれば、大きな違いであり、私は反省せざるをえない。





それから3年近くが経った今、公式サイトのさまざまな制限に耐えられなくなった個たちは、自分たちでコミュニティーを作り始めているという。

3年前は、公式サイトから拒絶されることは、ある意味、ペ・ヨンジュンファンとしての死を意味した。

当時、コミュニティーの掟に縛られてその立場を悲しみつつも、おざなりの発言を継続するか、追放されて一人悲しむことしかできなかった人たちが、自分たちのメディア・コミュニティーをつくりはじめている。
すでに、その存在は公式サイトも認めざるをえない状況。

否、公式サイトの存在さえ危ぶまれる状態になっている…。

日本におけるペヨンジュン氏をとりまく状況は、ファンコミュティーを越えて、いまでは日本人にとって極めて「リアルな世界の持つ多様性」に近い状況になっている。


そのようなものが、公式サイトというSNSを軽々と越えていったというのが、2007年一月なのだろう。






日本に誕生したすべての市民参加型ジャーナリズムは、SNSでしかない。

だが、SNSは普及により、いつのまにかコミュニティーの内側だと思っていたものが、外側に変貌する。

そして、コミュニティーの中に異分子が横溢するに至って、コミュニティー内の異分子狩りが行われる。

そのようにして、爆縮とでもいうようなタービュランス(乱流)・ストール(失速)が必然的に起こるのである。



かの国の文化のことは分からぬ。

だが、インターネットの理想は同じであり、そのためにオーマイニュース日本版とペヨンジュン公式サイトが抱えている問題が同じものならば、一緒くたにして関わってみたいというのが私の本音である。



「冬のソナタ」に20時間を費やした私が会ってみたいのは、チェ・ジウ氏。だが、ペヨンジュン氏に会うことを望んでいる。

これは負け惜しみではない。

チェ・ジウ氏の体温は、「冬のソナタ」の中の初恋に悶絶した彼女の体温とは異なっているし、ドラマを見ていた私が求めていた体温も、きっと別のものだろう。

それをうちのカミサンは勘付いているし、私にとってもそれは自明なこと。
もしそのようなことがおきても、すべては幻滅を呼ぶしかない…。



私の心の中で、2ちゃんねるの西村博之氏とペヨンジュン氏は等しく尊敬する魂である。

彼らは、私と違い、「ステークホルダーのために、理想の旗を降ろしたりはしない」のである。



07sponta






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Last updated  2007年01月14日 09時34分00秒
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