カテゴリ:想い
年末年始は、いつもらしくなかった。
正月らしいと言えば正月らしいのだが、正月らしくないと言えば正月らしくない1年のスタートを切った。 何せ、2日からはデータ整理・報告書作成を年越しで継続し、4日の日曜日には測定機器を現場に設置し5日にはその動作確認に行き、整理した結果3業務の報告。昨日はその対応。 今日、何ヶ月ぶりかに時間にもデータにも追われない日を過ごしている。 何にしても、忙しさを引きづったままのおかげで、実際のところは健康診断でもしなければわからないが、健康的な仕事始めだった。 従って、その前日、前々日の31日と1日という2日間は、たまたま年末年始だったにすぎないようなもの。 ただし、かみさんと私のそれぞれの母親の喜寿の祝いを兼ねて温泉での年越しは正月らしい特別。かみさんに対しても誕生日プレゼント替わりに予約したので、上げ膳据え膳で孝行が出来たのではないか思っている。 子供達には、慌ただしいだけで、どうだかしらないが、思わないサプライズもあった。 私の母と暮らす次男(19歳学生)から私とかみさんに、少し遅いクリスマスプレゼント。 かみさんには、ジッポの懐炉。 私にはナイキのアンダーレイヤー。 ビシッとフィットする感じは悪くないが、齢で衰えた胸の筋肉(ただの贅肉)が中央に寄せられ、腹がモッコリ。「やばい、筋トレやんなきゃ」(筋トレばかの次男の策略か?) 照れくさいやら、嬉しいやら「生意気な奴だ」 ふっと思う。 「親から子へ。子は親に成り、子に返せば良い」 子から親へなんて、生意気になったものだ。私も。 両方の父親たちには何もしてやれなかった悔いも芽生えるが、ひとつ一つの節目で想うことは、時間が紡ぐもの。 時間・時代とともに変化する価値観や常識。 それでも変わらず感謝するものがあるとしたら、その時間・時の流れでの存在。 相対性理論によれば、物質が光の速度に達したら時間は止まる。時間が止まれば、物質は変化出来ない。 この記憶も想いも、移りゆく時間の中にある。 揺らぐ心は、自然である。 ただ、毅然といよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 7, 2015 04:25:49 PM
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