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2009.09.01
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カテゴリ:発掘インタビュー
【本田圭佑インタビュー その1】

「じつは慎重派だったビッグマウス」

──生まれも育ちも大阪ですよね。なのに、どうして石川県の星稜高校へ進学することになったんですか。
本田 中学のときはガンバのジュニアユースだったんですけど、ユースに上がれなかったんですよ。
──だったら、大阪の高校でも良かったわけだけど。
本田 高校のサッカー部に入るしかないという選択肢のなかで、兄貴に相談したんです。
──お兄さんはいくつ上なの。
本田 3つ上で、帝京高校のサッカー部だったんです。そのときに、いろんな条件をつけてみたんですね。
──どんな条件だったんですか。
本田 まず帝京とか国見とか市船(=市立船橋)ほど、サッカーの名門ではない高校ですね。
──1年からレギュラーになるためですか。
本田 そうです。そういうチャンスがあるようなチームで、なおかつ「勝てばいい」というような高校ではなくて、サッカーの内容にもこだわって選手育成してるような高校ですね。
──帝京みたいな「勝利至上主義」だと、高校だけで燃えつきちゃうからね。
本田 ですね。で、「そういう高校ってどこかな?」って兄貴に相談したんです。兄貴は帝京ですから、全国を転々としながら試合をしてましたからね。そしたら「その条件に合うのは星稜だな」と言われまして、しかも「なおかつ1年からチャンスがあるんじゃないか」って言われたんですね。そこでガンバのスカウトの方を訊ねて、「1回星稜の練習に参加させてほしいんですが」って頼んだんです。それが中学3年の卒業前ですね。
──実際に練習に参加してみたら、すごく自分とフィットしてたと?
本田 合ってましたね。
──でも「サッカーの内容」までを条件とするとしたら、そういう高校を探すのは大変だったんじゃないかと思うけど。
本田 それはもう、兄貴の情報を信用するしかなかったですから。もう、賭けみたいなもんですよね。こっちはあとがない状況でしたから。
──お兄さんから受けた影響はかなり大きいんですか。
本田 名門の帝京で実際にサッカーをしてた人間ですからね。だからそれまでも、参考になるようなアドバイスを何回かもらったことがあるんです。
──ところでボクが”生圭佑”を観たのは高円杯(=02年。国立競技場の決勝で国見に敗れる)なんですよ。西が丘です。相手は清商……。
本田 いや、あのときの相手は室蘭大谷じゃなかったかな。
──優勝候補だったもんねぇ……。こうやって話を聞いてみると、「何事にも準備怠りない」という、じつはそういう性格なんですね。オランダへの移籍(=08年1月)も、かなり準備した結果なんでしょうか。
本田 っていうか、小さいころから海外の有名プレーヤーを観てきて、「ああいうふうになりたいなぁ」って思ってましたからね。「将来プロになったら、うまくタイミングを見つけて海外に挑戦したいな」って、高校生のときからずっとそう思ってたんです。で、ボクが名古屋グランパスと契約した(=04年。05年デビュー)あとに、監督がオランダ人になったんですね。
──そうでした。セフ・フェルフォーセンですね(05年10月~)。
本田 入団3年目(=07年)も同じ監督だったんですけど、その年がちょうどセフとグランパスの契約が切れて、彼がオランダに帰る年だったんですね。ボクはずっと海外に行きたいと思ってましたから、俊哉さん(=藤田)に日本人の代理人の方を紹介してもらったんですね。
──志半ばで帰国しちゃったけど、俊哉もオランダでプレーしてたからね(=03年8月、ジュビロ磐田からユトレヒトに半年間のレンタル契約。14試合に出場し1ゴールも、ユトレヒトの資金不足とジュビロ低迷を原因に帰国。現ロアッソ熊本)。
本田 そう。あの人もオランダでプレーしてたんで、「監督もオランダ人だし、オランダに行く方法はありませんかね」って、俊哉さんを通じて相談したんです。
──状況的にはすごくわかるけど、なんでまたオランダの一点決めだったんですか。
本田 だって実力的に考えて、いきなりスペインやイタリア、プレミアに挑戦しても、出場できるチャンスは少ないですからね。サッカー選手は、「やっぱプレーしてナンボや」という想いがあったんで。小さいころに夢みてたトッププレーヤーになるためには、より試合に出れる可能性のある国とクラブがいいと思うんで、それでオランダになったんですね。
──つまりこのときは、俊哉がお兄さんがわりの相談相手になってくれたわけですね。
本田 そうですね。俊哉さんが半年間オランダへ行ってたときの情報を聞いてましたんで。自分自身がステップアップする国として、オランダは最も適してる国なんじゃないかと感じてました。

【つづく】

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最終更新日  2009.09.01 23:22:50
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