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カテゴリ:小説
「人間って言うのは簡単にあっけなく死ぬ、でも人は意外と死ねないもんだね。」
ベッドタウンのそれほど流行ってもいないBARで、カウンター越しにマスターに向かって僕は言った。 「そうかもしれない」マスターが答える。僕はブラックスーツに黒のネクタイ。 知人の通夜のかえりだった。親しくもなく、ただ知人と言うだけだった。 彼の人生がどのような物であり、幸福であったか、不幸であったのかさえ想像することもできない。 そういう知人だった。 死因を聞くこともせず帰ってきたのだが、僕には彼が死んだ。その事実だけで十分だった。 「全く、人生って奴は上手く行かないものだね?死にたいと思っている奴ほどなかなか死ねない。」 マスターは黙ってグラスを磨いている。 「人生を終わらせたいのは僕なんだけどな。」 「思わなくても終わりはいずれ来る。」マスターは短く言う。「あんた死にたいのかい?」「まあね」 「人生にはそう云う時が有るもんさ。幸せに生きるだけが人生でもないさ。」マスターが続ける。 「案外、辛いときが多い方が、後になるといいもんなんだよ。」 「そうかもしれないけど、僕には解らないな。」「いずれ解るときが来るさ。」「だと良いね。」 気のない返事をしながら僕はラスティーネールの2杯めを飲み干す。 窓から月の光が差し込む。 満月。案外満月の夜に死ぬって云うのも良いことなのかもしれない。ぼくはそう思う。 もちろん根拠はないし理由もない。ただそういう思いがよぎっただけだ。ともかく彼は満月の夜。 無意味なのか、そうでないのかは解らないが。そう長くもない人生を閉じ、僕はそれを見送った。 そんな夜だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004/11/17 11:39:50 PM
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