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時津風親方介抱せず兄弟子らに暴行口止め
大相撲時津風部屋の序ノ口力士、時太山(当時17=本名斉藤俊さん)が急死した問題で、時津風親方(57=元小結双津竜)が、死亡の直前に斉藤さんと2人きりになりながら介抱もせず、病院への搬送もすぐに指示しなかったことが29日、関係者の話で分かった。さらに死亡後には、金属バットによる暴行を警察に話さないよう兄弟子らに口止めしていたことも判明した。 県警や複数の関係者によると、6月26日午前10時ごろ、愛知・犬山市の時津風部屋で朝げいこが終了した。その後、親方の指示で4、5人の兄弟子が残され、斉藤さんとのぶつかりげいこが始まった。親方は土俵脇でしばらく様子を見た後に風呂や食事のため宿舎に移動。約1時間後に戻り、ぐったりした斉藤さんを見て、「後はおれ1人でみるから、おまえらは風呂に入れ」と話し、兄弟子らを遠ざけた。 けいこ場には斉藤さんが取り残される形で約20分間、2人きりだったが、斉藤さんを介抱するなど救護措置は行われなかった。その後、親方の呼び付けで駆け付けた兄弟子らが意識のない斉藤さんを見つけた。あざがはっきりと浮き出て体全体が土気色だったが、かすかに息はあったという。親方の指示で水がかけられたが次第に体が冷たくなり、今度は温めようと風呂場に運び、湯をかけたが意識は戻らなかった。 この間、兄弟子たちが「救急車、救急車」とざわつき始めたが、親方はすぐに救急車を呼ぼうとしなかった。結局、部屋が119番通報したのは同日午後0時50分ごろのことだった。 親方は2日後の28日に、自分の部屋に関取衆を除く弟子らを呼び、暴行に金属バットが使われたことや、自分が斉藤さんをビール瓶で殴ったことを漏らさないよう指示。その後、ほぼ連日、弟子らを集めて県警の聴取に何を聞かれ、話したかを詳細に報告させ「聴取が長引くと良くないからみんなで供述を合わせよう」と口裏合わせを求めたという。 ある弟子が金属バットについて話したと報告すると、親方は「なんで本当のことを言うんだ」としかったという。 [2007年9月30日8時42分 紙面から] お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年09月30日 17時55分14秒
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